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酒井抱一 「 紙雛図 」 彩美版 額装

内田画廊

99,000

酒井抱一 「 紙雛図 」 彩美版 額装

■紙雛図 日本古来の伝統の美 江戸琳派が描く、仲睦まじく寄り添う夫婦雛 江戸琳派の画家たちは雛祭りに関する多くの作品を残していて その中でも特に多いのが紙雛を描いたものである。 紙雛が切る着物には、松と藤が描かれ、これには招福の意味が 込められている。 抱一のこの作品では松がデフォルメ化されていて、デザイン 性が強められているのが面白い。 男雛の袴や、女雛の細帯は、金で描かれている作品が多い中、 ここでは銀を用いていて、年月を経たる間に酸化して黒ずんで いるのも味わい深い。 上巳の節句を祝う少女たちのために心を尽くして描かれた様が よく伝わる作品である。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■酒井抱一 1761 姫路藩主酒井忠仰の第四子次男として生まれる 1777 元服 その後は俳諧に凝り、歌・能・茶などの文人墨客と 交わる 1790 句集「軽拳館句藻」を刊行 1797 西本願寺文如の弟子として出家 1815 光琳百回忌と遣墨展を催し「光琳百図」前篇と 「緒方流略印譜」を刊行 1823 「乾山遣墨」を刊行 1826 「光琳百図」後篇を刊行 1828 逝去 享年68才 絵画・俳諧・狂歌・能楽などの芸能の才に恵まれ、 大名の子弟としての堅苦しい生活を嫌って多くの 文人墨客らと交わるとともに、自らも当代一流の 文化人として風流三昧の生活を送った。 画技は狩野派や長崎派...

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グスタフ ・ クリムト 「 接吻 」 彩美版R シルクスクリーン 併用 金箔押し加工 一部本金泥使用 公式認定複製版画

内田画廊

154,000

グスタフ ・ クリムト 「 接吻 」 彩美版R シルクスクリーン 併用 金箔押し加工 一部本金泥使用 公式認定複製版画

創立300周年記念 ベルヴェデーレ宮殿公式認定 限定300部 ■接 吻 官能的な世界を描き出すクリムトの 甘美で妖艶なマスターピース クリムトはウィーンの世紀末を象徴する存在です。 画家として、特に金の装飾的表現にこだわり、 遂には黄金様式という技法を完成させました。 その彼の黄金様式を取り入れたエポックメイキングな 傑作が、1907~1908年制作の本作「接吻」です。 クリムトが「接吻」を含めた多くの作品に取り入れた 金装飾の豪華絢爛で華麗な効果は、彼が1903年に ビザンティン美術で有名なラヴァンナを訪れ、その 地のモザイクアートに強い感銘を受けたことに 由来するといわれています。 そこで得たインスピレーションをもとに、 クリムトは金を用いた工芸品にも通じる装飾的な 美しさを持った数多くの作品を生み出しました。 その黄金様式の頂点を示す「接吻」に見られる 金装飾の特徴は、金箔をふんだんに使った男女の 煌びやかな佇まいに加えて、作品全体にわたり 燦然たる圧倒的な美しさが描き出されていることです。 また、抽象的な背景にはところどころに金をまぶし、 2人の男女が非日常的な無限空間に存在しているような 表現も強く印象に残ります。 【 ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館 】 オーストリアのウィーンにあるグスタフ・クリムトの コレクションで有名な美術館。 ベルヴェデーレとは「見晴らしのよい丘」を意味し、 マリーアントワネットがフランスに嫁ぐ際に、 母マリア・テレジアと最後の晩餐をした宮殿と いわれています。 バロックの総合芸術であるベルヴェデーレ宮殿は、 現在はギャラリーとしてクリムトをはじめオーストリア 美術の全貌を知ることができる充実したコレクションを 所蔵しており...

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片岡球子 「 富士 」 リトグラフ 版画 【中古】

内田画廊

550,000

片岡球子 「 富士 」 リトグラフ 版画 【中古】

■富 士 女性画家の最長老格として活躍した片岡球子。 球子が描く唯一無二の富士山を 版画でお楽しみいただける作品です。 大きく捉えたフォルムとデフォルメされた造形。 極彩色の色づかいなど独特の魅力に溢れる富士山を 描いた作品は特に人気が高く当店おすすめの一枚です。 ■片岡球子 かたおかたまこ 1905 北海道札幌市に生まれる 1926 女子美術専門学校日本画科高等科卒業 横浜市大岡尋常高等学校(現:市立大岡小学校)の 教諭となり教職を続けながら制作に打ち込む 1930 再興第17回院展にて『枇杷』が初入選 1952 日本美術院同人に推挙される 1966 愛知県立芸術大学主任教授に就任 富士山を描き始める 1976 勲三等瑞宝章を受章 1982 日本芸術院会員となる 1984 再興第69回院展全作品集の表紙に『富士』が掲載される 1986 文化功労者として顕彰される 1989 文化勲章受章 2008 逝去 享年103 作家名 片岡球子 題 名 富士 落 款 右下に本人直筆サイン 技 法 リトグラフ 1976年制作 限 定 39/75 画面寸法 縦36.0×横51.0cm 額縁の外寸法 縦64.4×横82.5×厚み2.4cm 額縁の仕様 ゴールド×ブラウン色額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 窓:アクリル 版元/工房 フジ美術/フジ美術版画工房 重 量 約3.8kg 付 属 差し箱(黄袋付き) 状 態 【中古】 額縁を新品に交換済み。 作品本体に気になる汚れや劣化もなく 状態は非常に良好です。

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片岡球子 「 赤い富士 」 リトグラフ 版画

内田画廊

770,000

片岡球子 「 赤い富士 」 リトグラフ 版画

■赤い富士 女性画家の最長老格として活躍した片岡球子。 球子が描く唯一無二の富士山を 版画でお楽しみいただける作品です。 大きく捉えたフォルムとデフォルメされた造形。 極彩色の色づかいなど独特の魅力に溢れる富士山を 描いた作品は特に人気が高く当店おすすめの一枚です。 ■片岡球子 かたおかたまこ 1905 北海道札幌市に生まれる 1926 女子美術専門学校日本画科高等科卒業 横浜市大岡尋常高等学校(現:市立大岡小学校)の 教諭となり教職を続けながら制作に打ち込む 1930 再興第17回院展にて『枇杷』が初入選 1952 日本美術院同人に推挙される 1966 愛知県立芸術大学主任教授に就任 富士山を描き始める 1976 勲三等瑞宝章を受章 1982 日本芸術院会員となる 1984 再興第69回院展全作品集の表紙に『富士』が掲載される 1986 文化功労者として顕彰される 1989 文化勲章受章 2008 逝去 享年103 作家名 片岡球子 題 名 赤い富士 落 款 画面金字「球子」印 画面右下「片岡」朱印 監修:片岡佐和子 技 法 リトグラフ 28版28色 本金泥 切り廻し 砂子 本プラチナ泥 使用 限 定 159/200 画面寸法 縦28.1×横39.1cm 額縁の外寸法 縦54.7×横64.5×厚み5.2cm 額縁の仕様 金泥色額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 窓:アクリル 版元/工房 株式会社アートジャパン/版画工房アルミィ 重 量 約4.0kg 付 属 差し箱(黄袋付き) 制作年 2016年

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上村松篁 「 野月 」 彩美版 ・ シルクスクリーン ・箔貼り

内田画廊

198,000

上村松篁 「 野月 」 彩美版 ・ シルクスクリーン ・箔貼り

■野 月 のづき 本図は松篁が描く秋の野の情景です。 ここに見られる銀の月光と秋草は、平安以来日本人に 愛でられてきた取り合わせです。 時としてどこか遠い記憶を呼び覚ますような銀は、 追憶の色として好まれてきました。 しかし、日本画の伝統である余白の美を追い求めた松篁は、 ここで銀よりも透明な光を放つプラチナ箔を用い、 より澄み切った秋の空気と月のさやけさを強く印象づけて います。 その光に照らされて、風に揺れる桔梗とススキの葉。 桔梗の葉茎の黒の滲みやぼかしで端正に描かれており、 対照的に花は青紫と白でくっきりと彩られています。 そこには派手さはなくとも凛とした情趣が溢れ、桔梗の 美しさを際立たせます。 解説文より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■上村松篁 1902 美人画の巨匠・上村松園の長男として京都市に生まれる 1921 第3回帝展に初入選 1928 第9回帝展・特選入選 1930 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業 1933 帝展無監査となる 1949 京都市立美術専門学校教授となる 1953 外務省買上となりユーゴスラビア連邦共和国に 寄贈される 京都市立美術大学教授となる 1967 日本芸術院賞を授与される 1968 新宮殿千草の間に、宮内庁御用画を制作 1981 日本芸術院会員に推挙される 1983...

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小倉遊亀 「 菩薩 」 彩美版 ・ シルクスクリーン ・ 一部本金 ・ 天然岩絵具 手彩色

内田画廊

253,000

小倉遊亀 「 菩薩 」 彩美版 ・ シルクスクリーン ・ 一部本金 ・ 天然岩絵具 手彩色

■菩 薩 この『菩薩』は昭和42年、小倉遊亀画伯72歳の時の 作品である。 昭和16年画伯は『観世音菩薩』を描き院展に出品した。 その時夫である鉄樹師に「あと十年観音様は描けないな」 と言われたという。 それから26年、まさに満を持して発表したのがこの 『菩薩』であった。 よほど強い想いが蓄積されていたのであろう。 翌年続いて『観自在』を描いている。 この絵の『菩薩』は、手に赤い蓮華の蕾を持ち(蓮華手) 頭上に開いた蓮の華(普通は如来形の化仏)を戴く形は、 観世音菩薩であろう。 一連の菩薩像について、画家自身は「少し男性的の菩薩様が 描きたくて…」と述べているが、凛としたお姿には慈悲と ともに、修行の身である厳しさと折れることのない強靭さが 見事に表れている。 色彩豊かな衣の描線も美しい。 美術評論家 谷岡 清氏の解説より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999...

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川合玉堂 「 高原深秋 」 彩美版 ( シルクスクリーン 印刷 併用) 額装

内田画廊

143,000

川合玉堂 「 高原深秋 」 彩美版 ( シルクスクリーン 印刷 併用) 額装

■高原深秋 幼い頃、父親と一緒に河原でお弁当を食べたり、山登りして 遠景を眺めやったりしたのが、何よりの楽しみだったという。 技法的には、墨と色彩、鋭い狩野派的線と四条派的な 柔らかい線の総合で、雑木林の向こうからふと現れた 馬子が玉堂その人にも思える。 そして構図は斜に主題を寄せて、宋の馬遠の『辺角の景』に 則っている。 若い頃学んだ制作の姿勢を見事に生かしているといえよう。 宋画は岡倉天心以来の日本画の目標であった。 そしてそこには視覚では捉えられない、爽やかな空気までが 流れている。 他の追従を許さぬ世界といえよう。 美術評論家 細野正信氏 解説書より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■川合玉堂 明治 6 愛知県葉栗郡に生まれる 明治23 玉堂の号にて勧業博覧会に出展 明治31 日本美術院に参加 明治41 玉堂を中心とした山水会が生まれる 大正 4 東京美術学校(現東京芸術大学)の教授になる 大正 8 帝国美術院会員となる 昭和 3 御即位御大御用命により『悠紀御屏風』制作 大礼記念章を受章 昭和15 紀元2600年奉祝展『彩雨』文化勲章受章 昭和16 『高原深秋』を描く 昭和19 西多摩郡御嶽に疎開永住 昭和32 逝去 第一等勲旭日大綬章追贈 昭和36 西多摩郡御嶽に玉堂美術館開館 作家名 川合玉堂 題 名 高原深秋 限 定 500部 版 式 彩美版...

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竹内栖鳳 「 錦秋図 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 併用 複製画 額装

内田画廊

110,000

竹内栖鳳 「 錦秋図 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 併用 複製画 額装

錦秋図 くるりと返った小鳥が愛らしい、秋の栖鳳 この絵の見どころは、まさにその無造作に見える絵作りに あろう。 無作為の作為ともいうべき趣向にある。 いまひとつは、小禽の姿態にある。 枝に来て止まるや、餌でも見つけたように翻身した瞬間を 捉えている。 その即興的で動きのある見事な描写は、鳥の習性をしっかり 呑み込んだ画家の腕の見せどころとなっている。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 竹内栖凰 1864 京都市に生まれる 1877 土田英林に学ぶ 1881 幸野楳嶺の私塾に入門 1887 京都府画学校を卒業 1895 京都市美術工芸学校の教諭に就任 1898 日本美術院第1回展出品 1903 正八位に叙せられる 1907 第1回文展の審査員となる 1909 京都市立絵画専門学校教授となる 1911 正七位に叙せられる 1913 帝室技芸員となる 1919 帝国美術院会員となる 1921 正六位に叙せられる 1922 従五位に叙せられる 1924 フランス政府よりシェパリエ・ド・ラ・レジェン・ ドメール勲章を贈られる 1925 勲五等瑞宝章を贈られる 1931 ハンガリー最高美術賞を受ける 1932 ドイツ一等赤十字賞を受ける 1937 第一回文化勲章受賞 1941 京都日本画家連盟顧問となる 1942 逝去 享年77歳 原画所蔵 山種美術館 証 明 奥付に所蔵先の検印 版 式 彩美版・シルクスクリーン併用 限定...

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伊藤若冲 白鶴図 「 浪に鶴 」 彩美版 シルクスクリーン手刷り (額装)

内田画廊

154,000

伊藤若冲 白鶴図 「 浪に鶴 」 彩美版 シルクスクリーン手刷り (額装)

白鶴図 「浪に鶴」 伊藤若冲は、江戸中期に活躍した花鳥画家の大家です。 本作の画題、松と波に鶴を配する図は、 古来より吉祥の絵柄として喜ばれてきました。 中国明代の画家・文正の作品を手本としつつ、 鶴の羽毛や脚の描写や背景に変更を試み、 若冲ならではの空間が創り出されています。 長寿や家運の繁栄を願い、純白の翼を広げ波の上を 飛翔する鶴が典雅な筆致により描写され、 幻想的なまでに美しい画境が開かれました。 京都国立博物館が提供する正式画像をもとに 高精度の複製技術「彩美版」にシルクスクリーンを施し 若冲の筆致を再現しました ■こちらは「浪に鶴」一枚のみの商品ページです。 お得な二枚セットはこちら↓ 【 白鶴図二枚セット「浪に鶴」「松に鶴」】 伊藤若冲 1716 京都の青物問屋「枡源」主人伊藤源左衛門の長男と して生まれる 1738 父源左衛門、42才で没 若冲四代目源左衛門となる 1755 次弟白歳に家督を譲り画業に専念する 1764 金刀比羅宮奥書院に赴き障壁画制作 1765 釈迦・普賢・文殊像三幅対、および花鳥図「動植 綵絵」二十四幅を相国寺に寄進 1775 この年板行の「平安人物志」に応挙、若冲、大雅、 蕪村の順で載る 1790 大阪西福寺および伏見海宝寺にて障壁画制作 1799 石峯寺本堂天井画花卉図制作 1800 九月八日没 相国寺で法要が行われる 1889 相国寺「動植綵絵」三十幅を宮中へ献納 2016 東京都美術館で「生誕300年記念 若冲展」開催 技 法 彩美版®シルクスクリーン手刷り 【限定800】 画面寸法 天地:65.2cm×左右:36.6cm 額縁の外寸法 天地:83.0cm×左右:54...

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奥村土牛 百寿記念 木版画「 山なみ」 額装 【中古】

内田画廊

99,000

奥村土牛 百寿記念 木版画「 山なみ」 額装 【中古】

百寿記念木版画 ■山なみ 生涯現役で百一歳まで画筆を執り続けた奥村土牛画伯。 中でも富士山を描いた作品は人気が高く 土牛の代名詞と言えます。 平成元年制作ですが、展示焼けなどなく 状態は新品同様です。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■奥村土牛 おくむらどぎゅう 1889 東京・京橋に生まれる 1905 梶田半古塾に入門 小林古径らに指導を受ける 1927 再興第14回院展にて『胡瓜畑』が初入選 以後院展に出品を重ねる 1932 日本美術院同人に推挙される 1947 帝国芸術会員に任命される 1958 財団法人となった日本美術院の監事および評議員となる 1959 日本美術院理事となる 1962 文化勲章を受章 1978 日本美術院理事長となる 1990 101歳で逝去 長野県に『奥村土牛記念美術館』開館 2010 山種美術館にて大規模な回顧展開催 作家名 奥村土牛 題 名 山なみ 版 式 木版画(アダチ版画研究所) 落 款 朱落款 限定部数 227/250 画面の寸法 縦35.5×横41.5cm 額縁の外寸法 縦60.7×横65.5×厚み4.0cm 額縁の仕様 木製額縁・裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 アクリル 重 量 約3.7kg 付属品 布タトウ箱(黄袋付き) 状 態 【新古品】 平成元年十一月(1989年)制作 展示焼けなどなく、作品・額縁ともに 状態は新品同様です。

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小倉遊亀 「 つかのま 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り 額装

内田画廊

203,500

小倉遊亀 「 つかのま 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り 額装

−小倉遊亀がひと際慈しんだ梅の花ー ■つかのま 限定300部 梅は冬の厳しい寒さの中、蕾を膨らませます。 寒さの苦しみに耐え、先陣を切って春を伝える姿には、 気持ちを励まされる時があります。 小倉遊亀は、「梅は老いて美にますます深みを増す」 と言い、梅の木に特別な愛情を注いでいました。 樹齢を重ねても生命力に溢れた梅の姿に、 元気づけられていたのでしょう。 七〇歳を過ぎてからの作品に、梅がたびたび登場します。 本作品は八八歳、末広がりの「八」が二つ重なる 大変おめでたい米寿の年に製作されました。 凛と伸びる枝や、満開に咲いた白梅の「つかのま」の 美しさが、画伯の優しい眼差しを通して力強く、 かつ繊細に描かれています。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 『初夏の花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館...

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安田靫彦 「 梅花定窯瓶 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 併用 複製画 額装

内田画廊

132,000

安田靫彦 「 梅花定窯瓶 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 併用 複製画 額装

梅花定窯瓶 ばいかていようへい 定窯瓶は実在の磁器だが、その搔落文は作者により描き加え られたものである。 靫彦は東洋陶磁の研究を重ねていくうちに興味を覚えた文様を 華とのバランスを考えて刻み、しばしば画面上で新たな白磁 手瓶を生み出していった。 作品中、瓶はやや左に置かれ、太く屈折した枝が具合よく伸びて 画面に調和をもたらしている。 渋い赤の背景は「たらしこみ」によって濃厚さを増し、それに より赤みがかった乳白色の定窯の瓶、梅の花、そして梅の黒い 枝が効果的に映えてくる。 靫彦らしい明快さを伴う、目に鮮やかな作品である。 付属解説書より抜粋 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 安田靫彦 1884 東京・日本橋に生まれる 1898 紫紅会を結成 1914 日本美術院の再興に参加 1922 新潟・出雲崎に良寛堂を設計 1938 第二回文展出品 1941 再興第28回院展に出品 朝日文化賞を受ける 1944 東京美術学校の教授となる 1948 文化勲章を受賞 1950 文部省文化財専門審議会の専門委員となる 1958 日本美術院の初代理事長に就任 1963 「梅花定窯瓶」を制作 1964 再興第49回院展に出品 1965 東京藝術大学名誉教授となる 「菖蒲」制作 1967 法隆寺金堂壁画再現模写を前田青邨と共に総監修 1968 皇居に完成した新宮殿千草の間に歌額「万葉秀歌」の 書を納める 1978...

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土田麦僊 「 金魚図 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り 複製画 額装

内田画廊

99,000

土田麦僊 「 金魚図 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り 複製画 額装

金魚図 当時新種の「庄内金魚」と思われる三匹の金魚が写実的な 筆致で描かれている。 優美な姿や面構には風格さえ感じられるが、さらに面白いのは 金魚鉢どころか水さえ描かないこの構図である。 空間恐怖症と言って、西欧などでは何もない空間を恐れて 画面を埋め尽くすが、日本ではむしろ想像を遊ばせる「意味 ある余白」として楽しむことが多い。 洋行後、かえって日本美へ意識は深まったのであろう。 お陰で金魚は、実にのびのびと無限空間を遊泳することが できるのである。 (美術評論家 谷岡 清氏による解説より抜粋) 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 土田麦僊 明治20 新潟県佐渡郡に生まれる 明治36 鈴木松年の息子、松僊の教えを受ける 明治37 竹内栖凰に入門 明治41 第二回文展出品 三等賞受賞 明治42 京都市立絵画専門学校に別科に入学 明治44 同校を卒業 第5回文展に入選 大正元 第6回文展出品作が文部省買上となる 大正4 第9回文展出品 三等賞受賞 大正6 国画創作協会設立 大正7 国画創作協会第一回展出品 大正8 文展が帝展となり無鑑査に推挙される 大正13 第4回国展出品 大正14 「金魚図」制作 昭和2 フランスのレジョン・ドヌール・シュバリエ勲章 文部省教育美術賞を受ける 昭和4 フランス政府・宮内庁買上 帝展に復帰 昭和5 帝展の審査員となる 昭和9 帝国美術院会員となる 昭和11 逝去...

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石踊達哉 「 しだれ桜 」 彩美版 IWA-E 複製画 額装

内田画廊

220,000

石踊達哉 「 しだれ桜 」 彩美版 IWA-E 複製画 額装

しだれ桜 典雅の色彩 流麗な線描 新しい花鳥風月の世界を確立した日本画壇の異才 「瀬戸内寂聴訳源氏物語」全54帖の装幀画を描き下ろし 一躍人気を博した日本画壇の異才、石踊達哉。 近年には金閣寺、三十三間堂、回向院など歴史ある寺院より 依頼を受け、見事な作品を奉納しました。 本作は画伯が描いた「しだれ桜」 豪華絢爛な朱と金地の背景に、枝垂桜と柔らかな月が 浮かびます。 【 彩美版 IWA−Eとは 】 日本画特有の画材、岩絵具の質感と美しい色調を再現する ために生み出された新時代の画期的な技法です。 (特許第4504913号) 【 岩絵具の質感を再現 】 岩絵具と同質の材料である胡紛や方解石の粉末をふんだんに 使用し、岩絵具特有のざらざらした質感、風合いをつくり 出しました。 従来の複製画にはない質感をお楽しみいただけます。 【 美しい色合い 】 最新のデジタル加工技術とプリント技術、伝統的な版画技法を 組合せ、美しい発色を可能にしました。 絶妙なグラデーションや鮮やかな金や銀の表現は、息をのむ ほどです。 石踊達哉 いしおどりたつや 1945 旧満州に生まれる 1970 東京藝術大学大学院修了 1975 春季創画展に出品(76春季展賞受賞) 1977 山種美術館賞展に出品 1990 「両岸の眼」展に出品(99河北倫明賞受賞) 1992 「しだれ桜」制作 1996 日本画の新世代展96に出品(大丸東京店他) 1998 瀬戸内寂聴と「源氏物語」展に描き下ろし五十四帖 装幀画原画を出品(高島屋日本橋店他全国10会場) 画集「源氏物語絵詞」を出版(講談社) フランクフルト国際書店展に「源氏物語絵詞」を展示 2000 「星河」制作 ...

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片岡球子 オリジナルリトグラフ 連作 《 めでたき"富士 》「 雪月花 」より「 月 」【中古】

内田画廊

396,000

片岡球子 オリジナルリトグラフ 連作 《 めでたき"富士 》「 雪月花 」より「 月 」【中古】

めでたき富士《雪月花》より ■月 生前に制作されたオリジナルリトグラフの連作 《めでたき富士》「雪月花」中の一作『月』です。 (解説より抜粋) 片岡先生の生涯のテーマの一つである霊峰富士の雄姿が 先生の夢と憧れを込めた化身として、神々しく描かれており 富士山と画かの相互の「気」を感じる迫力ある出来栄えです。 片岡先生のリトグラフ制作は、先ず石版石への主版の描線から 始まります。 重さ数十kgの石の固まりの表面に一気に筆を躍らせ、 先ず画面の骨格とも呼べる主版(墨版)を仕上げてから、 様々な色合いと調子を表現する色版作りに取りかかられます。 そして幾つもの「版」の重なりによって、 平明な版画の絵肌に豊かな表情を持たせる手法が 用いられています。 絶妙な色彩と筆致の組み合わせによる 素晴らしい作品となりました。 ■片岡球子 かたおかたまこ 1905 北海道札幌市に生まれる 1926 女子美術専門学校日本画科高等科卒業 横浜市大岡尋常高等学校(現:市立大岡小学校)の 教諭となり教職を続けながら制作に打ち込む 1930 再興第17回院展にて『枇杷』が初入選 1939 院展に出品入選 日本美術院院友に推挙される 1946 安田靫彦に入門 院展に出品入選 日本美術院賞受賞 以後同展で同賞・白寿賞・大観賞など数多く受賞 1952 日本美術院同人に推挙される 1961 芸術選奨文部大臣賞受賞 日本美術院評議員となる 1965 神奈川県立近代美術館賞受賞 1966 愛知県立芸術大学主任教授に就任 富士山を描き始める 1975 日本芸術院賞恩賜賞受賞 1976 勲三等瑞宝章を受章 1978 神奈川文化賞受賞 1981 日本美術院理事となる ...

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石踊達哉 「 星河 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り ( 本金泥 使用 ) 複製画 額装

内田画廊

176,000

石踊達哉 「 星河 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り ( 本金泥 使用 ) 複製画 額装

星 河 西洋と東洋 両洋の眼で捉えた新しい日本画に挑戦 石踊達哉の花鳥風月の世界 天の川、星月夜などは古来から代表的な秋の景だ。 秋の星はいずれもが魅力的で、呼び名も美しい。 流星、星河、銀河…。 星降る夜、月に照らされ、昼間のように明るい秋野。 天と地がひとつになる。 咲き乱れる秋の花々と満点の星が溶け合い光輝くからだ。 秋草が風に揺れる。 桔梗の群青はアズライト、そよぐ萩、女郎花はマラカイト、 吾亦紅の朱色は辰砂の天然鉱物で、緩やかに蛇行する黄金の 河には竹のナイフで5ミリ四方に切った金箔を降り掛け、 砂子もたっぷり撒く。 奥深い太古の世界に迷い込んで地の底で眠り続け、生き存って きた貴石。 その石が細かく砕かれて日本画の「岩絵具」として使われ、 天空の星のような輝きを放つ。 大地に秘められた宝石の粉で絵を描くー。 平安の世に生まれた国宝「源氏物語絵巻」。 悠久の時を経てもその手法は何も変わっていない。 作者のことば(解説書より) 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 石踊達哉 いしおどりたつや 1945 旧満州に生まれる 1970 東京藝術大学大学院修了 1975 春季創画展に出品(76春季展賞受賞) 1977 山種美術館賞展に出品 1990 「両岸の眼」展に出品(99河北倫明賞受賞) 1996 日本画の新世代展96に出品(大丸東京店他) 1998 瀬戸内寂聴と「源氏物語」展に描き下ろし五十四帖 ...

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伊東深水 「 吹雪 」 彩美版R シルクスクリーン手 刷り 一部 本金泥 使用 額装

内田画廊

242,000

伊東深水 「 吹雪 」 彩美版R シルクスクリーン手 刷り 一部 本金泥 使用 額装

■吹 雪 美人画の巨匠ー伊東深水・没後五十周年を記念し、 傑作を彩美版で再現した一幅 伊東深水画伯は、明治31年に東京の深川で生まれ 13歳で鏑木清方画伯に師事。 深川生まれであることから、鏑木清方画伯より 「深水」の号を与えられました。 帝展、日展の審査員、理事、日本芸術院会員などを歴任し、 日本画壇の重鎮として不動の地位に。 浮世絵の伝統を受け継ぐ洗練された画風は、現代風俗画の 新境地を開き、その高い芸術性と共に広く親しまれています。 その中でも、戦後間もない昭和21年に描かれた「吹雪」は、 伊東深水画伯の繊細な筆遣いや類まれな感性が申し分なく 発揮された代表作のひとつです。 この機会に、ぜひお手元で珠玉の作品をお楽しみください。 蛇の目傘をすぼめて激しい吹雪の中を座敷へ急ぐ辰巳芸者の 艶姿は、その優雅な顔かたちにも似合わず、芯は強そうで、 すぼめた傘の描き方にも吹雪の激しさがよく表されています。 《 此君亭(しくんてい) 》 画面右下にある落款印には、伊東深水画伯が満足のいく作品に 入れていた朱文長方印の「此君亭」が使用されています。 此君とは竹のこと。 東晋の政治家であり書家である王羲之の第5子の王徽氏が竹を 愛し「何ぞ一日として此の君無かる可けんや」といったという 故事に由来しています。 これは本作が、伊東深水画伯にとって会心の出来であったことを 示しており、価値評価も高いとされています。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 ...

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奥村土牛『大快晴の富士』石版画集「白富士二景より」リトグラフ版画【中古】

内田画廊

55,000

奥村土牛『大快晴の富士』石版画集「白富士二景より」リトグラフ版画【中古】

石版画集「白富士ニ景」より ■大快晴の富士 石版画集「白富士二景」の内の一作 『大快晴の富士』(原画は1980年作の素描)を 額装したものです。 土牛作品の中でも特に人気のある富士山を描いた作品を 版画でお楽しみいただけます。 ■奥村土牛 おくむらどぎゅう 1889 東京・京橋に生まれる 1905 梶田半古塾に入門 小林古径らに指導を受ける 1927 再興第14回院展にて『胡瓜畑』が初入選 以後院展に出品を重ねる 1932 日本美術院同人に推挙される 1947 帝国芸術会員に任命される 1958 財団法人となった日本美術院の監事および評議員となる 1959 日本美術院理事となる 1962 文化勲章を受章 1978 日本美術院理事長となる 1990 101歳で逝去 長野県に『奥村土牛記念美術館』開館 2010 山種美術館にて大規模な回顧展開催 作家名 奥村土牛 題 名 大快晴の富士 石版画集「白富士二景」より 版 式 リトグラフ 22版22色 限定部数 128/250 絵の寸法 縦44.5×横53.0cm 額縁の外寸法 縦70.5×横85.5cm 額縁の仕様 ゴールド色額縁 裏面に壁吊り用金具・ひも 額縁の窓 アクリル 重 量 約3.9kg 版 元 現代版画版元 株式会社大月 付属品 差し箱(黄袋付き) 状 態 【中 古】1990年制作 額縁に多少の経年感がありますが 作品本体に色褪せなどなく コンディションは良好です。

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山内一生 干支 「 酉 」 小原和紙工芸 額縁入り

内田画廊

12,100

山内一生 干支 「 酉 」 小原和紙工芸 額縁入り

■干支 酉 画像はお届けする現品を撮影したものです。 在庫限り。 再入荷の予定はございません。 【小原和紙工芸】 和紙は素材そのものが持つ美しさとともにその永久保存性、 強靭性も併せて世界で最も高く評価されています。 この和紙を、工芸品・美術品として、高度な芸術の分野に 高めたものが小原和紙です。 和紙原料のコウゾを染色しそれを絵具代わりに絵模様を 漉き込んでゆきます。 愛知県西加茂郡小原村は、室町時代からこうぞを栽培し、 手すき和紙製造が盛んでした。 ここで産する良質な和紙は『三河森下紙』として全国に知られ、 紙の村として大いに栄えました。 藤井達吉翁により『美術和紙工芸品』としての地位が確立され 多くの後継者を生み、今日の小原和紙隆盛の礎となりました。 ■山内一生 昭和4年 小原村に生まれる 22年 藤井達吉先生に師事 28年 日展初入選 以後入選18回 33年 愛知県買上 マッカーサー米国大使へ寄贈 名古屋松坂屋画廊にて個展 以後3回 34年 天皇陛下御成婚のお祝い献上の六枚折屏風一双を制作 40年 佐藤総理大臣へ寄贈 日展特選 北斗賞受賞 51年 高松宮妃殿下工房御台臨の栄に浴す 52年 日本現代工芸展審査員 54年 昭和天皇・皇后陛下の御前で小原美術紙の制作 二枚折屏風献上 57年 愛知県芸術文化選奨受章 豊田市芸術文化選奨受章 58年 皇太子、同妃殿下啓の栄に浴す 59年 日本新工芸展・文部大臣賞受賞 60年 天皇陛下より木杯拝受 63年 紺綬褒章受章 平成元年 東海テレビ文化賞受賞 2年 園遊会招待の栄に浴す 愛知県文化功労賞受賞 4年 日工会展...

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山内一生干支「午」(2) 小原和紙工芸額縁入り

内田画廊

12,100

山内一生干支「午」(2) 小原和紙工芸額縁入り

■干支 午 画像はお届けする現品を撮影したものです。 在庫限り。 再入荷の予定はございません。 【小原和紙工芸】 和紙は素材そのものが持つ美しさとともにその永久保存性、 強靭性も併せて世界で最も高く評価されています。 この和紙を、工芸品・美術品として、高度な芸術の分野に 高めたものが小原和紙です。 和紙原料のコウゾを染色しそれを絵具代わりに絵模様を 漉き込んでゆきます。 愛知県西加茂郡小原村は、室町時代からこうぞを栽培し、 手すき和紙製造が盛んでした。 ここで産する良質な和紙は『三河森下紙』として全国に知られ、 紙の村として大いに栄えました。 藤井達吉翁により『美術和紙工芸品』としての地位が確立され 多くの後継者を生み、今日の小原和紙隆盛の礎となりました。 ■山内一生 昭和4年 小原村に生まれる 22年 藤井達吉先生に師事 28年 日展初入選 以後入選18回 33年 愛知県買上 マッカーサー米国大使へ寄贈 名古屋松坂屋画廊にて個展 以後3回 34年 天皇陛下御成婚のお祝い献上の六枚折屏風一双を制作 40年 佐藤総理大臣へ寄贈 日展特選 北斗賞受賞 51年 高松宮妃殿下工房御台臨の栄に浴す 52年 日本現代工芸展審査員 54年 昭和天皇・皇后陛下の御前で小原美術紙の制作 二枚折屏風献上 57年 愛知県芸術文化選奨受章 豊田市芸術文化選奨受章 58年 皇太子、同妃殿下啓の栄に浴す 59年 日本新工芸展・文部大臣賞受賞 60年 天皇陛下より木杯拝受 63年 紺綬褒章受章 平成元年 東海テレビ文化賞受賞 2年 園遊会招待の栄に浴す 愛知県文化功労賞受賞 4年 日工会展...

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山内一生 干支 「 申 」 小原和紙工芸 額縁入り

内田画廊

12,100

山内一生 干支 「 申 」 小原和紙工芸 額縁入り

■干支 申 画像はお届けする現品を撮影したものです。 在庫限り。 再入荷の予定はございません。 【小原和紙工芸】 和紙は素材そのものが持つ美しさとともにその永久保存性、 強靭性も併せて世界で最も高く評価されています。 この和紙を、工芸品・美術品として、高度な芸術の分野に 高めたものが小原和紙です。 和紙原料のコウゾを染色しそれを絵具代わりに絵模様を 漉き込んでゆきます。 愛知県西加茂郡小原村は、室町時代からこうぞを栽培し、 手すき和紙製造が盛んでした。 ここで産する良質な和紙は『三河森下紙』として全国に知られ、 紙の村として大いに栄えました。 藤井達吉翁により『美術和紙工芸品』としての地位が確立され 多くの後継者を生み、今日の小原和紙隆盛の礎となりました。 ■山内一生 昭和4年 小原村に生まれる 22年 藤井達吉先生に師事 28年 日展初入選 以後入選18回 33年 愛知県買上 マッカーサー米国大使へ寄贈 名古屋松坂屋画廊にて個展 以後3回 34年 天皇陛下御成婚のお祝い献上の六枚折屏風一双を制作 40年 佐藤総理大臣へ寄贈 日展特選 北斗賞受賞 51年 高松宮妃殿下工房御台臨の栄に浴す 52年 日本現代工芸展審査員 54年 昭和天皇・皇后陛下の御前で小原美術紙の制作 二枚折屏風献上 57年 愛知県芸術文化選奨受章 豊田市芸術文化選奨受章 58年 皇太子、同妃殿下啓の栄に浴す 59年 日本新工芸展・文部大臣賞受賞 60年 天皇陛下より木杯拝受 63年 紺綬褒章受章 平成元年 東海テレビ文化賞受賞 2年 園遊会招待の栄に浴す 愛知県文化功労賞受賞 4年 日工会展...

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浜田泰介 「 塔と桜 」 オリジナル リトグラフ【中古】

内田画廊

39,600

浜田泰介 「 塔と桜 」 オリジナル リトグラフ【中古】

醍醐寺霊宝館完成記念 ■塔と桜 世界文化遺産である醍醐寺の障壁画を手掛けた 浜田泰介画伯。 本作は醍醐寺霊宝館の完成を記念して発行された オリジナルリトグラフです。 ■浜田泰介 1932 愛媛県宇和島市に生まれる 1957 京都市立美術大学院修了 1958 朝日新人展・毎日べストリー展選抜(連続4回) 1961 ニューヨークなど海外や国内各地で個展を開催 1962 サンフランシスコ・ガンプスギャラリーにて個展 1965 今日の日本現代展に選抜される(シカゴ) 1966 ニューヨークで5人の日本画家展・個展開催 1992 京都大覚寺障壁画完成 全国巡回展を開催 1994 ワシントンD.C.におけるジャパンフェスティバル出品 1999 世界文化遺産・醍醐寺障壁画完成 2000 第38回密教学芸賞受賞 2001 防衛大学会議室「旭日」大宰府「紅梅白梅」(六曲一双) 2003 東寺観智院書院襖絵完成 2012 第60回愛媛新聞賞(文化部門)受賞 2015 石清水八幡宮障壁画完成 作家名 浜田泰介 題 名 醍醐寺霊宝館完成記念 「塔と桜」 技 法 オリジナルリトグラフ 限 定 73/300 落 款 サイン・朱落款 画面の寸法 縦31.0×横63.5cm 額縁の外寸法 縦56.3×横87.8×2.9cm 重 量 約3.1kg 額縁の仕様 ゴールド色版画仕様額縁・裏面に吊り金具・ひも付き 付属:差し箱(黄袋付き) 額縁の窓:アクリル 状態 【中古】 額縁は多少の経年感がありますが、 画面にシミ・焼けなど無く状態は非常に良好です。

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中島千波 「 櫻花霞富士 」 シルクスクリーン 版画 【中古】

内田画廊

231,000

中島千波 「 櫻花霞富士 」 シルクスクリーン 版画 【中古】

■櫻花霞富士 満開の桜越しに望む富士山。 日本の春の絶景です。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■中島千波 1945 長野県上高井郡小布施町に生まれる 1965 東京芸術大学美術学部日本画科に入学 1969 第54回院展 (東京都美術館) に初出品・初入選 1970 神奈川県美術展 (神奈川県立近代美術館)でK氏賞受賞 1971 東京芸術大学大学院を修了 1977 第32回春の院展、第62回院展でそれぞれ 奨励賞受賞、以後数回受賞 1979 第5回山種美術館賞展 (山種美術館) で優秀賞受賞 1980 第2回日本秀作美術展 (日本橋・高島屋) に選抜出品 1984 「横の会」結成に参加(第10回展で終了) 1988 宮尾登美子作『きのね』(朝日新聞連載小説) の挿絵を制作 1989 ユーロパリア1989ジャパン現代日本画展に出品(ベルギー) 1990 第1回両洋の眼(日本橋・三越)に出品 1992 永井路子作『姫の戦国』(日本経済新聞連載小説)の挿絵を制作 おぶせミュージアム・中島千波館(長野県小布施町) 開館 1993 諏訪北沢美術館10周年記念・中島千波展(長野県)を開催 横浜市民ギャラリー「いきなり拒絶反応しないで」中島千波展開催 1994 東京芸術大学美術学部助教授に就任 鎌倉鶴岡八幡宮 斎館貴賓室床の間壁面に孔雀図制作 1995 パリ三越エトワールにて『中島千波の世界』 パリ展開催 (朝日新闘社主催) 1996 第1回「目それぞれのかたち展」(日本橋・高島屋) 開催 伊藤彬・中野嘉之・中島千波・畠中光享・林功により『目の会』を結成 1999 中島千波屏風絵展 花と富士 (銀座・松坂屋) を開催 宮尾本『平家物語』(週刊朝日連載小説...

吉岡浩太郎 「 天龍赤富士 」(インチ判) ジグレー版画

内田画廊

4,950

吉岡浩太郎 「 天龍赤富士 」(インチ判) ジグレー版画

■天龍赤富士 天の神とされる龍は、神様の中でも最高位の位に あるとされる太陽神とも言われています。 宇宙全体に光を与え、角は生命力、髭は長寿、 巨大な手足は天と地を表し万物の全てを表したものと され、富士山には風水の吉相の地と呼ばれる「龍穴」に エネルギーが集まると言われています。 ■吉岡浩太郎(二代目) 1960 山口県に生まれる 1996 二科展デザイン奨励賞 中部二科展外遊賞 1997 個展 1998 二科会デザイン部会友推挙 個展 ART BOX大賞展入選 1990 孔版画コンクール金賞 個展 2000 個展 2001 二科展デザイン会友賞 毎年個展、グループ展多数開催 2004 中部二科展EXP ACT賞 2005 愛・地球博会場にてワークショップ開催 2006 日韓グラフィックアート展出品 2008 中・日国際交流展出品 北京故宮博物院 2010 個展・グループ展開催 2013 横浜・グッズ001受賞 2014 NBC 国際ビエンナーレ入選 2015 「日立」カレンダー採用 2018 第1回ぎふ美術展出品 2019 「21世紀メッセージ展」銀座ギャラリー暁 個展 ギャラリー204 2020 日本ユネスコ協会ポストカード採用 作家名 吉岡浩太郎 題 名 天龍赤富士 技 法 ジグレー版画 落 款 作者鉛筆サイン 限定部数 800部 画面の寸法 縦15.4×横10.4cm 額縁の外寸法 縦31.0×横25.7cm 額縁の仕様 パールホワイト色版画額縁 裏面に壁吊り用金具・ひも 額縁の窓 UVカットアクリル マット 紙マット 箱 紙箱 重 量 620g

吉岡浩太郎 「 霊峰富士 」(太子判) ジグレ 版画

内田画廊

7,920

吉岡浩太郎 「 霊峰富士 」(太子判) ジグレ 版画

■霊峰富士 富士山は古くから霊峰富士として信仰が伝えられてきました。 噴火を沈静化するため神社が祀られ、修験道の登拝が行われるようになり、 また遠方より望む美しい姿が芸術作品を生み文化を育みました。 その美しい自然の中で悠々とたくましく生きる九頭馬。 馬は財運・出世を象徴する縁起物として昔から言い伝えられています。 九頭馬は 1【商売繁盛】 2【立身出世】 3【夫婦円満】 4【健康】 5【受験合格】 6【縁談】 7【財運向上】 8【勝負事】 9【農漁業】 九つの運気が上昇すると言われています。 『九頭馬』は馬が九頭で『うまく(馬九)いく』という縁起ものです。 ■吉岡浩太郎 1928年 山口県に生まれる 香月泰男に師事 1967年 スクリーン版画の研究を始める 1973年 絵画研究のため渡欧 1974年 セントラル画廊でシルクスクリーン版画個展 1996年 日蓮宗円頓寺壁面画制作 1997年 以降 毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー、雑誌(表紙)掲載 2004年 東京絵画フェスティバル出品 2006年 ユニセフ絵葉書に決定 2007年 技術評論社「和の趣」に掲載 2008年 西京銀行2008年カレンダー採用 風水版画展開催 2011年 額絵画展出品 2012年 個展・グループ展開催 2013年 横濱グッズ-001受賞 2014年 日本ユネスコ協会支援カード採用 2016年 没(享年88歳) 以後、30年以上に渡り一緒に作品制作を行ってきました 息子が初代の意思を継ぎ、2代目浩太郎を襲名 初代作品の名入り管理・販売を2代目浩太郎が行う 作家名 吉岡浩太郎 題 名 霊峰富士 技 法 ジグレ・シルクスクリーン 落 款 作者鉛筆サイン 限定部数 800部...

吉岡浩太郎 「 赤富士 」(さあやるぞ…) 版画色紙

内田画廊

1,485

吉岡浩太郎 「 赤富士 」(さあやるぞ…) 版画色紙

■赤富士 新たなる陽光に赤々と染まり輝く 霊峰富士は一年に一度あるかないかの 奇跡といわれ、神々しいほどの雄姿には 強い開運力があると信じられています。 【 記念品にもおすすめ 】 在庫数以上をご希望の場合は お取り寄せも承ります。 お気軽にお問い合わせくださいませ。 ■吉岡浩太郎 1928 山口県に生まれる 香月泰男に師事 1967 スクリーン版画の研究を始める 1973 絵画研究のため渡欧 1974 セントラル画廊でスクリーン版画個展 1996 日蓮宗円頓寺壁面画制作 1997 以降毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー、雑誌(表紙)掲載 2004 東京絵画フェスティバル出品 2006 ユニセフ絵葉書に決定 2007 技術評論社「和の趣」に掲載 2008 西京銀行2008年カレンダー採用 風水版画展開催 2011 額縁絵画展出品 2013 横濱グッズ-001受賞 2014 日本ユネスコ協会支援カード採用 2016 額縁絵画展出品 各種カレンダー・タウン誌採用 没(享年88歳) 以後30年以上に渡り一緒に作品制作を行ってきた 息子が初代の意思を継ぎ二代目浩太郎を襲名 初代作品の名入り管理・販売を二代目浩太郎が 行う 作家名 吉岡浩太郎 題 名 赤富士 技 法 シルクスクリーン版画 作品の寸法 縦27.2×横24.2cm(色紙) 季 節 一年中 色紙を飾るなら→ 色紙の保管におすすめ→

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グスタフ ・ クリムト 「 ヒマワリの咲く農家の庭 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り クリムト没後100年記念 公式認定複製版画

内田画廊

126,500

グスタフ ・ クリムト 「 ヒマワリの咲く農家の庭 」 彩美版 ・ シルクスクリーン 手刷り クリムト没後100年記念 公式認定複製版画

クリムト没後100年記念 ベルヴェデーレ宮殿公式認定複製版画 ■ヒマワリの咲く農家の庭 【 百花繚乱 ー自然につつまれる極上のくつろぎ 】 本作は、クリムトが残した多くの静謐な風景作品の中でも 特に華麗でクリムトの装飾的美的センスを遺憾なく発揮した 名作だと言えます。 画面いっぱいに湧き上がる瑞々しい花々にあたたかく包み 込まれる感覚は、まさに極上のくつろぎといえるでしょう。 煌めく生気を与えてくれる百花繚乱の「色彩のシンフォニー」 ぜひ、お手元でお楽しみ下さい。 【 ベルヴェデーレ宮殿所蔵 屈指の名作 】 ベルヴェデーレとは「見晴らしのよい丘」を意味し、 マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐ際に 母マリア・テレジアと最後の晩餐をした宮殿といわれて います。 最新の複製技術「彩美版」により、質感や濃淡の 深みなど微細な表現にいたるまで再現しています。 職人によるシルクスクリーン手刷りを施し、色鮮やかで 格調高い仕上がりが実現しています。 熟練した職人技術によるハンドメイド仕上げ、 安心の国内生産による額を採用。 手貼り金箔に、表情豊かな古美加工を施した上質な 特注額が、より一層クリムトの世界観を引き立てます。 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■グスタフ・クリムト Gustav KLIMT 1862 オーストリアに生まれる 1886 ウィーンの新ブルク劇場・階段室の天井画を制作 1890 第1回皇帝賞受賞 1898...

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西田俊英 「 近衛桜 日月 ( 左隻 ) 」 ( このえざくら じつげつ ) 彩美版R シルクスクリーン 手刷り 金泥使用

内田画廊

275,000

西田俊英 「 近衛桜 日月 ( 左隻 ) 」 ( このえざくら じつげつ ) 彩美版R シルクスクリーン 手刷り 金泥使用

■近衛桜 日月(左隻) 悠々たる歴史を見つめた地に 優美に咲く桜が紡ぐ いのちの輪廻の物語 左隻から朝が明けて陽に輝く鬼謀に満ちた華やかな姿となり、 やがて右隻へと陽は移り、しっとりと日暮れ、 静かな三日月世夜となる時の移ろい。 そして小さな蕾から徐々に花開き咲き誇り、 やがて儚く散りゆき、月も失せた薄闇に花嵐が舞う。 幾千、幾万の花弁が毎年のように生まれ爛漫となり、 やがて旅立っていく。 そんな桜花の一生を、日月の移り変わりと共に、 いのちの輪廻をこの屏風の中に込めました。 今回はこの左隻の「日」をメインにした屏風が 版画となりましたが、画面を埋め尽くす優美な桜に、 日本の美しい春の風景や見る方それぞれの懐かしい桜にも 想いを馳せていただき、ひと時の幸せな時間を過ごして いただければと願っております。 西田俊英(付属解説書より抜粋) 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 長年の経験により培われた画像処理技術を元に、 厳選された素材に高精度デジタルプリントを施し、 画材の質感と豊かな色調を再現した共同印刷独自の 高級美術複製画です。 一枚一枚に職人の手刷りによるシルクスクリーンを施し 豊かな色彩や筆遣いといった原画の持つ鼓動までも 表現しています。 半世紀以上にわたり高級複製美術品の制作を続ける 共同印刷の《彩美版R》は業界屈指のブランドとして、 その高い品質から多くの美術愛好家の方々に支持されており 美術関係者からも高い評価を得ています。 ■西田俊英 にしだしゅんえい 1953 三重県伊勢市に生まれる 1975 再興第60回院展初入選 1977 武蔵野美術大学日本画科卒業 奥村土牛・塩出英雄に師事 1983...

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山内一生 「 鉄線花 」(2) 小原和紙工芸 F4 ( 4号 )【中古】

内田画廊

18,700

山内一生 「 鉄線花 」(2) 小原和紙工芸 F4 ( 4号 )【中古】

■鉄線花 【小原和紙工芸】 和紙は素材そのものが持つ美しさとともにその永久保存性、 強靭性も併せて世界で最も高く評価されています。 この和紙を、工芸品・美術品として、高度な芸術の分野に 高めたものが小原和紙です。 和紙原料のコウゾを染色しそれを絵具代わりに絵模様を 漉き込んでゆきます。 愛知県西加茂郡小原村は、室町時代からこうぞを栽培し、 手すき和紙製造が盛んでした。 ここで産する良質な和紙は『三河森下紙』として全国に知られ、 紙の村として大いに栄えました。 藤井達吉翁により『美術和紙工芸品』としての地位が確立され 多くの後継者を生み、今日の小原和紙隆盛の礎となりました。 ■山内一生 昭和4年 小原村に生まれる 22年 藤井達吉先生に師事 28年 日展初入選 以後入選18回 33年 愛知県買上 マッカーサー米国大使へ寄贈 名古屋松坂屋画廊にて個展 以後3回 34年 天皇陛下御成婚のお祝い献上の六枚折屏風一双を制作 40年 佐藤総理大臣へ寄贈 日展特選 北斗賞受賞 51年 高松宮妃殿下工房御台臨の栄に浴す 52年 日本現代工芸展審査員 54年 昭和天皇・皇后陛下の御前で小原美術紙の制作 二枚折屏風献上 57年 愛知県芸術文化選奨受章 豊田市芸術文化選奨受章 58年 皇太子、同妃殿下啓の栄に浴す 59年 日本新工芸展・文部大臣賞受賞 60年 天皇陛下より木杯拝受 63年 紺綬褒章受章 平成元年 東海テレビ文化賞受賞 2年 園遊会招待の栄に浴す 愛知県文化功労賞受賞 4年 日工会展・文部大臣賞受賞 6年 日本橋三越本店にて個展 美術年鑑掲載 作家名 山内一生 題 名 鉄線花...

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紫舟 「 ガラウェイ 」 彩美版R シルクスクリーン版画

内田画廊

275,000

紫舟 「 ガラウェイ 」 彩美版R シルクスクリーン版画

より良い人生へと導く、命の鳥 書と融合し広がる、優雅な火の鳥の舞い ■ガラウェイ GARAWEAG ー書ー 彼の常世の扉が開く カイラーサ 神の懐 三柱の光条 天に抜け 天蓋覆い 山を越え ノック・ガラウェイ 我は旭日 不死の瑞鳥 ガラウェイは、世界中で火の鳥、フェニックス、不死鳥と呼ばれ 存在する命に関する鳥です。 私たちはつい大切なものを、物や仕事などと考えがちですが、 最も大切なのは命です。 そのことを日々忘れずに、より良い人生に導かれるように、 お飾りいただければ幸いです。 版画「ガラウェイ」に寄せて 紫舟 ●現代アーティストとして広く活躍する紫舟氏の代表的なモチーフ 「火の鳥」の中でもダイナミックな構図と豊かな色彩が美しい 六曲一隻屏風《ガラウェイ》を原作とした版画作品です。 ●一枚一枚の仕上がりを作家が確認し、作品と認めたものに サインと落款、エディションナンバーがつけられた150部限定です。 ●シルバーの切廻し箔のマットに浮き出し額を合わせ、 アクリルボックスをかぶせたオリジナルの額装です。 幼少の頃より鳥を描き続けてきたという紫舟氏。 その過程は火の鳥を描くためであったと回想しています。 紫舟氏が火の鳥と出会ったのは約8年前。 南アジアで釈迦の教えの学びを深めて行く中で、これを見たという 人物に出会ったことがきっかけとなり、その姿を描き求めて きました。 信仰の象徴や想像上の生き物というのは、その国の持つ歴史的背景や 思想、文化に大きく影響を受けるもので、それは人によっても 見え方が異なると語る紫舟氏。 「ノック・ガラウェイ(=ガラウェイ)」と名付け、描き続けている 大切なモチーフには、作家のその時の精神性や信仰心が反映されて...

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