いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
71,379円
サイズ約直径15.6×本体高15.3cm 塗蓋含む高17.8cm 作者高取静山作 箱木箱 (中・100130) 【コンビニ受取対応商品】【11代】 【高取焼】 小堀遠州七窯の一つ 7か所(赤膚・上野・高取・古曽部・志戸呂・膳所・朝日) 【11代 静山(尼静山)本名:静】高取焼宗家12代 高取焼中興の祖 【高取八山】高取焼き宗家 【初代 高取八山(和名=八蔵重貞】 黒田長政公に従って朝鮮の地より渡来せし名工、 八山(和名=八蔵重貞)が開祖であります 【2代 八蔵 貞明(八山の次男) 1665〜1871年 小石原鼓窯系統 八山の次男が高取家の2代目を継ぎ、寛文5年(1665年)、小石原鼓窯に移り、この地で現在まで伝承されています 以後、廃窯そして復興窯を繰り返し、白旗山窯の時代になると、高取の作風は小堀遠州の指導により、茶入にみられる薄作りと、瀟洒な洗練されたものになり、茶人に愛された 【3代 八郎 重房 】 【4代 源兵衛 勝利】 【5代 唯作 常俊 】 【6代 清右衛門 純方】 【7代 八郎 常保 】 【8代 八郎 久敬 】 【9代 清次郎】※廃藩置県により廃窯 【10代 富基】※再興(現 小石原鼓の地) 【11代 静山(尼静山)本名:静】 高取焼宗家12代 高取焼中興の祖 1907年明治40年 高取焼宗家の長女に生 1925年大正14年 勉強のため上京 日本大学夜間部国文学を学び、東京で結婚し3人の子供を育てる。 祖父の閉じた高取焼窯を再興の為、父10代高取富基に呼ばれ東京と九州を往復しながら手助けをする、しかし父富基は初個展を前にして心労のため急死いつしか戦争の波が窯の火を消す。 戦後静山はただ一人の直系子孫として高取焼宗家の再興に尽力 1958年昭和33年 静山50歳の時高取焼宗家再興の初窯開き行う。...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
21,296円
サイズ約直径13.9×高14.6cm 作者水野健二作(郷之窯) 箱木箱 注意柄は変わる場合があります。 当店にお任せください。 (の野江)(・26136) 【コンビニ受取対応商品】「織部焼・黄瀬戸焼等、茶道具を美濃の地にて製作する。」 【水野健二作】伝統工芸士 郷之窯 (通算大臣指定美濃焼伝統工芸品:共同組合員) 1941年昭和16年 生 1960年昭和35年 県立多治見工業高校卒 1963年昭和38年 土岐市立陶磁器試験場に就職 この間、陶磁器デザイナー日根野作三先生に師事 1972年昭和47年 退社し独立、以後研鑽中 以後 全国輸出デザインコンクール・県展等受賞多数 水指(水器)-釜に補給する水や茶碗・茶筌などをすすぐための水を貯えておく器物 炉・風炉の火の陽の対して水指の水を陰とします。 台子皆具の水指は本来唐物に始まり点前作法の変遷とともに皆具からはなれ銅の水指についで南蛮や国焼の備前・信楽・楽焼や京焼などの焼き物が用いられ、さらに木地釣瓶や曲などの新しい素材や形が造られた。
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
2,321円
サイズ織部焼:約直径13.3×高15.8cm 志野焼:約直径13.1×高15.4cm 安南:約幅14.8×高16.5cm 作者加藤五陶作 箱紙箱 菊/五陶-25:蜻蛉/五陶-24(野の丸大)(・2940) 【コンビニ受取対応商品】水指(水器)-釜に補給する水や茶碗・茶筌などをすすぐための水を貯えておく器物 炉・風炉の火の陽の対して水指の水を陰とします。 台子皆具の水指は本来唐物に始まり点前作法の変遷とともに皆具からはなれ銅の水指についで南蛮や国焼の備前・信楽・楽焼や京焼などの焼き物が用いられ、さらに木地釣瓶や曲などの新しい素材や形が造られた。
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
55,511円
サイズ約横直径6.8×奥5.6×高4.6cm 作者永興明道作(後藤明道作)(政所窯の御庭焼) 箱木箱 (輪申棒・70330) 【コンビニ受取対応商品】御庭焼とは 初代は後藤明道で、陶名 永興明道作が、圓徳院に築窯された高台寺の政所窯で焼かれた焼物です。 圓徳院は 北政所が豊臣秀吉の菩提を祀るため移り住んだ由緒あるお寺で、北政所が住せられた 御殿を「永興院殿」と呼び、 圓徳院歴代住職はその名を名乗っています。 政所窯は圓徳院で制作され高台脇に「政所窯」の陶印があります。 高台寺ではその昔「高台寺窯」というのが あったそうですが、現在の窯は初代の住職(明道師)が興された高台寺の御庭焼です。
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
7,040円
サイズ約直径5.3×高5.6cm 作者松本鉄山作 箱木箱 ・・(野吉山大・8800) 【コンビニ受取対応商品】【松本鉄山(安右ェ門窯)】 大正11年 生まれ 2代 山口錠鉄の次男 母方実家の窯元へ養子となり安右ェ門窯の後を継ぐ。 愛知県瀬戸市上水野町在 (長男 松本伸安 昭和26年生まれ) --------------------------------------------------- 【初代 山口錠鉄】 1895年明治28年3月 1948年昭和23年 技術保存登録を受ける 瀬戸市の赤津町代々の窯元 1953年昭和28年12月 没 【2代 山口錠鉄】 1920年大正09年2月 「赤津の窯屋山口」として300有余年続く窯元 1948年昭和23年 先代の父錠鉄が技術保存登録をうける、現代茶陶中心に活動する 伝統工芸師に認定される 1999年平成11年02月没 【山口 節 (尼錠鉄)】正悟の母 愛知県立瀬戸窯業高校卒:同校専攻科修了 【3代 山口錠鉄(本名 正悟)】 瀬戸市赤津町在住 1955年昭和30年01月生まれ 1974年昭和49年 瀬戸窯業高校専攻科修了 1999年平成11年 3代を襲名 日本の六古窯の一つである瀬戸赤津焼きは、平安の昔から千何百年もの間、継承され織部・志野・黄瀬戸・瀬戸黒等が制作され今日に至っております 師 先代 山口錠鉄師(伝統工芸師)に師事 2代の弟 山口茂(大正14年生まれ)の子供に山口重信がいます 山口重信(昭和29年生) 県立瀬戸窯業高等学校専攻科終了 県陶磁器資料館陶芸指導員 2代の二男に松本鉄山(大正11年生まれ)がいます
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
55,440円
サイズ約直径9×高5.2cm 蓋直径10cm 作者岩倉秀麿作 箱木箱 (山0丸酒・68050) 【コンビニ受取対応商品】【老松茶器】表千家用 表千家 6世原叟(覚々斎)が、妙喜庵の松の木で作る 〇一燈宗室(裏千家中興の祖) 裏千家 8世が好みなをしています。 ●扱ひは大海と同樣なるも、蓋は「り」の字形に拭き、茶を入れる時は蓋を取らず、左掌へのせ、左の拇指で蓋の「左」の側を押へ、右手に茶杓を握込んで拇指・食指・中指の三本にて蓋の「右」の側を、左へ折返して、茶を掬ふべし。終れば此反對に扱うて、蓋をなす。 客方へ一覽に供する時は、袱紗を握込んで、先のように蓋をあけ、口の右側のみを竪に一度拭くべし。 【老松割蓋】茶道用語集 井口海仙 表千家 6代 覚々斎 原痩が山崎妙喜庵の老松をもって50個作った茶器。 蓋は割り蓋になっており、銀のちょうつがいで留め、溜塗りである。 原痩の箱書きに「山崎妙喜禅庵茶亭之側有老松枯滑拙採之以作 茶湯之珍器遺愛於千歳」とある。 裏千家 8代 一燈宗室好みなをしています。 扱い方 薄器として用いるので、扱い方は平素の如く、左手に載せて縦に「り」の字形に拭く。 茶を掬うときは、蓋を取らず、左手に載せ、左の親指で蓋の左側をおさえ、右手に茶杓を握りこんで右側開けて(拇指・食指・中指の三本にて蓋の「右」の側を、左へ折返して)、茶を掬う。終れば此反對に扱うて、蓋をなす。 客方へ一覽に供する時は、袱紗を握込んで、先のように蓋をあけ、口の右側のみを竪に一度拭くべし。・・・・・ 【岩倉秀麿】 1948年昭和23年 故 種本徳次郎氏の元に入門 1983年昭和58年 石川テレビに出演 1984年昭和59年 東京目黒ギャラリー小杉にて個展開 1985年昭和60年 富山県高岡ギャラリー在田にて個展 1988年昭和63年...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
27,280円
サイズ約直径5.4×高5.3cm 素材鉄製 作者畠春斎作 箱木箱 (野礼酒・33600) 【コンビニ受取対応商品】【初代 畠春斎】 1908年明治41年 富山県高岡市生〜1981年昭和56年 73才没 釜屋彦兵衛を祖とする釜師の家に生まれる。 【2代 春斎(本名 重男)】 1944年昭和19年 生まれ〜平成19年 1958年昭和33年 天皇・皇后陛下、富山県行啓時、天覧、高岡市長より作品献上 1961年昭和36年 皇太子・妃亮陛下、富山県行啓時、天覧、高岡市長より作品献上 1973年昭和48年 日本伝統工芸展奨励賞・日本伝統工芸展日本工芸会長賞 1978年昭和53年04月 薫四等瑞宝章受賞 1982年昭和57年 2代春斎を襲名〜平成19年に亡くなられた 師 父初代春斉 日本工芸会理事・同会富山支部幹事長を務める 2010年平成22年 子息が3代を襲名
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
23,760円
サイズ約直径6.2×高7cm 作者宮田宗景作 箱木箱 (R4/野輪輪酒・27000~30000) 【コンビニ受取対応商品】『 神仙思想』 蓬莱山…中国の架空の不死の郷、【神仙人の住む理想郷】 【宮田宗景】 福井県鯖江市在住 蒔絵師:箕輪一星氏に師事する 昭和45年 棗・香合の蒔絵師として修業 昭和50年 独立 越前蒔絵見本市入賞 漆芸協会賞・日芸展入賞
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
86,592円
重量本体約1.5kg 木箱含む約2.4kg サイズ(4寸)約直径13.5×高20cm 付属品撞木付(柄の長さは短めです) 作者金谷浄雲作 箱木箱 (仕No大・108240) 参考資料:短 撞木6,600円【夜咄の決まりごと】 冬至から. 立春までの期間、夕暮れ時に行われるお茶会 露地に行燈を灯もし、客を迎えるとき手蜀を用います。 床に掛け軸を用いず、花は白がよいと、決まり事の多いお茶事です。 【金谷浄雲(かなやじょううん)】 1933年昭和08年 高岡市に生まれる 1958年昭和33年 日本工芸会会員、般若勘渓氏に師事 以後40年余にわたり般若鋳造所において研鑽
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
2,657円
サイズA:横6.7×奥4.1×高9.2cm B:横8×奥4.7×高10.5cm 作者A:昭峰作 B:蜻山作 箱紙箱 (西野山吉柴)(・3499) 【コンビニ受取対応商品】
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
23,017円
サイズ蟹:約4×4×高4.6cm 一葉:約4.6×高4.2cm 作者加藤忠三郎作(12代 釜師) 箱木箱 現在箱の文字印は了三を使用しています。 特大(・38800) 【コンビニ受取対応商品】七種の蓋置 【12代 加藤忠三郎(本名 了三)】釜師 尾張藩 御釜師 1948年昭和23年1月生まれ 師 角谷一圭・斎藤明氏に師事 1982年昭和57年 師 11代忠三郎より釜場を継承 1991年平成03年 12代忠三郎を襲名 現在 日本鋳金家協会会員・金鱗会の会員 【13代 加藤忠三郎(本名 大忠)】12代の長男 2013年平成25年より 1974年昭和49年 12代 加藤忠三朗の長男として生まれる 1999年平成11年 愛知県立芸術大学美術学部日本画専攻卒業 2001年平成13年 同大学美術研究科日本画専攻修了 師 重要無形文化財(鋳造)の斎藤明に師事又、父の12代忠三郎に師事 2013年平成25年03月 13代加藤忠三郎を襲名 同時に名古屋・三越にて襲名記念展を開催す
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
69,300円
サイズ約直径15×高約47.8cm 作者安藤竹良斎作 箱木箱 仕様置用 注意手作り品のためサイズなどは多少異なります。 (り) 【コンビニ受取対応商品】【安藤竹良斎】 1948年昭和23年 生まれ 1978年昭和53年 茶道籠師の修業に入る 1980年昭和55年 茶道籠師として独立後、創作もの・唐物写・和物籠を中心に製作しております 1981年昭和56年 名古屋三越で初個展〜以後各地三越・小倉井筒屋等各地で個展を開く
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
209,000円
サイズ約胴直径5寸4分(16.2cm)×高7寸1分(高21.3cm) 容量5合(900ml) 作者般若勘渓作 箱木箱 素材鋳鉄製(模様に銀象嵌有)蓋:唐銅製 (N02718野輪大)(・265000) 【コンビニ受取対応商品】鉄瓶 岩松蟹蘭鉄瓶 梅泉写し 般若勘渓作:蟹欄銀粒面 月象嵌岩松面 ・・・・・ 【般若勘渓(別号)/本名:昭三】 ・・・・(以下、備忘録)・・・・・・・・・ ・・・・・ ●二男【般若勘渓 本名:昭三】 1933年昭和08年富山県高岡市生まれ 1449年昭和24年父のよ吉の稼業を手伝う〜以来研鑽する 昭和44年 日本伝統工芸展初入選(以後、35回) 1972年昭和47年日本工芸会正会員 ※昭和53年 総本山善通寺済世橋の真言八宗文字入り:大擬宝珠製作 1986年昭和61年人間国宝:香取正彦氏の梵鐘研修会受講 ※宮内庁より正倉院御物の復元を依頼され砂張物や黄銅合子を制作 平成15年高岡市伝統工芸産業技術保持者に指定される ・・・・・参考資料・・・・ ●般若鋳造所と般若泰樹 長男【般若茂雄】 ※伝統工芸士 昭和3年生まれ 昭和23年より父与吉の営む双型鋳造に従事 昭和48年に家業を継承。業界活動に積極的参加し業界発展に尽力する 昭和58年 伝産協会指定:伝統工芸士に認定される(双型鋳造部門) 平成2年 高岡市伝統工芸産業保持者に認定(双型鋳造部門) 三男【般若保】 日本工芸会正会員 昭和16年生まれ 昭和34年より父与吉の営む惣型鋳造に従事 昭和44年より鋳金家中村義一氏に惣型、箆押し、挽き型、変形法を習う 第40回日本伝統工芸展総裁賞受賞 第3回香取正彦賞受賞 宮内庁献上品制作「吹分花瓶」 第5回佐野ルネッサンス鋳金展 大賞: 轆轤行程複製された砂波理加盤
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
55,440円
サイズ 作者黒川哲匠作(高岡の作家) 箱紙箱 (仕R4/輪目申大・69300) 【コンビニ受取対応商品】7種類セット販売 【七種蓋置】 ●表七種 千利休が選んだとされる7種類の「火舎」「五徳」「三葉」「一閑人」「栄螺」「三人形」「蟹」の蓋置があります。 棚を使った場合、蓋置は点前の終わりに柄杓と共に棚の上に飾られる。 ・火舎(ほや) 穂屋香炉(火舎)は蓋置きの中で一番くらいが高く、台子や長板などに使います。 台子や長板の上に建水を仕組んで飾り付けして置きます。 蓋を置く前に蓋置きの蓋を開けひっくり返し上部を平らにしておきます。(和綴じの本をひっくり返すように開く) ・五徳 ・三つ葉 ・一閑(韓)人 蓋を置くときには横に倒します。 ・栄螺(さざえ) 蓋を置くときにはひっくり返します。 ・三つ人形」 ・蟹(かに) ●裏七種 「印」「惻隠」「太鼓」「輪」「井筒」「糸巻」「駅鈴」(または「竹」)に蓋置があります。 その他、夜学、笹蟹、三輪、千切、墨台、硯屏、つくねなど、特殊なものでは硯屏などがあります。 竹の蓋置は炉・風炉の別があり、陶磁器の蓋置は炉・風炉とも使われます。ただし、絵柄がある物はその時期に合った使い方をします。 棚を使った場合、蓋置は点前の終わりに柄杓と共に棚の上に飾られますが、竹製のものは特別の物以外は飾りません。 【黒川哲匠】 称号 1961年昭和36年高岡生まれ 建水、火箸、茶室の釘等、茶道具、花器の制作を研鑽中
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
9,075円
サイズ約幅36.7×内径4.3cm 素材白竹(国産) ひも:鹿皮 作者良斎作 (礼棒山大・11350) 【コンビニ受取対応商品】軸巻上 アルミ製はこちら
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
90,750円
サイズ約直径5.1×高5.2cm 素材唐銅(彫入蓋置) 作者高木治良兵衛作 箱木箱 (大)(118800) 【コンビニ受取対応商品】【高木治良兵衛作】釜師 金工芸家【釜師(かまし)高木治良兵衛作】 ◆釜坐の起源は、奈良より平安遷都とともに鋳物師が京に移り住み座を結成。以来多くの坐は衰退したが釜坐のみ存続し高木家も釜などを主に作り現在も伝統を保持している 一、【蓋置とは釜の湯を、くむとき、釜のふたを置くための道具です。】 一、【また、柄杓をひく(おく)のにも使います。】 一、材質は、金属類、陶磁器類、その他(竹や木など)いろいろなものでできています。 一、竹の蓋置がよく使われますが、炉(11月〜4月)風炉(5〜10月)のきせつによってちがう切り方(きりかた)の物をつかいます。 一、お棚などには焼き物や、金属類の蓋置を使います。 ※七種蓋置は、台子・長板などの茶事に使用。・・ ・・・・・ 金工芸家【釜師(かまし)高木治良兵衛作】 ◆釜坐の起源は、奈良より平安遷都とともに鋳物師が京に移り住み座を結成。以来多くの坐は衰退したが釜坐のみ存続し高木家も釜などを主に作り現在も伝統を保持している 【一世 高木治良兵衛】(1828年〜1885年) ※大西家十世浄雪に兄弟で師事し、兄は大西家十二世浄徳を継ぎ、十三世浄長の後見人として大西家に残る〇初代一世(弟は大西家より独立し三条釜坐にて安政二年(1855)創業:初代高木治良兵衛を名乗る) 【二世 高木治良兵衛】(1861年〜1924年) ※富岡鉄斎と親交し、鉄軒の号を戴く:鉄斉や蓮月尼の画賛入の釜を多数制作 ※大正改元時、建仁寺 黙雷和尚の「無冷處」文字入の記念釜を製作 【三世 高木治良兵衛(隠居ご一道を名乗る)】(1881年〜1957年) ※各流派の台子風炉釜・皆具等 釜を製作 ...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
5,616円
作者沖原敏子作 箱たとう紙 注意メール便不可 限定品・5500(輪目吉大・沖原敏子・7020) 【コンビニ受取対応商品】
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
19,250円
サイズ約直径5.4×高5cm 作者今岡三四郎作 箱木箱 (ス野中:大・24750) 【コンビニ受取対応商品】【今岡三四郎】今岡妙見の長男 1980年昭和55年 生まれ 1999年平成11年 京都市立銅駝美術工芸高校陶芸科卒 2001年平成13年 嵯峨美術短期大学陶芸科卒 2002年平成14年 京都府立陶工高等技術専門校成形科卒
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
7,066円
サイズ約直径18cm 作者中村湖彩作 箱化粧箱 (相伝-14/No49山山丸大)(・8833) 【コンビニ受取対応商品】【中村湖彩 (本名 淳司)】石川県山中町在 1955年昭和30年 石川県山中町生まれ 1974年昭和49年 県立小松工業高校卒 師 表正則氏に師事 5年間の修業のち独立〜現在に至る 伝承漆芸を日々精進
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
27,769円
サイズ約横9.4×縦4×高1.8cm 作者今岡三四郎作 箱木箱 (野礼目中・34800) 【コンビニ受取対応商品】【今岡 三四郎】妙見窯(みょうけんがま)今岡妙見の長男 1980年昭和55年生まれ 1999年平成11年 京都市立銅駝美術工芸高校陶芸科卒 2001年平成14年 嵯峨美術短期大学陶芸科卒 2002年平成15年 京都府立陶工高等技術専門校成形科卒
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
56,765円
サイズ約直径7.3×高2.5cm 作者福田芳朗作(本名:芳雄) 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】【福田芳朗:本名(芳雄)】 ※昭和07年生まれ ※昭和21年15歳で師:父の栄次郎より挽き物工芸技術の指導を受ける ※昭和45年唐木・煤竹の材で寿輪挽き込み象嵌棗を制作 ◆重要無形文化財保持者氷見晃堂氏よりデザインの指導を受ける ※石川県山中温泉市 ※昭和54年日本工芸会正会員:山中漆器:ろくろ挽きの名工 ※昭和60年日本工芸会総裁賞(高松宮殿下)受賞(皇太子ご夫妻御高覧の上、寿輪挽き込み象嵌技法をご説明申し上げる) ・・・・・・・・・・ ●木象嵌とは・・ ※木質の色や木目、木肌など異なった性質を持った木を組み合わせて、模様を作り、はめ込んだもの・・・
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
7,702円
サイズ約幅9.5×奥6×高3.7cm 作者高野昭阿弥作 箱木箱 (R5/山山大・8560)〇9425 【コンビニ受取対応商品】菱餅とは 古代中国で上巳節(3月最初の巳の日に厄払いをする行事)に母子草(ははこぐさ)[御形(ごぎょう)]を入れたお餅を食べる風習があり、それが日本に伝わりました。 しかし、母子草を用いると、母と子をついて餅にするのは縁起が悪いと嫌われたこともあり、蓬(よもぎ)を用いるようになった。 蓬は大変香りの良いもので、昔から香りの強いものには邪気を払う力があるとされている。 ひな祭りに蓬餅(草餅)を食べる地方が多いのはその名残でしょう。また、地域によっては、母子草で草餅を作る風習が残っています。 菱餅は、女の子の健やかな成長や厄除け、子孫繁栄、長寿を願って飾られています。 菱形になったのは、江戸時代初期のこと。 当時は、蓬餅の緑に菱の実を入れた白い餅を組み合わせたもの、つまり緑と白の2色だけでした。 これを緑・白・緑の3段、あるいは5段にしていたようです。 菱餅といえば菱の実の粉で作るものだったそうで、子孫繁栄と長寿の力があるとされているから。 菱形に関しては、菱の実を模して菱型になった、心臓の形を表した、四角を伸ばして長寿を祈願したなど、諸説あります。 明治時代に入ると、ここに山梔子(さんしし。クチナシの実のこと)を入れた赤が入って3色になりました。 赤は昔から魔除けの色として欠かせない色ですし、おめでたい色や桃の花にも通じます。 実際の色は「桃色」ですし、「ピンク」「紅」と表現されることもあります。 菱餅の3色の意味にも諸説ありますが、まとめると次のようになります。 ・赤:山梔子(クチナシの実)入り/魔除け/解毒作用/桃の花をイメージ ・白:菱の実入り/子孫繁栄、長寿/血圧低下/清浄、純白の雪をイメージ ...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
5,995円
サイズ約直径6.9×高6.9cm 素材プラスチック製 作者東雲作 箱化粧箱 (中・6650) 【コンビニ受取対応商品】
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
35,904円
セット内容サイズ 1.茶掃箱(約縦18×横10.3×12.2cm) 2.茶篩 (約直径7.5×高4.6cm) 3.茶漏斗(ちゃこし)溜塗り 漏斗 大(約直径7×高3.9cm) 漏斗 小(約直径7×高2.7cm) 計量器(約直径4×高3.7cm) 4.茶杓桑柄 5.小羽根 箱紙箱 (水屋27大・44880)(昔の水屋26大・竹茶杓の時42800) 曲篩/輪野・5150,生地茶斗/ス丸・12225、溜茶斗/丸丸13450、 【コンビニ受取対応商品】茶掃箱サイズ:約縦18×横10.3×高12.2cm 茶篩サイズ:約直径7.5×高4.6cm 茶漏斗(ちゃこし) 溜塗 サイズ:漏斗大:約直径7×高3.9cm 漏斗小:約直径7×高2.7cm 計量器:約直径4×高3.7cm 桑柄茶杓 小羽
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
243,980円
サイズ約胴直径5寸3分(15.75cm)×高7寸05分(高22.7cm) 容量約7.8合(1400ml) 作者般若勘渓作 箱木箱 素材鋳鉄製(模様に銀象嵌有)蓋:唐銅 (仕N02721野山棒大)(・301000) 【コンビニ受取対応商品】鉄瓶、光重写富士浜松図鉄瓶 般若勘渓作(1.4L) 表面:美保の松原柄・裏面:富士山柄 【般若勘渓(別号)/本名:昭三】 (以下、備忘録) 【般若勘渓 本名:昭三】二男 1933年昭和08年 富山県高岡市生まれ 1449年昭和24年 父のよ吉の稼業を手伝う〜以来研鑽する 昭和44年 日本伝統工芸展初入選(以後、35回) 1972年昭和47年 日本工芸会正会員 昭和53年 総本山善通寺済世橋の真言八宗文字入り:大擬宝珠製作 1986年昭和61年 人間国宝:香取正彦氏の梵鐘研修会受講 宮内庁より正倉院御物の復元を依頼され砂張物や黄銅合子を制作 平成15年高岡市伝統工芸産業技術保持者に指定される ・・・・・参考資料・・・・ 般若鋳造所と般若泰樹 長男【般若茂雄】 ※伝統工芸士 昭和3年生まれ 昭和23年 より父与吉の営む双型鋳造に従事 昭和48年 家業を継承。業界活動に積極的参加し業界発展に尽力する 昭和58年 伝産協会指定:伝統工芸士に認定される(双型鋳造部門) 平成02年 高岡市伝統工芸産業保持者に認定(双型鋳造部門) 【般若保】三男 日本工芸会正会員 昭和16年生まれ 昭和34年より父与吉の営む惣型鋳造に従事 昭和44年より鋳金家中村義一氏に惣型、箆押し、挽き型、変形法を習う 第40回日本伝統工芸展総裁賞受賞 第3回香取正彦賞受賞 宮内庁献上品制作「吹分花瓶」 第5回佐野ルネッサンス鋳金展 大賞: 轆轤行程複製された砂波理加盤
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
11,616円
サイズ抹茶茶碗:約直径9.9×高6.7cm 巾筒:約直径4.2×高6cm 振出:下約直径5×高7cm(詰め蓋除く高さ) 作者田中源彦作(菊泉窯) 箱化粧箱 (丸礼西)(・14256) 【コンビニ受取対応商品】【田中源彦】菊泉窯 美濃焼 1954年昭和29年 土岐市生まれ 1973年昭和48年 多治見工業高校卒業 師 父 田中源也や佐々木八十二に師事 師 丹波立杭焼の市野省三に師事。 1997年平成09年 第一回現代茶陶展 銀賞受賞 1999年平成11年 第八回織部の心作陶展 金賞受賞 創業100余年の美濃焼伝統の窯元菊泉窯継承 叔父に俳優の田中邦衛がいます
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
207,900円
容量約5合(900ml) サイズ約胴直径5寸4分(16.2)×高7寸9分(23.7cm) 作者般若勘渓作 箱木箱 素材鋳鉄製(金色の龍の柄あり) 蓋:唐銅製 (N02709野輪大)(・265000) 【コンビニ受取対応商品】【般若勘渓 本名:昭三】 二男 昭和08年 富山県高岡市生まれ 昭和24年 父のよ吉の稼業を手伝う〜以来研鑽する 昭和44年 日本伝統工芸展初入選(以後、35回) 昭和47年 日本工芸会正会員 昭和53年 総本山善通寺済世橋の真言八宗文字入り:大擬宝珠製作 昭和61年 人間国宝:香取正彦氏の梵鐘研修会受講 宮内庁より正倉院御物の復元を依頼され砂張物や黄銅合子を制作 平成15年高岡市伝統工芸産業技術保持者に指定される ・・・・・参考資料・・・・ 般若鋳造所と般若泰樹 【般若茂雄】長男 伝統工芸士 昭和3年生まれ 昭和23年より父与吉の営む双型鋳造に従事 昭和48年 家業を継承。業界活動に積極的参加し業界発展に尽力する 昭和58年 伝産協会指定:伝統工芸士に認定される(双型鋳造部門) 平成02年 高岡市伝統工芸産業保持者に認定(双型鋳造部門) ------------------------------ 【般若 保】三男 日本工芸会正会員 昭和16年生まれ 昭和34年より父与吉の営む惣型鋳造に従事 昭和44年より鋳金家中村義一氏に惣型、箆押し、挽き型、変形法を習う 第40回日本伝統工芸展総裁賞受賞 第3回香取正彦賞受賞 宮内庁献上品制作「吹分花瓶」
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
8,800円
サイズ約直径4.8×高11cm 箱紙箱 (黒・11000)(No258目輪丸大・18500) 【コンビニ受取対応商品】煙草入 煙草盆の中に組み込み、刻みたばこを入れるのに用いる道具です。 莨入とも書き、莨壺ともいいます。 唐物では青貝入、象牙、堆朱、堆黒、倶利、存星、金馬、独楽、竹根などがあり、香料や薬味入を見立てたものといわれます。 定まった形式はなく、様々な好み物があります。 他に紙煙草入があります。
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
30,580円
水屋-21(No126蝋引No298桑色と桐蓋セット野礼丸大)(・38280)【水屋道具】桑箱炭斗8点セット 箱炭取水屋で炭を保管しておくための入れ物。 割蓋箱炭取の蓋です。詳しい写真はこちら 板釜敷釜を置く板です。 釜据釜をしまうさいに、流し台の所で使用します。 白:掴み羽根(つかみ羽根)炉縁などの汚れを取る物です。 ●注意:羽根の色は白になります。こちらにお任せ下さい。 火箸炭をつぎたすさいに使います。 釜環熱くなった釜を持つための物です。
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
35,200円
直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 箱たとう紙 作者久田宗也筆(尋牛斎) 注意メール便不可 (・43200) 【コンビニ受取対応商品】青松多寿色せいしょうじゅしょくおおし 松は常緑樹の代表として、さまざまな象徴に用いる。 何時までも青々とした松は、それだけで御目出度い色をしている。若さの象徴「緑」、 不老長寿を連想させる。 当然、祝いの席には松が飾られることが多い 「寿」の語が入った句は「長寿」の象徴である。 禅語で「うつろうことのない不動の松の青さこそ、寿の色」という意味を持っています 。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年~1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年~1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年~1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年~1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
47,300円
直筆 作者久田宗也筆(尋牛斎) 箱たとう紙 (大・61000) 【コンビニ受取対応商品】山花開似錦さんかひらいてにしきににたり 真理の法身と、肉身とは決して別物でない。 瞬時に散ってしまう花がそのまま堅固な法身なのだ。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年〜1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年〜1768年4月26日 不及斎の次男 【6代 磻翁宗渓 挹泉斎】 1742年〜1785年7月24日 【7代 維妙宗也 皓々斎】 1767年〜1819年11月29日 【8代 宗利】...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
30,800円
直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者久田宗也筆(尋牛斎) 箱たとう紙 注意メール便不可 (・37880) 【コンビニ受取対応商品】雁行横月浦がんこうげっぽによこたう 雁が月あかりの水辺をの群れをなして飛んで行く。 秋の月明かりの中、湖の上を飛んでいく雁。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年〜1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年〜1768年4月26日 不及斎の次男 【6代 磻翁宗渓 挹泉斎】 1742年〜1785年7月24日 【7代 維妙宗也 皓々斎】...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
2,807円
直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者堀内祥子画(印:祥) 注意メール便不可 限定(R5/N302/9-02野礼目大)(・3509) 【コンビニ受取対応商品】【堀内祥子(ほりうち ちさこ)】印:祥 1945年昭和20年11月5生まれ 1965年昭和40年 京都成安女子短大(現・成安造形大学)彫刻科卒 1965年昭和40年 会社にて手描ローケツ染 手描染 着物を手掛ける 1965年昭和40年 京都で木彫り 草木彫の講師 1985年昭和60年 絵画で木下美術館にて個展 2015年平成27年 小さな絵画教室を始める。弁財にいたる。 滋賀県 比叡平在住
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
30,800円
直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者久田宗也筆(尋牛斎) 箱たとう紙 (・40150) 【コンビニ受取対応商品】灼々曙光来しゃくしゃくしょこうきたる 灼々…光り輝くさまのこと。 曙光…夜明けに、東の空にさしてくる太陽の光。 物事の前途に見えはじめた明るいきざし。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年〜1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年〜1768年4月26日 不及斎の次男 【6代 磻翁宗渓 挹泉斎】 1742年〜1785年7月24日 【7代 維妙宗也...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
11,058円
素材正絹(絹100%) 注意商品画像と実物の色合いが若干異なっている場合がございます。 裂地の取る位置により出方は換わります。 (丸山棒・13825) 【コンビニ受取対応商品】
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
374,000円
作者小田雪窓筆 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】雲無心出岫くもはむしんにしてしゅうをいず 岫とは谷あい、山の穴の意。 山腹のほら穴からもくもくと雲をは吐き出し、雲は無心にして沸き出でて流れ行く、自然の雄大なる風光が伺える。 雲は全く無心です。風吹けば風のままに流れ、悠々として湧き出て、悠々として去っていく。行くも止まるも作意がない。 あっちがいい、こっちが好きだという好悪嫌着の計らいも無く何のわだかまりも無い。自由自在な無心無我の境界をあらわした言葉。 大自然の中に自らがとけこんでしまった無心の境地。 【小田雪窓(おだせっそう)】大徳寺506世 臨済宗 龍翔寺 道号、諱は宗甫、室号は蔵暉 鳥取県出身。 12歳のとき、鳥取市廣徳寺の杉原春窓和尚について得度 1921年大正10年 京都妙心僧堂に掛搭 1922年大正11年 僧堂をひき、当時京城の妙心寺別院にあった後藤瑞巌老師に随侍、瑞巌老師より嗣法する 1947年昭和22年 師瑞巌老師が大徳寺管長、僧堂師家に就任するが、高齢の師にかわり、師家代参となる 1960年昭和25年 大徳寺僧堂師家に就任、のち開堂した 1955年昭和30年 大徳寺派管長に就任 1966年昭和41年 寂、65才 ------------------------------ 【龍翔寺】 大徳寺の塔頭寺院。 後宇多法皇により大応国師(南浦紹明)を開山として1309年(延慶2年)に創建。 一時は「十刹」のひとつとして数えらたが、応仁の乱で荒廃。 1541年(天文10年)に大徳寺に移される。秀吉の母大政所や佐々正成の墓がある。
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
80,080円
サイズ約長115×横幅45cm 軸先含幅51cm 作者小林太玄筆 箱書付 箱木箱 (大・100100) 【コンビニ受取対応商品】千里鶯啼緑映紅せんりうぐいすないて みどりくれないにえいず(千里鴬啼緑映紅) 千里一体に広がる広大な土地のあちらこちらで鶯(うぐいす)が鳴き、木々の緑と花の紅とが(互いに照り)映えている 【小林太玄】黄梅院 大徳寺塔頭 1938年昭和13年 奉天生まれ 1961年昭和36年 花園大学卒業 相国僧堂に掛塔 大津暦堂に参禅 1975年昭和50年 大徳寺塔頭 20世 黄梅院に就任 ------------------------------ 黄梅院 大徳寺塔頭 1938年昭和13年 奉天生まれ 1961年昭和36年 花園大学卒業 相国僧堂に掛塔 大津暦堂に参禅 1975年昭和50年 大徳寺塔頭 20世 黄梅院に就任
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
94,050円
作者長谷川寛州筆 箱木箱 (り・117248) 【コンビニ受取対応商品】桃花笑春風とうかしゅんぷうにえむ 桃の花が春風に誘われて咲きほころんだ様子。春の喜びをうたったもの。 【長谷川寛州】 老師 臨済宗 大徳寺 紫野 三玄院 元住職
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
81,840円
サイズ外幅42.4m(1尺4寸)×高6.7cm(2寸2分) 内寸35.2cm 素材国産栗材 箱木箱 限定・100500(別に桑材面黒棒丸酒)
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
19,195円
直筆 作者小林太玄筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (R5/申目大・24000) 【コンビニ受取対応商品】萬里無片雲ばんりへんうんなし(万里無片雲) 萬里は、万里の天。片雲は、一片の浮き雲。雲は妄想や煩悩などの例えで、心の隅々まで妄想や煩悩がない状態をいう。 【小林太玄】黄梅院 大徳寺塔頭 昭和13年 奉天生まれ 昭和36年 花園大学卒業 相国僧堂に掛塔 大津暦堂に参禅 昭和50年 大徳寺塔頭 20世 黄梅院に就任
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
1,650円
注意天然の羽根を使用しているため、写真と異なる場いがあります。 茶箱・器据小羽根(約長さ:13.7cm) (利)棒丸大) 【コンビニ受取対応商品】【茶箱以外その他の道具】 ◆器据(きずえ)紫の紐で繋いだ四枚の板・和敬板(一枚板)・ 小羽箒(約長さ:13.7cm)・ウグイス( U字型のピン) の4点セットです
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
374,000円
作者田宗也筆(尋牛斎) 箱木箱 (59期ウ・374000) 【コンビニ受取対応商品】龍昇萬里雲/龍騰萬里雲 雲の上にて天に昇る龍の様を表現した言葉 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年〜1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年〜1768年4月26日 不及斎の次男 【6代 磻翁宗渓 挹泉斎】 1742年〜1785年7月24日 【7代 維妙宗也 皓々斎】 1767年〜1819年11月29日 【8代 宗利】 不詳-1844年6月30日 養子、元は関宗厳と称した 【9代 一乗宗与...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
170,500円
作者春見文勝筆 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】白雲流水清しはくうんりゅうすいきよし 白雲も流水もともに無心であり、一切の蹤趾(しょうせき)を残さない清々さがある、ということ。 【春見 文勝(かすみ ぶんしょう)】 明治38年〜平成10年 94才没 岐阜県美濃加茂市出身 昭和8年八幡圓福僧堂 に掛搭。井澤寛州老師に嗣法する 昭和18年西宮 海清寺住職となり、僧堂を再開する のち、妙心寺第27代管長になる
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
5,148円
直筆 作者松涛泰宏筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (輪輪岡・5750) 【コンビニ受取対応商品】霜葉満山花そうようは、まんざんのはな 霜葉=霜が降りて紅葉した木の葉。満山=山全体の事霜で赤くなった渓谷は2月の花より赤く美しい 。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
14,850円
直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者久田宗也筆(尋牛斎) 注意メール便不可 (野吉り・岡・44000)〇39800 【コンビニ受取対応商品】松樹千年翠しょうじゅせんねんのみどり(松樹(寿)千年翠(緑)) 変化の激しい世の中で年月や季節に左右されずに常に変わらず美しい緑を保ち続ける松こそ万古不易の真実の象徴である 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年~1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年~1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年~1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年~1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年~1768年4月26日 不及斎の次男 【6代 磻翁宗渓...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
9,680円
直筆(シミ有) サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 箱たとう紙 作者久田宗也筆(尋牛斎) 注意メール便不可 (・37880) 【コンビニ受取対応商品】紅葉舞秋風こうようしゅうふうにまう 散りそめた紅葉が秋風に舞っている様子で、晩秋の寒々とした光景のかぎり。まさに、裏をみせ表を見せて散りゆく様子を表す 人はすべて の汚れ、邪念を捨て世に身を任せ「無心」になることから大切です。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年~1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年~1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年~1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年~1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
6,633円
配送メール便対応(個別包装不可) サイズ約横22.5×高17×奥行3cm 素材正絹(絹100%) 仕様仕切板1(扇子専用ポケット1、ポケット1) 箱通常箱なし(化粧箱) 宅配便配送で包装を選ばれた方のみにお付けいたします。 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (R5/輪申野中・28)(・7150) 【コンビニ受取対応商品】※従来の数寄屋袋より大きく、中仕切りの板が入っているので楊子・扇子・茶券など小物の整理が簡単です。 ※帛紗や出帛紗が四ツ折りのまま納まり、又古帛紗は折らずにそのまま入ります。 付属の服紗、扇子,古服紗,懐紙、楊子入は別売りです。
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
5,148円
直筆 作者松涛泰宏筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (輪輪岡・5750) 【コンビニ受取対応商品】竹有上下節たけにじょうげのふしあり 竹には上から下まではっきりと節がついていて、差別具体の世界を対比させた言葉。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
6,562円
サイズ約横22.8×16.5×マチ3.5cm 素材正絹(絹100%) 仕様仕切板1(扇子専用ポケット1、ポケット1) 箱通常箱なし(化粧箱) 宅配便配送で包装を選ばれた方のみにお付けいたします。 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (R5/N0-2山0礼・中)(・7450)〇8105 【コンビニ受取対応商品】
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
3,303円
直筆 サイズ約縦36.3×横6cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野山丸岡の礼り・3670) 【コンビニ受取対応商品】吾惟知足われただたるをしる 欲望を無限にふくらましてはならない。これで充分、つまり「ごちそうさま」と言える心のゆとりを持たねばならない。 釈尊が説かれた教えである。 「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は」心はいつも乱れている」と言われる。 語尽山雲海月情かたりつくすかいうんかいげつのじょう 山の心情、雲の心情、海の心情、月の情心、即ち一切のこころと言うのが 山雲海月の情で、この場合、親しきもの同士が胸中の心情を語りつくすさまを表す。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
682円
素材ステンレス製 箱通常箱なし(化粧箱)包装を選ばれた方のみにお付けいたします。 注意裂地の取る位置により模様の出方が変わります。 備考メール便対応可 (・660) 【コンビニ受取対応商品】
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
26,400円
作者茶杓師:影林宗篤作 箱木箱 (野輪丸大・33220) 【コンビニ受取対応商品】【影林宗篤(本名:清一)】 昭和21年 奈良県生駒山に生まれる 昭和40年 稼業の茶道竹工芸を学ぶ 昭和45年 以降 三玄院 故、藤井誠堂老師や黄梅院の故、宮西玄性老師の指導を受ける
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
33,000円
作者長谷川大真筆 茶杓師:海野宗泰作 素材白竹(七つ節) 箱木箱 注意色・景色(模様)などは写真と異なる場合があります。 (R4/野吉大・41250) 【コンビニ受取対応商品】七福神しちふくじん 七福神とは、大黒天、毘沙門天、恵比寿天(唯一日本の神様)、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊、の七つの神様の総称です。 「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。 七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。 インドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、支那の仏教(布袋)と道教(福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿)が入り混じって形成された神仏習合からなる。 ●恵比寿 (商売繁昌・除災招福) ●寿老人 (長寿延命・富貴招福) ●大黒天 (五穀豊穣・子孫愛育) ●毘沙門天(開運厄除・大願成就) ●福禄寿 (招徳人望・俸禄増加) ●弁才天 (恋愛成就・学問成就) ●布袋 (夫婦円満・財宝賦与) 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ---------------------------------------------------------- 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚・千宗旦の修道場として著名です。 春屋和尚の弟子には、徳川幕府の悪令に対抗して大徳寺の面目を天下に示した玉室・江月宗玩和尚がおられます。近衛信尹・久我敦通・古田織部・藪内剣仲・小堀遠州...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
12,375円
作者小堀良實筆 茶杓師:海野宗秦作 箱木箱 注意色・景色(模様)などは写真と異なる場合があります。 (R4/棒目り)(・16500) 【コンビニ受取対応商品】銀河ぎんが 天の川 織姫おりひめ 機(はた)を織る女性。はたおりひめ おりひめぼし(織姫星)の略で、こと座α星ベガの中国名 中国道教の七夕の伝説『牛郎織女』に登場する仙女。織姫は王母娘娘(西王母)の外孫女であるとされる 【小堀良實(りょうじつ)】寶林寺 山号を曹渓山 大徳寺派 (臨済宗) 1972年昭和47年 京都市:大徳寺:弧蓬庵の次男に生 1996年平成08年 花園大学卒業 博多 崇福寺専門道場にて修行 2004年平成16年 寶林寺住職 ---------------------------------------------------- 【寶林寺】 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 寶林寺 山号を曹渓山は 禅宗の祖と言われる達磨大師より、6代目慧能禅師が、この地に来りて、仏法を解きて以来、禅の宗風喩々隆盛となる。開山、春嶺紹温禅師(大灯国師より204世)は寛文年間亀岡の地に来りて創建し、曹渓山寶林寺と名付けられた。 山内には、重要文化財(旧国宝)の薬師・阿弥陀・釈迦の三如来の仏像と九重石塔婆等があります。 ----------------------------------------------------------- 【海野宗秦】 1947年昭和22年08月 京都に生 1964年昭和39年 師 竹器師高野宗陵と出会う 1966年昭和41年 伏見工業高等学校工芸科を卒業後、竹工芸の 勉強を始める 1970年昭和45年 号 宗秦を拝名
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
33,000円
作者茶杓師:吉田林竹作 箱木箱 (野山丸し・43200) 【コンビニ受取対応商品】【吉田宗林 (本名 治)】 1961年昭和36年 京都生まれ 1980年昭和55年 伏見工業高校インテリア科卒業・高野宗陵に師事 1984年昭和59年 竹工芸二級技能士(丸竹)修得 1985年昭和60年 竹工芸二級技能士(編組)習得 1993年平成05年 野々村林竹より「林竹」号を継承 2003年平成15年 高野宗陵師より「宗林」の号を受ける 2003年平成15年 高野宗陵より「宗林を拝受 2004年平成16年 大徳寺三玄院 長谷川大真老師につき研鑽中
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
29,700円
直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者久田宗也筆(尋牛斎) 箱たとう紙 注意メール便不可 (中・37880) 【コンビニ受取対応商品】春光生嘉祥しゅんこうかしょうをしょうず 冬の眠りに就ついていた万物を覚醒させて生命力を与える、春の陽光のめでたい兆しが生まれる。 和気生嘉祥わきかしょうをしょうず 和(やわ)らいだ気はめでたさを生じる。 和気には大別して天候が順当であることの意と、人の心が和睦であるの意とがある。 天候が和順であることによて、五穀豊穣となり人々の幸福を招くこと。また、人々の心が睦まじく和らいで吉祥を生じるということ。 和顔生幸慶わがんこうけいをしょうず 和やかな顔で接すれば、おのずと祝福する気持ちが生まれる 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で...
いまや茶の湯日本茶・今屋静香園
3,302円
直筆 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野丸中・3675) 【コンビニ受取対応商品】銀椀裏盛雪ぎんわんりにゆきおもる 白銀の碗に白雪を盛る。 どちらも白く遠目では、見分けが出来ませんが、碗と雪は全く別物です。 端的に言えば、同じものに見えるが、全く別の代物だと、いう意味。 夏の氷水を連想させて涼味をそそるからであろうか、この五字一行は夏の茶席によく掛けられる。 主と客とが独立した二つの人格でありながら不二となり、一つの如(ごと)くでありながらしかも『和して同ぜず』で主客二つの人格とはたらいたら、せめて『銀椀裏に雪を盛る』の宗旨(しゅうし)にかなう茶会というものであろう 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。