内田画廊
198,000円
■夏 草 松尾芭蕉の有名な句から取られた画題の本作は、 大佛次郎の歴史エッセイ「義経の周囲」の挿絵として 描かれました。 中尊寺の秘仏『一字金輪佛頂尊』が、透明感溢れる 柔らかな色彩、繊細かつ大胆な筆遣いで描かれています。 日本芸術院賞受賞後の円熟期に描かれた正静謐な 菩薩像は、まさに小倉芸術の頂点と言えるでしょう。 金色の再現には一部本金泥を使用しています。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で 『没後十年小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 夏 草 技 法 彩美版・シルクスクリーン手刷り 一部本金泥使用 用...
内田画廊
209,000円
■牡 丹 富貴の象徴、百花の王「牡丹」 文化勲章受章の巨匠 前田青が心を込めて描いた逸品 本作は、小林古径、安田靫彦、前田青邨、奥村土牛などの 錚々たる画家たちで構成された清流会に出品された作で、 青邨の代表的静物画と評価される。 絢爛に咲き誇る牡丹、緑青の葉にはたらしこみが用いられ、 その樣が朱の模様の壺と美しさの競演をしている。 画面上部の余白には金泥の隈取りが施され、 吉兆と装飾性を加味している点も見事といえる。 明治美術の偉大な先覚者である岡倉天心は「芸術は形を 移すのではなく、ものの心を移すべきだ」と、青邨を 諭した。 青邨自身も対象をスケッチする際の心構えを「スケッチを することは、私にとって、実に大きな喜びだ。自分の眼に 美しいと感じられたものの、その美しさを、自分の筆に 描きとどめる喜び。殊にまた、対象の気持ちがよくとれた 時の、なんとも言えず深い喜び…。」と述べている。 この「牡丹」は、天心の教え、事故に課した心構えが 率直に生かされているがゆえにと貴いといえるであろう。 (美術評論家、前泉屋博古館分館長 川口直宜 付属解説書より抜粋) 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■前田青邨 まえだせいそん 明治18 岐阜県中津川市に生まれる 明治34 尾崎紅葉の紹介で梶田半古の塾に入る 明治35 日本絵画協会・日本美術院連合会が共進会に入選 明治40 紅児会に入る 大正 3 ...
内田画廊
159,500円
■霊峰飛鶴 白雲に柔らかく覆われた富士。 瑞光を受けて飛翔する一群の鶴。 それは国の平安を祈念し、清浄さに満ちた日本を思い続けた 画家、横山大観がついに到達した理想の姿である。 日本の精神的象徴とも言える富士山が、平成25年(2013年)に 世界文化遺産に登録されたことは慶びにたえない。 昭和28年(1953年)に描かれた「霊峰飛鶴」は、 85歳の老いた大観の澄み切った境地をみる作風である。 金泥で刷かれた瑞光を背景に輝く富士の前に鶴が、 群れをなし飛翔している。 これは、時の流れを示す絵巻表現に用いられる異時同画法で あろう。 正に吉祥を表している。 ちなみに昭和42年(1967年)には国際観光年記念切手となった。 横山大観記念館代表理事 横山隆氏による解説より 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■横山大観 明治元 茨城県水戸市に生まれる 明治22 東京美術学校に第一期生として入学 明治26 同校を卒業 明治29 同校図案科助教授となる 明治31 美術学校騒動 校長:岡倉天心らと共に辞職 日本美術院創立に参画 明治40 第一回文展審査員を務める 大正3 日本美術院再興 再興第一回院展を開催 昭和5 ローマ日本美術院展開催 昭和6 帝室技芸員となる 昭和10 改組帝国美術院会員となる 昭和12 第一回文化勲章を受章 ...
内田画廊
220,000円
神業の筆致ここに極まれり ■桃 花 前田青邨画伯の愛弟子の一人、 日本美術院同人:今井珠泉先生監修の元に再現した 作品です。 彩美版により、垂らし込み技法を駆使した青邨の 洗練された筆致を再現し、一枚ずつ手作業で シルクスクリーンを施しています。 金色の再現には、本金泥をシルクスクリーンインキに 混ぜて使用しています。 平塚市美術館長:草薙奈津子氏による書下ろし解説書と 今井珠泉氏ロングインタビュー冊子が付属します。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■前田青邨 まえだせいそん 明治18 岐阜県中津川市に生まれる 明治34 尾崎紅葉の紹介で梶田半古の塾に入る 明治35 日本絵画協会・日本美術院連合会が共進会に入選 明治40 紅児会に入る 大正 3 日本美術院同人に推挙される 大正 9 延暦寺より伝教大使絵伝のうち「根本中堂落慶供養図」 を依頼される 昭和 5 第一回朝日章受章 昭和12 帝国芸術院会員となる 昭和19 帝室技芸員となる 昭和26 東京芸術大学教授となる 昭和30 文化勲章受章 中津川市名誉市民となる 昭和39 日光二荒山神社宝物館壁画「山霊感應」を完成奉納 昭和41 ローマ法皇庁からの依頼で「細川ガラシャ夫人像」を バチカン宮殿に納める 昭和52 逝去 享年92 作家名 前田青邨 題 名 桃 花 限 定 300部 版 式 彩美版・シルクスクリーン手刷り 用...
内田画廊
176,000円
星 河 西洋と東洋 両洋の眼で捉えた新しい日本画に挑戦 石踊達哉の花鳥風月の世界 天の川、星月夜などは古来から代表的な秋の景だ。 秋の星はいずれもが魅力的で、呼び名も美しい。 流星、星河、銀河…。 星降る夜、月に照らされ、昼間のように明るい秋野。 天と地がひとつになる。 咲き乱れる秋の花々と満点の星が溶け合い光輝くからだ。 秋草が風に揺れる。 桔梗の群青はアズライト、そよぐ萩、女郎花はマラカイト、 吾亦紅の朱色は辰砂の天然鉱物で、緩やかに蛇行する黄金の 河には竹のナイフで5ミリ四方に切った金箔を降り掛け、 砂子もたっぷり撒く。 奥深い太古の世界に迷い込んで地の底で眠り続け、生き存って きた貴石。 その石が細かく砕かれて日本画の「岩絵具」として使われ、 天空の星のような輝きを放つ。 大地に秘められた宝石の粉で絵を描くー。 平安の世に生まれた国宝「源氏物語絵巻」。 悠久の時を経てもその手法は何も変わっていない。 作者のことば(解説書より) 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 石踊達哉 いしおどりたつや 1945 旧満州に生まれる 1970 東京藝術大学大学院修了 1975 春季創画展に出品(76春季展賞受賞) 1977 山種美術館賞展に出品 1990 「両岸の眼」展に出品(99河北倫明賞受賞) 1996 日本画の新世代展96に出品(大丸東京店他) 1998 瀬戸内寂聴と「源氏物語」展に描き下ろし五十四帖 ...
内田画廊
297,000円
■吉祥乃花乱舞 ー書ー 天高く ひと声寿ぎ 祝の翼 紅白零れ 連理の枝 慶兆の喜び 「人々の弥栄、繁栄、吉祥を願うためにも、 他者の命を奪わず(殺生したものを口にしない =肉魚を抜く)節制をした日々の中で筆をとりました。 他の命を敬いすべての生き物を尊びながら、 高い集中力で仕上げた本作には吉祥の命が宿ると 信じています。」 《 吉祥乃花乱舞 》に寄せて 紫舟 《 鶴 梅 》 いよいよ目出度い様を表すことわざ 『 鶴が梅を背負ってくる 』 端鳥「鶴梅」が現れた一家には、 吉祥と溢れ出る豊かさの恩恵が訪れると云う。 そしてその尾の茂る「桜切るばか梅切らぬばか」との 言い伝えが今では、梅の木の剪定の必要性を示す言葉として 定着している。 末代までつづく吉祥と繁栄を願い 「梅の木の剪定を怠るなかれ、鶴梅が去らぬよう」 伝統的な書の域を超え、絵画や彫刻、メディアアートなど 様々な形で「文字」の新たな価値観の創造を続け、 日本の伝統文化を国内外に発信し続ける 書家でアーティストの紫舟。 文字そのものに感情や理を感じさせるかのような力を放つ その作品は、多くの人の心をつかんで離しません。 《吉祥乃花乱舞》は、そんな紫舟氏自身が思い描く端鳥 「鶴梅」を、絵画と書を融合し独自の表現に昇華させて描いた 吉祥の折り溢れる作品です。 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 彩美版の特徴である最新デジタル加工処理技術と高精度 プリント、さらには一枚一枚職人の手刷りによる シルクスクリーンを施し、豊かな色彩や作家の筆遣い、 ...
内田画廊
198,000円
■洋 壺 ようこ 師:安田靫彦から『北鎌倉の特産物』と絶賛された 小倉遊亀の静物画、その真骨頂ともいえる名作。 金地に映える鮮やかな紫ー 遊亀自身が大切にしていた壺に可憐な菖蒲(あやめ)を 生けて、入念に描いた作品。 背景には一部本金泥を使用し、一枚ずつ手作業により 制作しています。 著作権者の特別なご許可のもと、限定二百部のみの ご提供です。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で 『没後十年小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 洋 壺 ようこ 技 法 彩美版・シルクスクリーン手刷り 一部本金泥使用 ...
内田画廊
242,000円
■吹 雪 美人画の巨匠ー伊東深水・没後五十周年を記念し、 傑作を彩美版で再現した一幅 伊東深水画伯は、明治31年に東京の深川で生まれ 13歳で鏑木清方画伯に師事。 深川生まれであることから、鏑木清方画伯より 「深水」の号を与えられました。 帝展、日展の審査員、理事、日本芸術院会員などを歴任し、 日本画壇の重鎮として不動の地位に。 浮世絵の伝統を受け継ぐ洗練された画風は、現代風俗画の 新境地を開き、その高い芸術性と共に広く親しまれています。 その中でも、戦後間もない昭和21年に描かれた「吹雪」は、 伊東深水画伯の繊細な筆遣いや類まれな感性が申し分なく 発揮された代表作のひとつです。 この機会に、ぜひお手元で珠玉の作品をお楽しみください。 蛇の目傘をすぼめて激しい吹雪の中を座敷へ急ぐ辰巳芸者の 艶姿は、その優雅な顔かたちにも似合わず、芯は強そうで、 すぼめた傘の描き方にも吹雪の激しさがよく表されています。 《 此君亭(しくんてい) 》 画面右下にある落款印には、伊東深水画伯が満足のいく作品に 入れていた朱文長方印の「此君亭」が使用されています。 此君とは竹のこと。 東晋の政治家であり書家である王羲之の第5子の王徽氏が竹を 愛し「何ぞ一日として此の君無かる可けんや」といったという 故事に由来しています。 これは本作が、伊東深水画伯にとって会心の出来であったことを 示しており、価値評価も高いとされています。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 ...
内田画廊
209,000円
■千羽鶴 黄金の旭日を背に、幸せを運ぶ鶴の一群 古くから、旭日と千場鶴はめでたきもののシンボルと されてきました。 日本画壇の巨匠、前田青邨画伯が描く、幸せと長寿を 祈願する一枚です。 原画を所蔵するメナード美術館にご協力いただき、 厳密な校正作業を重ねました。 当社『彩美版』により、前田青邨画伯の繊細な筆遣いや、 上品な色彩まで彩現しています。 金色の再現には一部本金泥を使用し、一枚ずつ手作業で シルクスクリーンを施しています。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■前田青邨 まえだせいそん 明治18 岐阜県中津川市に生まれる 明治34 尾崎紅葉の紹介で梶田半古の塾に入る 明治35 日本絵画協会・日本美術院連合会が共進会に入選 明治40 紅児会に入る 大正 3 日本美術院同人に推挙される 大正 9 延暦寺より伝教大使絵伝のうち 「根本中堂落慶供養図」を依頼される 昭和 5 第一回朝日章受章 昭和12 帝国芸術院会員となる 昭和19 帝室技芸員となる 昭和26 東京芸術大学教授となる 昭和30 文化勲章受章 中津川市名誉市民となる 昭和39 日光二荒山神社宝物館壁画 「山霊感應」を完成奉納 昭和41 ローマ法皇庁からの依頼で 「細川ガラシャ夫人像」をバチカン宮殿に納める 昭和52 逝去 享年92 作家名 前田青邨 題 名 千羽鶴 限 定 300部 ...
内田画廊
275,000円
■近衛桜 日月(左隻) 悠々たる歴史を見つめた地に 優美に咲く桜が紡ぐ いのちの輪廻の物語 左隻から朝が明けて陽に輝く鬼謀に満ちた華やかな姿となり、 やがて右隻へと陽は移り、しっとりと日暮れ、 静かな三日月世夜となる時の移ろい。 そして小さな蕾から徐々に花開き咲き誇り、 やがて儚く散りゆき、月も失せた薄闇に花嵐が舞う。 幾千、幾万の花弁が毎年のように生まれ爛漫となり、 やがて旅立っていく。 そんな桜花の一生を、日月の移り変わりと共に、 いのちの輪廻をこの屏風の中に込めました。 今回はこの左隻の「日」をメインにした屏風が 版画となりましたが、画面を埋め尽くす優美な桜に、 日本の美しい春の風景や見る方それぞれの懐かしい桜にも 想いを馳せていただき、ひと時の幸せな時間を過ごして いただければと願っております。 西田俊英(付属解説書より抜粋) 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 長年の経験により培われた画像処理技術を元に、 厳選された素材に高精度デジタルプリントを施し、 画材の質感と豊かな色調を再現した共同印刷独自の 高級美術複製画です。 一枚一枚に職人の手刷りによるシルクスクリーンを施し 豊かな色彩や筆遣いといった原画の持つ鼓動までも 表現しています。 半世紀以上にわたり高級複製美術品の制作を続ける 共同印刷の《彩美版R》は業界屈指のブランドとして、 その高い品質から多くの美術愛好家の方々に支持されており 美術関係者からも高い評価を得ています。 ■西田俊英 にしだしゅんえい 1953 三重県伊勢市に生まれる 1975 再興第60回院展初入選 1977 武蔵野美術大学日本画科卒業 奥村土牛・塩出英雄に師事 1983...
内田画廊
363,000円
■文明の十字路を往く アナトリア高原 カッパドキア トルコ ー東西の文明交流が紡ぎだす悠久の地ー 「シルクロードの西端、トルコの遺跡に立ち、 そこに暮らす人々と交わるうちに、私は東西文明交流の はるかなる歴史のドラマを再現したいという強い願望を いだくようになっていました。 …一生を掛けるに値するものを見いだしたのです」 (『群青の海へ』中央公論社 1988年) 《 平山郁夫画伯 最後の大作 》 赤味がかった不思議な形の奇岩が幾重にも重なり、 その奇岩群の前を通り過ぎようとするラクダの キャラバン。 平山郁夫画伯の終生のテーマ「シルクロード」の 原点となったトルコを題材に定め、病室にありながらも 描き上げた最後の院展出品作品が「文明の十字路を往く アナトリア高原 カッパドキア トルコ」です。 悠久の歴史を経て作られた圧倒的かつ雄大な自然を背景に 過酷な旅を続けるキャラバンを描いた、この最後の大作からは 平山郁夫画伯の自然への敬いと平和への祈りがひしひしと 私たちに伝わってくるようです。 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 彩美版の特徴である最新デジタル加工処理技術と高精度 プリント、さらには一枚一枚職人の手刷りによる シルクスクリーンを施し、豊かな色彩や作家の筆遣い、 原画の持つ絵の鼓動までをも表現いたしました。 ■平山郁夫 1930年 広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ 1952年 東京美術学校日本画科卒業 美術学校卒業と同時に東京芸術大学に奉職 1953年 再興第38回院展にて「家路」が初入選 1964年...
内田画廊
440,000円
特装版 ■アフガニスタンの砂漠を行く・月 ー群青に込めた、平和への祈りー 平山郁夫画伯は日本文化の原点となる仏教を運んだ シルクロードを描くことで「日本人の精神・文化とは 何か」と問い続けました。 そして同時に、平和が保たれることによって東西交易が 可能となることから、「シルクロードを人々がたどって いること自体が平和の象徴」と語っていました。 本作では、満月が煌々と照らし出すアフガニスタンの砂漠を 静かに進む二群の隊商が描かれています。 いくえにも砂丘が重なり、砂漠の風紋は刻一刻と 姿を変えていきます。 画面中央にはひときわ大きく、堂々としたたたずまいの 男性が白馬に乗り、キャラバンを先導しています。 画家はこの男性のことを「アフガニスタンの長」と述べて いますが、一体、誰をあらわそうとしたのかは定かでは ありません。 あるいは、特定の人物を描いたというよりは画家が願う 理想的な指導者の姿を描こうとしたのかもしれません。 (付属解説書より抜粋) 彩美版とは? ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 彩美版の特徴である最新デジタル加工処理技術と高精度 プリント、さらには一枚一枚職人の手刷りによる シルクスクリーンを施し、豊かな色彩や作家の筆遣い、 原画の持つ絵の鼓動までをも表現いたしました。 ■平山郁夫 1930年 広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ 1952年 東京美術学校日本画科卒業 美術学校卒業と同時に東京芸術大学に奉職 1953年 再興第38回院展にて「家路」が初入選 1964年 日本美術院同人に推挙される ...
内田画廊
154,000円
創立300周年記念 ベルヴェデーレ宮殿公式認定 限定300部 ■接 吻 官能的な世界を描き出すクリムトの 甘美で妖艶なマスターピース クリムトはウィーンの世紀末を象徴する存在です。 画家として、特に金の装飾的表現にこだわり、 遂には黄金様式という技法を完成させました。 その彼の黄金様式を取り入れたエポックメイキングな 傑作が、1907~1908年制作の本作「接吻」です。 クリムトが「接吻」を含めた多くの作品に取り入れた 金装飾の豪華絢爛で華麗な効果は、彼が1903年に ビザンティン美術で有名なラヴァンナを訪れ、その 地のモザイクアートに強い感銘を受けたことに 由来するといわれています。 そこで得たインスピレーションをもとに、 クリムトは金を用いた工芸品にも通じる装飾的な 美しさを持った数多くの作品を生み出しました。 その黄金様式の頂点を示す「接吻」に見られる 金装飾の特徴は、金箔をふんだんに使った男女の 煌びやかな佇まいに加えて、作品全体にわたり 燦然たる圧倒的な美しさが描き出されていることです。 また、抽象的な背景にはところどころに金をまぶし、 2人の男女が非日常的な無限空間に存在しているような 表現も強く印象に残ります。 【 ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館 】 オーストリアのウィーンにあるグスタフ・クリムトの コレクションで有名な美術館。 ベルヴェデーレとは「見晴らしのよい丘」を意味し、 マリーアントワネットがフランスに嫁ぐ際に、 母マリア・テレジアと最後の晩餐をした宮殿と いわれています。 バロックの総合芸術であるベルヴェデーレ宮殿は、 現在はギャラリーとしてクリムトをはじめオーストリア 美術の全貌を知ることができる充実したコレクションを 所蔵しており...
内田画廊
132,000円
菖 蒲 金地に映える紫紺の麗華 典雅なる深美の世界 金地に描かれた色鮮やかな菖蒲。 歴史画の大家、安田靫彦画伯の秘められた名作を忠実に 再現しました。 本作は、画伯81歳の晩年に描かれた作品です。 緊密に敷かれた金泥の上に、凛とした菖蒲が二輪描かれており 安田画伯ならではの上品な雰囲気が漂います。 菖蒲は安田画伯が好み、生涯を通じて多くの作品に描いた 花です。 自邸の庭で栽培していたこともあって頻繁に写生していたと いい、本作の見事な表現からも、画伯が永く菖蒲を見、描いて きたことが伝わってきます。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 安田靫彦 1884 東京・日本橋に生まれる 1898 紫紅会を結成 1914 日本美術院の再興に参加 1922 新潟・出雲崎に良寛堂を設計 1938 第二回文展出品 1941 再興第28回院展に出品 朝日文化賞を受ける 1944 東京美術学校の教授となる 1948 文化勲章を受賞 1950 文部省文化財専門審議会の専門委員となる 1958 日本美術院の初代理事長に就任 1964 再興第49回院展に出品 1965 東京藝術大学名誉教授となる 「菖蒲」制作 1967 法隆寺金堂壁画再現模写を前田青邨と共に総監修 1968 皇居に完成した新宮殿千草の間に歌額「万葉秀歌」の 書を納める 1978 死去 享年94歳 原画所蔵 古川美術館 版 式 彩美版・シルクスクリーン併用 限定:300部 ...
内田画廊
55,000円
■モネの池に蛙遊ぶ 大胆な構成と繊細な筆遣いが共存する独自の世界は 『平松山水』と言われ高く評価されています。 日本画との共通点が多い印象派の巨匠モネを研究し、 近年は、モネの作品を日本画の感性と手法で再解釈した オマージュ作品を多数制作しています。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■平松礼二 1941年東京生まれ 創画会賞 春季展賞受賞 中日大賞展大賞受賞 セントラル日本画大賞展優秀賞受賞 MOA美術館岡田茂吉賞受賞 山種美術館賞展大賞受賞 「文芸春秋」表紙画担当 多摩美術大学客員教授 作家名 平松礼二 題 名 モネの池に蛙遊ぶ 技 法 リトグラフ20版20色 落 款 作者鉛筆サイン 限定部数 2/200 画面の寸法 縦32.5×横45.5cm 額縁の外寸法 縦57.5×横70.0×厚み4.2cm 額縁の仕様 金泥色版画額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 アクリル マット 樹脂マット 装 丁 布タトウ箱(黄袋付き) 重 量 約4.3kg 状 態 【中古】 額縁に少し小さなキズがありますが、 それ以外は気になる劣化もなく とてもきれいな状態です。
内田画廊
275,000円
■神州第一峰 左 隻 伊豆の達磨山から見た富士が、宝永山が隠れて 理想的形とされ、大観富士の原型となる。 それは同時に暗雲低迷の時局を暗示し、 旭日は悠久の未来を意味した。 そして右に連なるのは箱根連山の現実世界を意味した。 空は金泥に耀き、いま新しい朝が明けたのである。 付属解説書より抜粋 【 原画の仕様・体裁 】 ● 六曲一双(屏風) ● 昭和7年(1932年) ● 紙本彩色 ● 各164×361センチ ● 所蔵:公益財団法人 足立美術館 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ※「 神州第一峰(右隻)」はこちらから ■横山大観 明治元 茨城県水戸市に生まれる 明治22 東京美術学校に第一期生として入学 明治26 同校を卒業 明治29 同校図案科助教授となる 明治31 美術学校騒動 校長:岡倉天心らと共に辞職 日本美術院創立に参画 明治40 第一回文展審査員を務める 大正3 日本美術院再興 再興第一回院展を開催 昭和5 ローマ日本美術院展開催 昭和6 帝室技芸員となる 昭和7 『神州第一峰』を制作 昭和10 改組帝国美術院会員となる 昭和12 第一回文化勲章を受章 帝国美術院会員となる 昭和18 『霊峰春色』を制作 昭和33 逝去:享年89歳 正三位勲一等に叙せられ旭日大綬章を ...
内田画廊
27,500円
■精進湖 横山大観・河合玉堂などから高い評価を受けたと言われる 山元櫻月の、肉筆パステル画です。 画像はお届けする現物を撮影したものです。 ■山元櫻月 1887 滋賀県に生まれる 1900 山元春挙に師事 当時の号は春汀 1914 文展初入選 以後1928年まで文展・帝展連続入選 1928~1934 帝展推薦(無鑑査) 1933 師 春挙 没 1935 春汀より櫻月に号を改む 帝展退会、以後画壇を離れる 1942 東京国立近代美術館収蔵 1954 ルーブル美術館収蔵 1973 宮中新宮殿収蔵 1985 没 作家名 山元櫻月 題 名 精進湖 技 法 パステル(完全肉筆・真筆保証) 落 款 朱落款 作品の寸法 33.3×24.2cm(F4) 額縁の外寸法 52.3×44.0cm 額縁の仕様 金泥額縁 裏面に壁吊り用金具・ひも付き マット 布 地 装丁 布タトウ箱(黄袋付き) 状態 【中 古】 額縁に多少の経年感はありますが 気になる大きなキズはなく状態は良好です。 作品本体に劣化はみられません。
内田画廊
44,000円
■梅花塔韻 樹木の中に配置された古寺の塔は「樹の魂」の象徴として 描かれており、その逞しい生命力を表しています。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■平川敏夫 1924〜2006 1924 宝飯郡小坂井町に生まれる 1950 第三回創造美術展に初入選 1954 新制作協会会員に推挙される 1973 パリで個展開催 1974 創画会会員となる 1981 中日文化賞を受賞 1983 愛知県教育委員会文化功労者表彰受賞 1985 東海テレビ文化賞受賞 1987 豊橋文化賞受賞 1991 愛知県文化仙奨選考委員をつとめる 1995 創画会運営委員長 日本水墨画審査委員をつとめる 2006 逝去 享年81歳 作家名 平川敏夫 題 名 梅花塔韻 技 法 リトグラフ(石版画) 落 款 肉筆サイン・朱落款 限定部数 82/200 画面の寸法 縦41.0×横52.5cm 額縁の外寸法 縦64.5×横75.1×厚み3.7cm 額縁の仕様 金泥額縁・裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 アクリル 重 量 約4.4kg マット 布マット 状 態 【中古】 額縁に少しだけ経年感がありますが 全体的に状態は良好です
内田画廊
120,000円
■猫 繊細な観察力をもって生命の喜びを表現する作者の作品です。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■川島睦郎 1940 京都に生まれる 1958 京都市立美術大学日本画科に入学 1976 日展特選受賞 1978 日展特選受賞 1981 イギリス、フランス、イタリアへ研修 1986 日展審査員 1987 日展会員 1989 日展(日本橋三越本店、京都高島屋) 1992 バルセロナ日本画美術展 1995 川島睦郎展(京都府企画展) 2002 個展(日本橋三越本店、名古屋三越栄本店) 2006 日春展審査員 2008 「いのち讃歌・和」展 (日本橋三越本展・名古屋三越栄本店) 2011 金絹花鳥展(心斎橋大丸) 作家名 川島睦郎 題 名 猫 技 法 紙に岩絵の具(完全肉筆・真筆保証) 落 款 朱落款・金筆サイン 作品の寸法 41.0×53.0cm(P10) 額縁の外寸法 57.8×67.8cm 額縁の仕様 金泥日本画額縁 裏面に壁吊り用金具・ひも マット 樹脂マット 額縁の窓 アクリル 重 量 約4.4kg 装 丁 布タトウ箱(黄袋付き) 状 態 【中 古】良 好 古い作品ですが状態は良好 額縁は新品に交換済
内田画廊
55,000円
初東風 美人画の名手、鏑木清方の作品を木版画でお楽しみいただける 作品です。 こちらの作品は国際文通週間の記念切手に採用されています。 【中 古】 画面の背景部分にいくつかシミがでています(画像参照)。 それ以外の状態は良好です。 鏑木清方 かぶらぎきよかた 明治11 東京神田に生まれる 明治24 永野年方に入門 大正8 第1回帝展審査員をつとめる 大正14 「朝涼」を制作 昭和2 帝国美術院賞を受賞 昭和12 帝国芸術院会員となる 昭和19 帝室技芸員に任命される 昭和21 第1回日展の審査員をつとめる 昭和29 文化勲章受章 昭和47 逝去 享年93歳 平成10 鎌倉市に鏑木記念美術館開館 原画所蔵 東京国立近代美術館 版 式 手刷り木版画 4/300(限定300部) 版元:モモセ版画美術 画面寸法 天地:38.8×左右:47.8cm 額縁寸法 天地:57.7×左右:66.7cm 額縁の仕様 金泥額・額縁裏面に壁吊り用金具・ひも付き 付 属 布タトウ箱(黄袋付き)
内田画廊
55,000円
■兎 繊細な筆致で描く動物や風景画は 従来の日本画の枠を超える表現力に魅了されます。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■中川幸彦 なかがわゆきひこ 1946 神奈川県生まれ 1970 東京藝術大学日本画科卒業 1971 同大学美術研究科修了 1984 現代の裸婦展(日動画廊)入選 1986 現代の裸婦展(日動画廊)招待出品 1992 池袋三越開店35周年記念日本画展招待出品 1994 日本画展大賞展招待 1995 日本棋院発行「棋道」表紙担当 全国有名百貨店にて個展多数 無所属 東京都在住 作家名 中川幸彦 題 名 兎 技 法 紙に岩絵の具(完全肉筆・真筆保証) 落 款 朱落款・金筆サイン 作品の寸法 45.5×53.0cm(F10) 額縁の外寸法 62.5×70.0cm 額縁の仕様 金泥日本画額縁 裏面に壁吊り用金具・ひも マット 樹脂マット 額縁の窓 アクリル 装 丁 布タトウ箱(黄袋付き) 状 態 【中 古】新古品 少し古い作品です。 一度も販売はしておりません。 額縁にわずかな経年感がありますが 状態は非常に良好です。
内田画廊
55,000円
■富 士 生涯現役で百一歳まで画筆を執り続けた奥村土牛画伯。 中でも富士山を描いた作品は人気が高く 土牛の代名詞と言えます。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■奥村土牛 1889 東京・京橋に生まれる 1905 梶田半古塾に入門 小林古径らに指導を受ける 1927 再興第14回院展にて『胡瓜畑』が初入選 以後院展に出品を重ねる 1932 日本美術院同人に推挙される 1947 帝国芸術会員に任命される 1958 財団法人となった日本美術院の監事および評議員となる 1959 日本美術院理事となる 1962 文化勲章を受章 1978 日本美術院理事長となる 1990 101歳で逝去 長野県に『奥村土牛記念美術館』開館 2010 山種美術館にて大規模な回顧展開催 作家名 奥村土牛 題 名 富士 版 式 リトグラフ 落 款 朱落款・版上サイン 限定部数 182/200 画面の寸法 縦35.3×横45.5cm 額縁の外寸法 縦58.2×横67.2×厚み4.9cm 額縁の仕様 金泥色×シルバー色額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 アクリル 重 量 約4.1kg 付属品 差し箱(黄袋付き) 状 態 【中古】 作品・額縁ともに状態は非常に良好です。
内田画廊
110,000円
■佛桑花 ぶっそうげ 本木版画にするために森田りえ子画伯が特別に描き下ろした オリジナル作品です。 花びらには木版刷りには非常に珍しい岩絵具「鶏冠朱」の 鮮烈な赤を使用。 背景には岩絵具「天然群青」と純金泥を使用し、原画に あふれる小さな生命の気高さと、確たる律動を再現。 作者本人の厳密な校正を経て直筆サイン・落款を付して おります。(画面左下) ■森田りえ子 1980 京都芸術大学日本画科大学院修了 1986 第一回川端龍子大賞展 大賞受賞 1990 第一回菅楯彦大賞展 準大賞受賞 1992 京都府文化賞奨励賞受賞 2000 京都市芸術賞新人賞受賞 2006 京都迎賓館に作品制作 2007 金閣寺本堂杉戸絵及び客殿天上画制作 2008 奈良県東大寺絵馬制作(以後毎年制作) 2009 パリ三越エトワールにて「東方彩夢 森田りえ子展」 2009 真澄寺別院流響院襖絵制作 2007 京都府文化賞功労賞受賞 2012 オマーンマスカットにて日本・オマーン国交樹立 40周年記念「森田りえ子日本画展」開催 京都府あけぼの賞受賞 2014 香雪美術館にて「森田りえ子 花らんまん展」 一宮市三岸節子記念美術館にて「きよけく 森田りえ子展」 2015 日本橋三越本店にて「森田りえ子 KAWAII・GITAI」 2016 京都承天閣美術館にて「いのち賛歌 森田りよ子展」 あべのハルカス近鉄本展にて「花の宴 森田りえ子展」 他個展多数 京都芸術大学客員教授 作家名 森田りえ子 題 名 佛桑花 仕 様 技法:古法手摺木版画(純金泥・天然群青使用) 用紙:越前生漉奉書紙(人間国宝9代岩野市兵漉元) 彫師:松田俊蔵(京都府伝統産業優秀事業者) 摺師:竹中清八...
内田画廊
66,000円
■紅白牡丹 師:西村五雲から受け継いだ円山・四条派の写生の伝統と 近代西洋画や革新的日本画の技法を融合し、新しい花鳥画や 動物画を生み出した山口華楊画伯。 名作を木版画で再現しました。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■山口華楊 1899-1984 京都市生まれ 西村五雲に師事 大正5年 第10回文展に初入選 大正8年 京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)を卒業 昭和26年 京都日本画家協会理事長に就任 昭和31年 日本芸術院賞 昭和46年 京都市文化功労賞に顕彰される 日本芸術院会員に推挙 昭和48年 勲三等瑞宝章を賜る 昭和50年 日展顧問に就任 昭和55年 文化功労賞に顕彰される 昭和56年 文化勲章を受賞 昭和59年 京都市にて逝去 作家名 山口華楊 題 名 紅白牡丹 技 法 木版画 落 款 朱落款 限定部数 EA(限定300部) 画面の寸法 縦35.5×横46.5cm 額縁の外寸法 縦55.4×横66.3×厚み4.8cm 額縁の仕様 金泥版画額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 アクリル 箱 布タトウ(黄袋付き) 状 態 【中 古】 額縁側面に経年変化による茶色い点状の変色有り。 作品本体の上部左端にも数点小さいですが 変色部分が有ります。
内田画廊
49,500円
■吉野懐古 生涯現役で百一歳まで画筆を執り続けた奥村土牛画伯。 春の吉野を描いた木版画作品です。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■奥村土牛 1889 東京・京橋に生まれる 1905 梶田半古塾に入門 小林古径らに指導を受ける 1927 再興第14回院展にて『胡瓜畑』が初入選 以後院展に出品を重ねる 1932 日本美術院同人に推挙される 1947 帝国芸術会員に任命される 1958 財団法人となった日本美術院の監事および評議員となる 1959 日本美術院理事となる 1962 文化勲章を受章 1978 日本美術院理事長となる 1990 101歳で逝去 長野県に『奥村土牛記念美術館』開館 2010 山種美術館にて大規模な回顧展開催 作家名 奥村土牛 題 名 吉野懐古 版 式 木版画 落 款 朱落款 限定部数 21/150 画面の寸法 縦37.5×横52.5cm 額縁の外寸法 縦58.5×横73.5×厚み4.3cm 額縁の仕様 金泥額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 アクリル 重 量 約4.5kg 付属品 布タトウ箱(黄袋付き) 状 態 【中古】 正面からは見えない位置ですが、 額縁の側面後方欠けキズがいくつかあります。 作品本体はキズ・汚れなどなく状態は良好です。
内田画廊
77,000円
■神州第一峰 右 隻 伊豆の達磨山から見た富士が、宝永山が隠れて 理想的形とされ、大観富士の原型となる。 それは同時に暗雲低迷の時局を暗示し、 旭日は悠久の未来を意味した。 そして右に連なるのは箱根連山の現実世界を意味した。 空は金泥に耀き、いま新しい朝が明けたのである。 付属解説書より抜粋 【 原画の仕様・体裁 】 ● 六曲一双(屏風) ● 昭和7年(1932年) ● 紙本彩色 ● 各164×361センチ ● 所蔵:公益財団法人 足立美術館 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ※全体図の画像は新品のものを掲載しています 現物の状態の詳細は、額縁枠部分のアップ画像を ご確認ください ※「 神州第一峰(左隻)」はこちら ■横山大観 明治元 茨城県水戸市に生まれる 明治22 東京美術学校に第一期生として入学 明治26 同校を卒業 明治29 同校図案科助教授となる 明治31 美術学校騒動 校長:岡倉天心らと共に辞職 日本美術院創立に参画 明治40 第一回文展審査員を務める 大正3 日本美術院再興 再興第一回院展を開催 昭和5 ローマ日本美術院展開催 昭和6 帝室技芸員となる 昭和7 『神州第一峰』を制作 昭和10 改組帝国美術院会員となる 昭和12 第一回文化勲章を受章 帝国美術院会員となる ...
内田画廊
203,500円
−小倉遊亀がひと際慈しんだ梅の花ー ■つかのま 限定300部 梅は冬の厳しい寒さの中、蕾を膨らませます。 寒さの苦しみに耐え、先陣を切って春を伝える姿には、 気持ちを励まされる時があります。 小倉遊亀は、「梅は老いて美にますます深みを増す」 と言い、梅の木に特別な愛情を注いでいました。 樹齢を重ねても生命力に溢れた梅の姿に、 元気づけられていたのでしょう。 七〇歳を過ぎてからの作品に、梅がたびたび登場します。 本作品は八八歳、末広がりの「八」が二つ重なる 大変おめでたい米寿の年に製作されました。 凛と伸びる枝や、満開に咲いた白梅の「つかのま」の 美しさが、画伯の優しい眼差しを通して力強く、 かつ繊細に描かれています。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 『初夏の花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館...
内田画廊
253,000円
小倉遊亀 生誕110周年記念 ■双 麗 そうれい 大輪の牡丹と古九谷の妙なる取合せ 躍動美あふれる華やかさの中に 小倉遊亀の高雅な精神性が滲みでる逸品 古九谷の鉢にさりげなく入れられた牡丹の花。 永遠の時を与えられた磁器と、束の間の時を燃焼する花。 この二つの異なった時の刻みが、画家の筆によって、 ともに溶け合い、作品となって同じ至福の長い時を刻み 続けている。 小倉遊亀画伯は「私は花と古陶とを並べてみて、 両者がお互いに満足している姿をみました」と言う。 好きな古九谷と、庭で咲いた双輪の牡丹。 お気に入り同士の取り合わせに、最も満ち足りていたのは 画家自身ではあるまいか。 金地の輝きにより、二つの牡丹の白色がいっそう映えて、 まさに双麗と呼ぶにふさわしい作品である。 付属解説書より抜粋 美術評論家 谷岡 清 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1984 『双麗』制作 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる ...
内田画廊
209,000円
■瓶 花 へいか 小倉遊亀が愛蔵した古九谷の壺と、見事に咲いた紅白椿。 円熟期に描かれた珠玉の名画を、著作権者による特別な 許可のもとに複製。 本金箔を使用し、一枚ずつ手作業で制作しました 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で『没後十年 小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 瓶 花 技 法 彩美版・シルクスクリーン手刷り 本金箔を使用 用 紙 かきた 限 定 200部 絵の寸法 33.5×41.0cm 額縁の外寸法 51.5×59.5cm 額縁の仕様 特製木製額金泥仕上げ 裏面に壁吊り用金具・ひも 額縁の窓...
内田画廊
209,000円
■梅 鮮やかな絵付け文様の壺に、春を告げる紅白梅。 背景の金地には本金箔を使用し、一枚ずつ手作業で 制作しました。 円熟期に描かれた名作をお手元に。 著作権者による正式認定の証として、画面左下と奥付に 承認印が捺されます。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術 で『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で『没後十年 小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 梅 技 法 彩美版・シルクスクリーン手刷り 本金箔を使用 用 紙 かきた 限 定 200部 絵の寸法 41.0×28.5cm 額縁の外寸法 59.0×46.5cm 額縁の仕様...
内田画廊
220,000円
■径 こみち ー健やかな家族の絆と、根底に流れる祈りの精神ー 微笑ましい日常の情景と小倉画伯の信念が調和した名作 《 復興第51回院展出品作品 》 昭和から平成にかけて活躍した、日本画壇を代表する 小倉遊亀画伯は、日常生活を主題にした作品を多数 制作しました。 多くの作品は健やかで幸福感に満ちた姿が描かれて いますが、その根底には小倉画伯が大切にした深遠な 思索や慈悲の精神が流れています。 本作の核心は、インドの詩人・タゴールの詩 「虚偽より真実を、闇より光りを、死より永遠の生命を 与えたまえ。」からきており、小倉画伯は生きることの 喜びを感じ合う健やかな世界を描きたかったと語って います。 世の中の悩みや苦しみを癒す教えを解いた先人たちの 英知に学び、歩調を合わせて歩きたいという小倉画伯の 思いから生まれました。 画業が円熟期に達した小倉遊亀の手腕が発揮された 名高い名作です 【 彩美版とは 】 「彩美版R」は共同印刷株式会社の登録商標です。 長年の経験により培われた画像処理技術を元に、厳選された素材に高精度 デジタルプリントを施し、画材の質感と豊かな色調を再現した共同印刷 株式会社独自の高級美術複製画です。 「径」彩美版Rではさらに一枚一枚職人の手刷りによるシルクスクリーンを 施すことで小倉画伯の豊かな色彩や筆遣いといった作品の持つ鼓動までをも 表現しています。 半世紀以上にわたり高級複製美術品の制作を続ける共同印刷の「彩美版R」は 業界屈指のブランドとして、その高い品質から多くの美術愛好家の方に 支持されており、美術関係者からも高い評価を得ています。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事...
内田画廊
253,000円
■菩 薩 この『菩薩』は昭和42年、小倉遊亀画伯72歳の時の 作品である。 昭和16年画伯は『観世音菩薩』を描き院展に出品した。 その時夫である鉄樹師に「あと十年観音様は描けないな」 と言われたという。 それから26年、まさに満を持して発表したのがこの 『菩薩』であった。 よほど強い想いが蓄積されていたのであろう。 翌年続いて『観自在』を描いている。 この絵の『菩薩』は、手に赤い蓮華の蕾を持ち(蓮華手) 頭上に開いた蓮の華(普通は如来形の化仏)を戴く形は、 観世音菩薩であろう。 一連の菩薩像について、画家自身は「少し男性的の菩薩様が 描きたくて…」と述べているが、凛としたお姿には慈悲と ともに、修行の身である厳しさと折れることのない強靭さが 見事に表れている。 色彩豊かな衣の描線も美しい。 美術評論家 谷岡 清氏の解説より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999...
内田画廊
253,000円
■姉 妹 あねいもうと 再興第55回院展出品作品 「この無心な童女の姿が天の真実に直結する瞬間、 私の心をとらえたものがある」 (小倉遊亀『続 画室の中から』より) 小倉遊亀の代表作『姉妹』。 七夕の日に、折り鶴を用意している姉妹を描いた作品です。 原画は滋賀県立近代美術館に所蔵。 少女が手にするハサミには、一枚一枚、本プラチナ泥を 手彩色しています。 著作権者の正式なご許可のもと、限定300部のみの ご提供です。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1970 再興第55回院展に『姉妹』を出品 1972 『瓶花』を制作 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で 『没後十年小倉遊亀展』開催 2014...
内田画廊
203,500円
■椿 ー艶を競う三種の椿ー 金箔時に文字通り花を添える椿は、小倉遊亀が好んで 描いた画題でした。 本作は、三種の椿がその美しさを競い合うように 優雅に咲き誇り、観るものの心にも花を咲かせてくれる 艶やかな名作です。 宮内庁が所蔵する原画を著作権者による正式認可のもと、 特別限定500部制作されました。 「物みな仏」と語った画伯の奥深き感性で描かれた本作を ぜひお手元でお楽しみ下さいませ。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1958 本作「椿」を制作 1962 日本美術院賞受賞 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で『没後十年 小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 椿 技 法 彩美版...
内田画廊
253,000円
菩 薩 手に赤い蓮華の蕾を持ち(蓮華手)、頭上に開いた蓮の華 (普通は如来形の化仏)を戴く観世音菩薩を描いた作品です。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 小倉遊亀 1895 滋賀県に生まれる 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 限 定 300部 証 明 著作権者承認印・限定番号入り奥付けシールを桐箱蓋裏に貼付け 技 法 彩美版・シルクスクリーン併用・一部本金、天然岩絵具手彩色 用 紙 和 紙 寸 法 【画寸法】70.0×48.5cm 【軸寸法】162.5×67.5cm 体 裁 表 装 天 地 中 廻 風 帯 一文字 軸 先 箱 三段表装 淡茶綿 早雲寺 唐草文 緞 子 竹屋町風唐草文 金 襴 為 塗 柾目桐箱 タトウ付 制 作 共同印刷株式会社 美術商品部 万一表装の生地が品切れになった場合、同一品質・似ている 模様の生地を使用することがございます。
内田画廊
363,000円
■月華厳島 平山郁夫が描く世界遺産、厳島神社。 月光に浮かぶ幻想的な神宿る社。 宮島口の港から瀬戸内海の穏やかな海を渡ると、 遥か彼方に小さく見えていた赤い鳥居が次第に大きさを増し やがてその全容が聳え立つように迫ってくるー あの光景ほど、心を震わせるものはない。 平山郁夫画伯は広島県、瀬戸内海の生口島で生まれ、 自然豊かなこの島で海を見ながら育ちました。 この生まれ故郷の生口島にある生口神社と厳島神社は 深い関係があるといわれ、美しい瀬戸内海の風景の中で 過ごした幼い頃の記憶が、後の創作活動にも息づいて います。 厳島神社は海と陸の堺に建てられているため、潮が満ちると あたかも海に浮かんでいるようになります。 本作品は正に月夜に潮が満ちて静寂に包まれた聖域が 描かれています。 全体は群青の色彩にまとめられていますが、その青は 深いものから浅いものまで、大変貴重な岩絵具を使って この神秘の青い世界を描きました。 まさしく平山郁夫画伯お真骨頂である群青の美しい世界が いかんなく描かれています。 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 彩美版の特徴である最新デジタル加工処理技術と高精度 プリント、さらには一枚一枚職人の手刷りによる シルクスクリーンを施し、豊かな色彩や作家の筆遣い、 原画の持つ絵の鼓動までをも表現いたしました。 ■平山郁夫 1930年 広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ 1952年 東京美術学校日本画科卒業 美術学校卒業と同時に東京芸術大学に奉職 1953年 再興第38回院展にて「家路」が初入選 1964年...
内田画廊
363,000円
■光燿厳島 ー輝き満ちる世界遺産の杜ー 群青を主体とした「月華厳島」という名作がある。 先生には必ずと言っていい程、もう一点対になっている 作品が存在する。 その作品が「光燿厳島」である。 シルクロードの駱駝の作品もそうであるように、 東へ向かう行きの作品は群青に彩られているが、 西へ向かう回帰の作品は対照的に金茶色で描かれている。 厳島の作品も力強く生きていこうとする月華厳島は 群青で描かれているが、金色を橋渡しに、 先生の死生観を表すもう一方の光燿厳島は、 赤と緑で表現される。 人は「赤」ん坊として生を受け、 「青」年へと成長していく。 宇宙を見据えた群青の世界から、赤は被爆体験から得た 死の世界であり、緑はそれを力強く乗り越えていった 生の世界である。 先生の人生の中で、生死び狭間を乗り越えて生き抜いた エネルギーを秘めた「光燿厳島」こそが先生の作品の中で 最も高く評価される作品である。 (東京藝術大学名誉教授、日本美術院業務執行理事:宮廻正明氏作品解説より抜粋) 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 彩美版の特徴である最新デジタル加工処理技術と高精度 プリント、さらには一枚一枚職人の手刷りによる シルクスクリーンを施し、豊かな色彩や作家の筆遣い、 原画の持つ絵の鼓動までをも表現いたしました。 この度、原画作品所蔵先のリーガロイヤルホテル広島様 より、「創業65周年を記念し、本作品のすばらしさを より多くの方と共有したい」との思いから、 特別のご協力をいただきました。 本作のために撮り下ろした最新の写真を使用し、厳密な ...
内田画廊
154,000円
■睡 蓮 ー色彩豊かな印象派の絵画空間への誘いー 色鮮やかな睡蓮の花々と水面に映る柳や空 垂直方向に強調された筆触と濃い水の青は、 水中の奥深くまでも観る者の意識を導いていく。 東京・上野の国立西洋美術館の所蔵品の礎となった 「松方コレクション」を代表する一枚《睡蓮》は、 モネが1914年から1926年にかけて制作した大装飾画を 構想する過程で制作した作品と考えられており、 晩年のモネの様式をよく示す重要な作品です。 この貴重な作品の彩美版Rが所蔵先の国立西洋博物館より 正式な監修を受け、同館協力のもと厳密な原画校正を経て 限定300部制作されました。 モネを魅了したジヴェルニーの睡蓮の池、その水面と反映。 鮮やかで重層的な色彩が観る者を、印象派の画家モネ ならではの表現の世界へと誘ってくれる一枚です。 どうぞ心ゆくまでご賞玩ください。 (本作解説書より抜粋) 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■クロード・モネ Claude Monet 1840 パリで生まれる 1865 『草上の昼食』を制作 1874 第一回印象派展開催 1888 『積み藁』の連作に着手 1892 『ルーアン大聖堂』の連作を開始 1899 睡蓮を主題にした作品の制作を始める 1900 テームズ川の連作に取り組む 1916 この頃本作「睡蓮」を制作 1920 『睡蓮』大装飾画の制作を開始 1921 松方幸次郎がモネ邸を訪問...
内田画廊
154,000円
ひなげし咲く丘に重ねる幸福な人生のイメージ ■アルジャントゥイユのひなげし 原作を所蔵するオルセー美術館から正式に複製画 制作の許諾をうけ、制作された高級複製画です。 モネがアルジャントゥイユで過ごした時代のうち 1872から1875年頃にかけての時代は、モネの生涯に おいても特に幸せな時代でした。 経済面では必ずしも恵まれていませんでしたが、 画商のデュラン・リュエルに支えられ、自然豊かな パリ近郊で妻のカミーユと幼い息子ジャンと共に 過ごす日々はモネにとって喜びに満ちたものでした。 この時代のモネは、本作『アルジャントゥイユの ひなげし』のように、自宅にあった野原や家の庭など 家族と共に過ごす身近な日常の景色を題材に多くの 作品を描いており、そこからは画家の目を通してみた 幸福で充実した日常が感じられます。 『アルジャントゥイユのひなげし』彩美版は、 オルセー美術館から正式に提供された画像を使用し、 同館に在籍経験もある東京都美術館館長で美術史家の 高橋明也氏による監修のもと、数多くのモネ作品を 複製画として制作してきた経験と豊かな技術を駆使して 限定300部で制作されました。 印象派の巨匠モネが最も充実していた一時代に描いた 軽やかで美しい初夏の景色をぜひお手元でご堪能下さい。 (本作解説より引用) 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■クロード・モネ Claude Monet 1840...
内田画廊
140,800円
■紅白牡丹 文化勲章受賞作家・奥村土牛画伯が描いた鮮やかな牡丹。 著作権者・所蔵美術館の許可のもと、精密に複製しました。 牡丹の名所・大根島から毎年取り寄せていたというほど 牡丹を好んだ画伯による迫真の一枚です。 彩美版により、微妙な色使いや、奥村土牛画伯らしい 『たらし込み』による表現まで再現しています。 背景の金色の再現には、一枚ずつ手作業でシルクスクリーン を施しています。 原画はメナード美術館所蔵 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■奥村土牛 おくむらどぎゅう 1889 東京・京橋に生まれる 1905 梶田半古塾に入門 小林古径らに指導を受ける 1927 再興第14回院展にて『胡瓜畑』が初入選 以後院展に出品を重ねる 1932 日本美術院同人に推挙される 1947 帝国芸術会員に任命される 1958 財団法人となった日本美術院の監事および評議員となる 『紅白牡丹』を制作 1959 日本美術院理事となる 1962 文化勲章を受章 1978 日本美術院理事長となる 1990 長野県に『奥村土牛記念美術館』開館 101歳で逝去 2010 山種美術館にて大規模な回顧展開催 作家名 奥村土牛 題 名 紅白牡丹 技 法 彩美版・シルクスクリーン手刷り 用 紙 和紙 画面の寸法 縦39.5×横53.0cm 額縁の外寸法 縦57.0×横71.0cm 額縁の仕様 特製木製額金泥仕上げ...
内田画廊
264,000円
■行く春大和 描いたのは、画家自身の心に宿る理想の寺ー 多くの名刹を描いた後藤純男画伯の真骨頂とも いえる、麗らかな春の名作。 大胆な遠近法が試みられた『行く春大和』には、 決して順風満帆とは言えない道を歩んできた、 画家自身の葛藤から導き出された祈りの心がある。 それは、画家が自らに問いかけ紡ぎ出された、画家 独自の揺るぎない美の世界である。 精神的裏打ちを得た美の世界は、桜を描いて尚、 甘やかに華やかになることなく重厚感が漂う。 美しい日本の四季を見つめてきた画家の視線には、 温かさと静寂がある。 散りゆく桜が、季節の移ろいを告げる。 今年もまた春が過ぎて行く。 行定俊文氏(後藤純男美術館 館長)の付属解説書より抜粋 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■後藤純男 ごとうすみお 1930年千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)の真言宗住職の家に 生まれる。 1946年から山本丘人に師事。 1949年からは田中青臺に師事。 1952年再興第37回院展に初入選。 1988年高野山東京別院に襖絵を奉納。 1990年「法隆寺秘宝展」に「百済観音像」を出品、本尊として 会場に安置される。 1993年奈良・真言宗豊山派総本山長谷寺に襖絵を奉納。 1995年パリ三越エトワールで個展開催。本作「秋の談山神社 多武峰」を制作。 1999年東京・高幡不動尊金剛寺に襖絵を奉納。 2012年「後藤純男美術館開館15周年記念...
内田画廊
198,000円
■秋耀白雪 しゅうようはくせつ 秋に耀く祈りの赤 燃えるような「元宋の赤」が美しい秋の裏妙義の情景 雪山の彼方から一条の光が優しく水面に注ぎます ●鮮やかな色の再現のため、一枚ずつ手作業により シルクスクリーンを施しています。 ●正式承認の証として、奥付に承認印が捺されます。 ●元宋夫人で人形作家の奥田小由女による監修・解説。 ●限定300部のみのご提供です。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■奥田元宋 1912 広島県に生まれる 1930 児玉希望のもとで日本画を学ぶ 1937 児玉希望画塾第一回展で塾賞受賞 1938 第2回文展で特選入賞 1949 第5回日展で特選・白寿賞に選ばれる 1962 第5回新日展で文部大臣賞に選ばれる 日展評議員となる 1963 第19回日本芸術院賞を受賞 1973 日本芸術院会員となる 1977 日展理事長に就任 1981 宮中歌会始の召人に選出される 文化功労者として顕彰される 1984 文化勲章を受章 1989 広島県名誉県民となる 1992 『秋耀白雪』を制作 1995 日本芸術院第一部の部長に就任 1996 慈照寺(銀閣寺)に三十面を超える障壁画を完成させる 2000 『米寿記念 奥田元宋・小由女二人展』を開催 2002 『卒寿記念 奥田元宋展』を開催 2003 逝去 享年90歳 従三位に叙され銀杯を贈られる 2006...
内田画廊
165,000円
花の酔 しだれ桜の描かれた屏風を背に、根結い垂髪の女性が、 脇息にわずかに肘をかけて坐している。 白の小袖には、桐の文様が胡紛で描かれており、紅の紐に 下げられた鈴は、醍醐の花見の折りに豊臣秀吉が、花から 鳥を守るために張りめぐらしたという「護花鈴」に違いない。 秀吉一世一代の豪奢を極めた花見を背景においた作品である。 頬をほんのりと上気させながらも、知性と気品をたたえた この女性は、独り宴の喧騒から離れ、花の香りに酔うている かのようだ。 散りかかる花びらと、屏風画中の花との境を紛らすという 一種トリッキーな、計算し尽くした構図。 時代考証の綿密さ。 歴史人物への共感。 すでに後年の靫彦を特徴づける要素は出そろい、なおかつ ふくよかで若々しい精彩感に満ちている。 庄司淳一(宮城県美術館学芸員)氏付属解説書より抜粋 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 安田靫彦 1884 東京・日本橋に生まれる 1898 紫紅会を結成 1912 「花の酔」を制作 1914 日本美術院の再興に参加 1922 新潟・出雲崎に良寛堂を設計 1938 第二回文展出品 1941 再興第28回院展に出品 朝日文化賞を受ける 1944 東京美術学校の教授となる 1948 文化勲章を受賞 1950 文部省文化財専門審議会の専門委員となる 1958 日本美術院の初代理事長に就任 1964 再興第49回院展に出品 1965 東京藝術大学名誉教授となる 「菖蒲」制作 ...
内田画廊
264,000円
■秋の談山神社 多武峰 本作に描かれた談山神社(たんざんじんじゃ)は、 奈良県桜井市の多武峰にあり、桜と紅葉の名所として 知られます。 藤原鎌足の長男・定慧和尚が塔より帰国後、 亡き父の墓を多武峰に移し、十三塔を建立したことが 発祥です。 後の大宝元年(701年)に神殿が創設され、御神像が 祀られました。 談山神社の名は、この地で大化の改新についての 話し合いがされたことから「談い山」「談所ヶ森」と 呼ばれたことに由来します。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■後藤純男 ごとうすみお 1930年千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)の真言宗住職の家に 生まれる。 1946年から山本丘人に師事。 1949年からは田中青臺に師事。 1952年再興第37回院展に初入選。 1988年高野山東京別院に襖絵を奉納。 1990年「法隆寺秘宝展」に「百済観音像」を出品、本尊として 会場に安置される。 1993年奈良・真言宗豊山派総本山長谷寺に襖絵を奉納。 1995年パリ三越エトワールで個展開催。本作「秋の談山神社 多武峰」を制作。 1999年東京・高幡不動尊金剛寺に襖絵を奉納。 2012年「後藤純男美術館開館15周年記念 画業60年後藤純男展」 を横浜そごう美術館で開催。 日本美術院同人・理事・中国西安美術学院名誉教授。 【 後藤純男美術館 】 1987年北海道の厳しい自然にひかれた日本画家・後藤純男画伯は ...
内田画廊
275,000円
■渓澗秋耀 けいかんしゅうよう 日本の自然美に自らの心象を託し、他の追随を許さぬ 風景画の世界を確立した奥田元宋。 とりわけ、峻厳な山岳などを赤色系の岩絵具を幾重にも 塗り重ねて描くいわゆる「元宋の赤」は、その芸術を 特徴づけるものとして名高い。 永井明生(広島県立美術館主任学芸員)解説より抜粋 秋の渓流をモチーフにした奥入瀬の大作。 『渓澗春耀』と共に、広島の県立病院に飾られた陶板画の 原作として制作されました。 元宋画伯の円熟期に描かれた貴重な作品をぜひお手元に。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■奥田元宋 1912 広島県に生まれる 1930 児玉希望のもとで日本画を学ぶ 1937 児玉希望画塾第一回展で塾賞受賞 1938 第2回文展で特選入賞 1949 第5回日展で特選・白寿賞に選ばれる 1962 第5回新日展で文部大臣賞に選ばれる 日展評議員となる 1963 第19回日本芸術院賞を受賞 1973 日本芸術院会員となる 1977 日展理事長に就任 1981 宮中歌会始の召人に選出される 文化功労者として顕彰される 1984 文化勲章を受章 1989 広島県名誉県民となる 1992 『秋耀白雪』を制作 1995 日本芸術院第一部の部長に就任 1996 慈照寺(銀閣寺)に三十面を超える障壁画を完成させる 2000 『米寿記念 奥田元宋・小由女二人展』を開催 ...
内田画廊
99,000円
金魚図 当時新種の「庄内金魚」と思われる三匹の金魚が写実的な 筆致で描かれている。 優美な姿や面構には風格さえ感じられるが、さらに面白いのは 金魚鉢どころか水さえ描かないこの構図である。 空間恐怖症と言って、西欧などでは何もない空間を恐れて 画面を埋め尽くすが、日本ではむしろ想像を遊ばせる「意味 ある余白」として楽しむことが多い。 洋行後、かえって日本美へ意識は深まったのであろう。 お陰で金魚は、実にのびのびと無限空間を遊泳することが できるのである。 (美術評論家 谷岡 清氏による解説より抜粋) 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 土田麦僊 明治20 新潟県佐渡郡に生まれる 明治36 鈴木松年の息子、松僊の教えを受ける 明治37 竹内栖凰に入門 明治41 第二回文展出品 三等賞受賞 明治42 京都市立絵画専門学校に別科に入学 明治44 同校を卒業 第5回文展に入選 大正元 第6回文展出品作が文部省買上となる 大正4 第9回文展出品 三等賞受賞 大正6 国画創作協会設立 大正7 国画創作協会第一回展出品 大正8 文展が帝展となり無鑑査に推挙される 大正13 第4回国展出品 大正14 「金魚図」制作 昭和2 フランスのレジョン・ドヌール・シュバリエ勲章 文部省教育美術賞を受ける 昭和4 フランス政府・宮内庁買上 帝展に復帰 昭和5 帝展の審査員となる 昭和9 帝国美術院会員となる 昭和11 逝去...
内田画廊
275,000円
■霊峰春色 本作の制作年代は厳密には特定できないが、 落款は昭和15から20年頃の作品にみられる 『抜け落款』と言われる書体であり、70歳を超えたにも かかわらず画技も気力も高揚した時期にあたる。 本作においても富士そのものは真景に基づくが、 雲煙の彼方に頭頂部を現し手前に桜を配する構図は 実際の風景とは異なり、富士と桜を配することで 戦時下における国威高揚を示す時代背景に加え、 大観独特の気品や情緒といった精神的な象徴性が 画面に現れている。 かつて取り組んだ朦朧体では色彩を主体とする没骨 描法を試みたが、油彩画と異なり日本画の顔料は マチエール(絵肌)が弱く、水彩画のような味わいの 表現力の弱さが克服できなかった。 後年その経験を踏まえ、墨と色彩を等価におき墨を 色彩として取り入れており、本作でも雪を頂く霊峰は 胡紛と墨彩でくっきり描かれ、富士の白肌が雲煙の 中で清浄に輝きわたっている。 色彩のコントラストにより富士の崇高なさまを表現する とともに、雲煙は幽玄な雰囲気を醸し出し山桜の 薄紅色が画面に華やかさを添えている。 付属解説書より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■横山大観 明治元 茨城県水戸市に生まれる 明治22 東京美術学校に第一期生として入学 明治26 同校を卒業 明治29 同校図案科助教授となる 明治31 美術学校騒動 ...
内田画廊
275,000円
■渓澗春耀 けいかんしゅんよう 日本の自然美に自らの心象を託し、他の追随を許さぬ 風景画の世界を確立した奥田元宋。 とりわけ、峻厳な山岳などを赤色系の岩絵具を幾重にも 塗り重ねて描くいわゆる「元宋の赤」は、その芸術を 特徴づけるものとして名高い。 しかし元宋は、桜咲く春の情景や、見事に色づいた秋の 山河を表した名作も数多く残している 永井明生(広島県立美術館主任学芸員)解説より抜粋 春の渓流をモチーフにした奥入瀬の大作。 『渓澗秋耀』と共に、広島の県立病院に飾られた陶板画の 原作として制作されました。 元宋画伯の円熟期に描かれた貴重な作品をぜひお手元に。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■奥田元宋 1912 広島県に生まれる 1930 児玉希望のもとで日本画を学ぶ 1937 児玉希望画塾第一回展で塾賞受賞 1938 第2回文展で特選入賞 1949 第5回日展で特選・白寿賞に選ばれる 1962 第5回新日展で文部大臣賞に選ばれる 日展評議員となる 1963 第19回日本芸術院賞を受賞 1973 日本芸術院会員となる 1977 日展理事長に就任 1981 宮中歌会始の召人に選出される 文化功労者として顕彰される 1984 文化勲章を受章 1989 広島県名誉県民となる 1992 『秋耀白雪』を制作 1995 日本芸術院第一部の部長に就任 1996 慈照寺(銀閣寺...
内田画廊
198,000円
ー特装版ー ■睡蓮、朝 ●オランジェリー美術館第1展示室に飾られた 「睡蓮、朝」のハイライト部分を再現 その水面の深み、微細な色調を『彩美版R』で表現 ●2014年に発売し好評のうちに完売した同作品を サイズアップした特装版300部限定 《 クロード・モネと水の庭 》 1883年にモネはジヴェルニーに家を借りたのち、 1893年には池の造成に着手。 造園家として水庭園を自ら設計し、 日本風の橋を架け、睡蓮を植えて、 東洋と西洋の出会いを配慮しました。 また、1870年代から80年代以降、 モネは光の効果に興味を抱き、 木々に囲まれ水生植物が彩る水庭園の変化を探り 同じ場所で日中あるいは一年の異なる時間帯を描き 時の歩みを表現したのです。 オランジェリー美術館には八の字型に隣接する 二つの楕円形の部屋にワイドスクリーンの大型の《睡蓮》が それぞれ四点ずつ展示されています。 本作品はその内の《朝》ですが、朝とは言いながら、 穏やかで柔らかい光のもと、睡蓮たちはまだ夢でも みているようにまどろんでいます。 微妙なニュアンスに富む青、緑、紫、白、赤などが 入り交る、モネならではの「彩り交響曲」ともいうべき 世界です。 (解説より抜粋) 《 彩美版とは? 》 長年の経験により培われた画像処理技術を元に、 厳選された素材に高精度デジタルプリントを施し、 画材の質感と豊かな色調を再現した共同印刷独自の 高級美術複製画です。 本作ではさらに一枚一枚職人の手刷りによる シルクスクリーンを施すことで、作品に表された 豊かな色彩や筆遣いといった原画の持つ鼓動までも 表現しています。 ...
内田画廊
126,500円
〜「幸福」の情景を永遠なるものにー ■二人の姉妹 ーテラスにてー のちに女優として名を馳せる18歳のジャンヌ・ダルローを モデルに描かれた屈指の名作を、シカゴ美術館より 正式許可された画像を使用し制作した複製画です。 「オルセー美術館・オランジェリー美術館所蔵 ルノワール展」(2016年・国立新美術館)を キュレーションした横山由季子氏(美術史家/国立新美術館 アソシエイトフェロー)の監修を得て制作しました。 同氏による、作品の魅力がよくわかる解説書が 添えられます。 最新の複製技術「彩美版」により、筆致の細部に いたるまでお楽しみいただけます。 さらにシルクスクリーン手刷りを施し、鮮やかで 深みのある色調が実現しています。 額縁には、熟練した職人が丁寧に仕上げた ハンドメイド額を採用。 金箔仕上げの高級感あふれる特注木製額がお部屋を 明るく彩ります。 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Augeste RENOIR 1841 フランスに生まれる 1862 パリ国立美術学校に入学 1874 ルノワール・モネ・ドガらが中心となり、 第1回印象派展開催 1881 本作「二人の姉妹ーテラスにてー」制作 1892 印象派の画家で初めて作品が国家買上となる 1900 レジオン・ドヌール5等勲章を受章 1919 レジオン・ドヌール3等勲章を受章 78歳の生涯を閉じる...
内田画廊
140,800円
■睡蓮、水のエチュードー雲 オランジェリー美術館の『睡蓮』連作大装飾画は、モネ芸術の 集大成として描かれた記念碑的作品です。 モネの友人で元首相のクレマンソーの働きかけにより、第一次 世界大戦の終結を記念して、フランス国家に寄贈されました。 印象派の殿堂と呼ばれるオランジェリー美術館は『睡蓮』連作 大装飾画を収蔵するため、ナポレオン3世のオレンジ植物園を 改造し、1927年に創設されました。 本作は第一室に飾られた『雲』の全画面より作品のハイライト 部を、フランス国立美術館連合・グランパレ(RMN-GP)の 画像協力を得て制作した複製版画です。 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■クロード・モネ Claude Monet 1840 パリで生まれる 1865 『草上の昼食』を制作 1874 第一回印象派展開催 1888 『積み藁』の連作に着手 1892 『ルーアン大聖堂』の連作を開始 1899 睡蓮を主題にした作品の制作を始める 1900 テームズ川の連作に取り組む 1920 『睡蓮』大装飾画の制作を開始 1926 86歳で逝去 1927 オランジェリー美術館で『睡蓮』大装飾画が公開される 2015 東京都美術館にて「モネ展」開催 作家名 クロード・モネ 題 名 睡蓮、水のエチュードー雲 技 法 彩美版・シルクスクリーン手刷り 画 面 キャンバス 限 定 200部 画面寸法 天地28.3×左右91.0cm(30号大)...
内田画廊
77,000円
■四季の花がたり 秋『秋櫻花』特装版 鉢に入ったコスモスが出回ると、早速買い求め小さな庭に 植えこんで楽しんでいる。 中島画伯自作解説文より抜粋 本作は全て中島千波先生監修のもとに、作品の華やかさを より強く印象づけ、魅力を引き立たせるよう、新たな額の仕様で 制作した豪華特装版です。 【 どこにでも飾りやすい、小ぶりなサイズスペック 】 多くの皆様に作品を楽しんでいただきたく、様々なスペースに 飾りやすいよう小ぶりの軽量サイズで制作いたしました。 季節に合わせて作品を掛け替えてみるのもいかがでしょうか。 ●中島千波 四季の花がたりシリーズ 画像をクリックするとご紹介ページをご覧いただけます 春『さくら』 夏『向日葵』 冬『雪 椿』 【 貴重な承認印を押印 】 画家自らによる作品の監修・解説。 更に正式認可の証として、作品一点ずつに承認の押された特装版 限定番号入り検印証書を額裏に貼付してお届けします。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■中島千波 なかじまちなみ 1945 長野県に生まれる 1969 東京芸術大学日本画科卒業 再興第54回院展に初出品・初入選 1979 山種美術館賞展・優秀賞受賞 1984 横の会結成に参加 1987 NHK『今日の料理』の表紙絵を担当する(3年間) 1992 長野県に『おぶせミュージアム・中島千波館』がオープン ...
内田画廊
121,000円
■牛乳を注ぐ女 時を忘れて沈黙へと誘うー 謎につつまれた珠玉の名画。 フェルメールの絵画は、穏やかな光、巧妙な構図など、 思わず魅入ってしまう要素が随所に散りばめられ その魅力は尽きることがありません。 絵画が何を伝えようとしているのか、まるでそこから 物語を想像することを私たちに求めているかのように ひとつひとつが語り掛けてきます。 本作は17世紀オランダの時代背景や精神文化が感じられる 貴重な作品であり、寡作であったフェルメールの作品の 中でも、特に称讃されている珠玉の名画であることは、 もはやいうまでもありません。 「 フェルメール・ブルー 」 フェルメール独特の深く鮮やかな青は、ラピスラズリを 原料とする絵具「ウルトラマリンブルー(海を越える青)」が 使用されています。 当時ラピスラズリは、アフガニスタン、その周辺で産出された 稀少な鉱物で、地中海を渡り輸入された金にも匹敵する 大変高価な顔料でした。 また青は高い精神性を表し「天空の色」として人々が憧れる 美しい高貴な色だったとも言えます。 そのあまりにも美しい青は「フェルメールブルー」と、 呼ばれています。 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer 1632 現オランダのデルフト新教会で洗礼を受ける 1658〜本作『牛乳を注ぐ女』を制作 1665 『真珠の耳飾りの少女』を制作 1667...
内田画廊
220,000円
■白い森 La Foret blanche 和紙に刷られた銅版画をコラージュした独自の技法による 作品で見る人の心をつかみ、近年美術界で高い注目を集める 銅版画家:入江明日香氏の作品を 彩美版Rシルクスクリーンでお楽しみいただけます 弓矢を持ち、傍らに狼を従え腰かける少女。 入江氏の代表的なモチーフである武者絵シリーズの 代表作の一つ『白い森』は、少女の凛として透明感のある 佇まいに心を奪われ、画面の美さに引き込まれていく作品です。 これから狩猟に向かおうとするその姿は、勇ましさや力強さを 持ったモチーフでありながら、少女が醸し出す雰囲気には 柔らかで優しく繊細な印象が感じられます。 同時に、狼の手足や少女の衣服の崩れゆく輪郭などに 一種の不安を覚えながらも、少女の足元の紅梅からは 生命の芽吹きを感じます。 こうした「強さと儚さ」「風化と再生」「和と洋」などの 相反するイメージが一つの画面に取り込まれた作品は 入江氏の特徴といえますが、様々なイメージを巻き込みながらも 最後に残る印象が《美しさ》であるところに作家ならではの 創意工夫があり、それを支えているのが、入江氏の制作の 基盤にある銅版画の美しい色彩です。 モノクロのイメージの強い銅版画ですが、実は油絵以上に 色の幅があり、明るさのバランスなども細かく出すことが できます。 国内では多くはいないという一版多色刷の高い技術をもつ 入江氏だからこそ生み出すことのできる美しい色彩の 組み合わせが、独特の世界観を生み出すエッセンスと なっているのです。 作家自身が「画業におけるターニングポイントとなった時期の 代表作」と語る『白い森』が共同印刷株式会社・彩美版R シルクスクリーン版画で限定150部にて制作されました。 ...
内田画廊
198,000円
■色彩のカルテットー睡蓮 ージヴェルニー印象派美術館 公式認定ー 「色彩のカルテットー睡蓮」は一回目の個展の出品作である。 ジヴェルニーのモネ財団の水の庭に生き続ける睡蓮を写生中に、 思いついたのは、西洋にはない屏風に仕立てる。 鉢植えで池に点在する睡蓮を元の姿に戻し、春と秋の彩を同時に 描き、あたかも日本の着物の春秋図として表現したらどうなるか との実験作だ。 密かに心配した批判は起こらず、拍手で迎えられた。 それからドイツ・ベルリン国立アジア美術館へも巡回展示されたが 好評であった。 日本画家が、ふとした偶然からはじまったジャポニズム源流を探る 旅は、今も続いている 付属解説書より抜粋 平松礼二 ー日本画家・平松礼二ー《睡蓮》との邂逅 日本画の巨匠・平松礼二画伯と《睡蓮》との出会いは、 50歳を過ぎてから初めて訪れたパリでの個展がきっかけでした。 その時に軽い気持ちで訪れたオランジェリー美術館の楕円形の ギャラリーに展示されている《睡蓮》大装飾画に、釘付けに なったそうです。 長大な睡蓮シリーズを一堂に見てからは、それまでの印象派画家 への認識が一変。 巨匠クロード・モネの眼を通して、もう一度、日本を再発見して みたいという思いがあふれ《睡蓮》の足跡をたどり、対話を重ね、 ジャポニズムへの旅路が始まりました。 2011年に描いた《色彩のカルテットー睡蓮》は、ジヴェルニー 印象派美術館での初めての個展に出品しや記念すべき作品です。 この度、原画を所蔵するジヴェルニー印象派美術館から正式許諾を 受け、平松画伯から本紙の監修とともに、サインと落款をいただき、 《色彩のカルテットー睡蓮》彩美版Rが制作されました。 水面を漂う睡蓮があり...
内田画廊
143,000円
■高原深秋 幼い頃、父親と一緒に河原でお弁当を食べたり、山登りして 遠景を眺めやったりしたのが、何よりの楽しみだったという。 技法的には、墨と色彩、鋭い狩野派的線と四条派的な 柔らかい線の総合で、雑木林の向こうからふと現れた 馬子が玉堂その人にも思える。 そして構図は斜に主題を寄せて、宋の馬遠の『辺角の景』に 則っている。 若い頃学んだ制作の姿勢を見事に生かしているといえよう。 宋画は岡倉天心以来の日本画の目標であった。 そしてそこには視覚では捉えられない、爽やかな空気までが 流れている。 他の追従を許さぬ世界といえよう。 美術評論家 細野正信氏 解説書より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■川合玉堂 明治 6 愛知県葉栗郡に生まれる 明治23 玉堂の号にて勧業博覧会に出展 明治31 日本美術院に参加 明治41 玉堂を中心とした山水会が生まれる 大正 4 東京美術学校(現東京芸術大学)の教授になる 大正 8 帝国美術院会員となる 昭和 3 御即位御大御用命により『悠紀御屏風』制作 大礼記念章を受章 昭和15 紀元2600年奉祝展『彩雨』文化勲章受章 昭和16 『高原深秋』を描く 昭和19 西多摩郡御嶽に疎開永住 昭和32 逝去 第一等勲旭日大綬章追贈 昭和36 西多摩郡御嶽に玉堂美術館開館 作家名 川合玉堂 題 名 高原深秋 限 定 500部 版 式 彩美版...
内田画廊
154,000円
白鶴図 「浪に鶴」 伊藤若冲は、江戸中期に活躍した花鳥画家の大家です。 本作の画題、松と波に鶴を配する図は、 古来より吉祥の絵柄として喜ばれてきました。 中国明代の画家・文正の作品を手本としつつ、 鶴の羽毛や脚の描写や背景に変更を試み、 若冲ならではの空間が創り出されています。 長寿や家運の繁栄を願い、純白の翼を広げ波の上を 飛翔する鶴が典雅な筆致により描写され、 幻想的なまでに美しい画境が開かれました。 京都国立博物館が提供する正式画像をもとに 高精度の複製技術「彩美版」にシルクスクリーンを施し 若冲の筆致を再現しました ■こちらは「浪に鶴」一枚のみの商品ページです。 お得な二枚セットはこちら↓ 【 白鶴図二枚セット「浪に鶴」「松に鶴」】 伊藤若冲 1716 京都の青物問屋「枡源」主人伊藤源左衛門の長男と して生まれる 1738 父源左衛門、42才で没 若冲四代目源左衛門となる 1755 次弟白歳に家督を譲り画業に専念する 1764 金刀比羅宮奥書院に赴き障壁画制作 1765 釈迦・普賢・文殊像三幅対、および花鳥図「動植 綵絵」二十四幅を相国寺に寄進 1775 この年板行の「平安人物志」に応挙、若冲、大雅、 蕪村の順で載る 1790 大阪西福寺および伏見海宝寺にて障壁画制作 1799 石峯寺本堂天井画花卉図制作 1800 九月八日没 相国寺で法要が行われる 1889 相国寺「動植綵絵」三十幅を宮中へ献納 2016 東京都美術館で「生誕300年記念 若冲展」開催 技 法 彩美版®シルクスクリーン手刷り 【限定800】 画面寸法 天地:65.2cm×左右:36.6cm 額縁の外寸法 天地:83.0cm×左右:54...
内田画廊
275,000円
より良い人生へと導く、命の鳥 書と融合し広がる、優雅な火の鳥の舞い ■ガラウェイ GARAWEAG ー書ー 彼の常世の扉が開く カイラーサ 神の懐 三柱の光条 天に抜け 天蓋覆い 山を越え ノック・ガラウェイ 我は旭日 不死の瑞鳥 ガラウェイは、世界中で火の鳥、フェニックス、不死鳥と呼ばれ 存在する命に関する鳥です。 私たちはつい大切なものを、物や仕事などと考えがちですが、 最も大切なのは命です。 そのことを日々忘れずに、より良い人生に導かれるように、 お飾りいただければ幸いです。 版画「ガラウェイ」に寄せて 紫舟 ●現代アーティストとして広く活躍する紫舟氏の代表的なモチーフ 「火の鳥」の中でもダイナミックな構図と豊かな色彩が美しい 六曲一隻屏風《ガラウェイ》を原作とした版画作品です。 ●一枚一枚の仕上がりを作家が確認し、作品と認めたものに サインと落款、エディションナンバーがつけられた150部限定です。 ●シルバーの切廻し箔のマットに浮き出し額を合わせ、 アクリルボックスをかぶせたオリジナルの額装です。 幼少の頃より鳥を描き続けてきたという紫舟氏。 その過程は火の鳥を描くためであったと回想しています。 紫舟氏が火の鳥と出会ったのは約8年前。 南アジアで釈迦の教えの学びを深めて行く中で、これを見たという 人物に出会ったことがきっかけとなり、その姿を描き求めて きました。 信仰の象徴や想像上の生き物というのは、その国の持つ歴史的背景や 思想、文化に大きく影響を受けるもので、それは人によっても 見え方が異なると語る紫舟氏。 「ノック・ガラウェイ(=ガラウェイ)」と名付け、描き続けている 大切なモチーフには、作家のその時の精神性や信仰心が反映されて...
内田画廊
363,000円
■絲綢の路パミール高原を行く ー生命の根源からの導きーシルクロード シルクロードキャラバンに託す 平和への祈り 「中国からウズベキスタンやアフガニスタン、パキスタンへと 国境を越えて行くあたりは四千メートル級の山々が連なる。 酸素が薄く、息をふうふうしながら歩いた。 だがそのぶん歩き終えた気持ちは清々しく、それなりの 達成感も得られる。 《大唐西域壁画》を描き終えた私は、程度こそあれ、 そのような気持だった。 やり終えた達成感と、新たな目標に向かって歩き始めるのだ という清新な気持ちの両方を込めた。」 平山郁夫 玄奘三蔵の歩いた道を追い求め、1968年に初めて以降、 150会回に渡り取材のためシルクロードへと足を運んだ 平山郁夫画伯。 集大成ともいうべき《大唐西域壁画》を2000年12月31日 という一つの時代の終わりに描き終えた翌年の2001年9月、 第86回院展に出品したのが本作『絲綢の路 パミール高原』 です。 平山郁夫画伯は日本文化の原点となるシルクロードを描くことを 通して「日本人の精神・文化とは何か」ひいては自身が 「なぜ生まれ、なぜ生かされているのか」を問い続けました。 同時に平和が保たれることによって東西交易が可能となることから 「シルクロードを人々が辿っていること自体が平和の象徴」と 語り、仏教を伝えた玄奘三蔵が歩んだシルクロードを平和の祈り を込めて描きました。 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 彩美版の特徴である最新デジタル加工処理技術と高精度 プリント...
内田画廊
165,000円
■月の兎 なつかしき郷里の記憶 月の兎の物語。 幼少期より変わらず私の心の友達の兎たち。 彼らの可愛い仕草、用心深い性格、愛らしい瞳、 柔らかな毛並み…。 耳を立てて周囲を警戒している姿や元気に駆け回って いる姿、モグモグと口を動かしていたり、 丁寧に毛繕いをする姿など、どのポーズでも可愛いのですが、 特に物思いに耽るように月を見上げている兎をみると、 どうしても幼い頃に聞いた月の兎の物語を思い出します。 月を愛し、月に愛され、古来から日本人に愛されている兎。 その愛らしさに癒されていただければ幸いです。 西田俊英(付属解説書より抜粋) ●再興第98回院展、全作品集表紙作品 再興第98回院展全作品集の表紙を飾り、好評を博した西田俊英画伯 「月の兎」を彩美版Rで再現。 西田俊英画伯より監修と直筆サインをいただき限定300を制作 ●シルクスクリーン手刷り、金箔貼り 背景のひときわ明るい月には銀色のシルクスクリーンを使用し 静寂な秋夜の輝きを、草の葉の上には金箔をまぶして葉に映る月光の 美しさを再現。 【彩美版とは?】 ー「彩美版」は共同印刷株式会社の登録商標ですー 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 彩美版の特徴である最新デジタル加工処理技術と高精度 プリント、さらには一枚一枚職人の手刷りによる シルクスクリーンを施し、豊かな色彩や作家の筆遣い、 原画の持つ絵の鼓動までをも表現いたしました。 ■西田俊英 にしだしゅんえい 1953 三重県伊勢市に生まれる 1975 再興第60回院展初入選 1977 武蔵野美術大学日本画科卒業 奥村土牛・塩出英雄に師事 1983...
内田画廊
203,500円
ー大観、青邨がみとめた夭折の天才、晩年の傑作ー ■瓶梅図 へいばいず 「瓶梅図」は渡欧後の昭和7年の作で、八重の紅梅と 一重の白梅を生けた古伊万里の赤絵壺を描いた 静物画である。 上方へと伸びる紅梅を左に配し、中央の紅梅と白梅を 入れ替え、右に白梅を置く。 前面にある褐色の太い古枝を、たらし込みの技法で 描き、その先に上へと伸びる若枝を鮮やかな緑色で 描く。 枝の広がりを壺の口で収束させ、壺と同系色の朱色の 敷物に載せることで、絵全体の色調と重心を安定させて いる。 花や枝の濃淡、複雑に絡み合う枝が空間を拡げ、 ヴォリューム感を創出している。 壺の口を手前に覗かせ、肩は左前に迫り出し、口と肩を 同心円に描くのではなく、胴の牡丹は横からの視点、 壺は上から少し見下ろす視点で陶工の素朴な筆遣いで 描く。 陰影による単なる写実表現ではない、よりリアルな 日本画の新たな創造を目指して、御舟が創意工夫を していることが分かる。 「瓶梅図」は古伊万里の赤絵壺に生けられた生命力 溢れる紅白梅を、隙のない構図と神経を張り詰めた 見事な筆致で梅の香が匂うが如く描く。 神品と呼ぶに相応しい気品漂う静物画の傑作である。 石井幸彦氏による解説より 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■速水御舟 はやみぎょしゅう 1894 東京浅草に生まれる 1908 松本楓湖の安雅堂画塾に入門 1911 紅児会入会 1914...
内田画廊
140,800円
ロンドン・ナショナル・ギャラリーが誇る屈指の名作 ■ひまわり Sunflowers 孤高の天才画家 ゴッホがゴーガンのために描いた作品 フィンセント・ファン・ゴッホの代表作《ひまわり》。 ゴッホは花瓶に生けられたひまわりの花束を 生涯に7点描いたが、とりわけロンドン・ナショナル・ ギャラリーに所蔵される本作品は、ゴッホの作品の 代名詞ともいえる強烈な黄色が生み出す豊かな表情と、 たっぷりと絵具を塗り込む力強い筆使いが際立つ 作品である。(中略) ゴーガンとの共同生活は、1888年10月からのわずか 2ヶ月で破綻するが、ゴーガンはナショナル・ギャラリーの 《ひまわり》を絶賛し、ゴッホの作風を本質的に表す 完璧な一作であるとのちに述べている。 黄色の背景は画面を一層活性化させ、作品自らが光を 発するような効果を生み出している。 ゴッホにとって黄色は、アルルの眩い太陽の光を象徴 していた。 彼は弟のテオに当てた書簡において、光の色を黄色に たとえ、その素晴らしさを手に入れたゴッホは、 この地で生命力に満ちた傑作を矢継ぎ早に制作していく ことになる。 本作品においてゴッホは、自身の創作意欲を無限に かき立てる黄色でひまわりという題材を描いて、 創作活動に対する幸福感や希望を表したといえるだろう。 (国立西洋美術館主任研究員 川瀬佑介氏による解説より抜粋) ロンドン・ナショナル・ギャラリーの複製画制作許諾を 得て、同美術館の監修のもと、高品質の複製技術、 彩美版Rスクリーンで制作しました。 その証として、ロンドン・ナショナル・ギャラリー館長 ガブリエレ・フィナルディ氏のサイン入り公式証明書が 額裏面に貼付されます。 【彩美版とは】 ...
内田画廊
121,000円
■真珠の耳飾りの少女 ー青いターバンの少女ー ふと振り返った少女は、そのつぶらな瞳で 何を見ているのだろうか。 その視線の先にあるのは、無論この絵を見ている人、 あなたである。 見ているつもりが、見つめ返されていることに 気づいた時の一瞬のトキメキと狼狽…。 フェルメールの中で最も印象深い作品に挙げる人が 多いのも当然であろう。 美術評論家 谷岡清氏による付属解説書より抜粋 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer 1632 現オランダのデルフト新教会で洗礼を受ける 1665 『真珠の耳飾りの少女』を制作 1667 デルフト市誌の中でレンブラントの後継者として 称賛される 1675 歿 享年43 1882 オランダ人コレクターが競売にて同作を購入 1903 マウリッツハイスに寄贈される 1984 マウリッツハイツ王立美術館展で日本初公開される 2000 フェルメールとその時代展で日本二度目の公開 2004 映画『真珠の耳飾りの少女』(スカーレット・ヨハンソン) が日本で公開されヒット。 作品の人気に拍車をかける 2012 マウリッツハイツ王立美術館で日本で12年ぶりに公開 作家名 ヨハネス・フェルメール 題 名 真珠の耳飾りの少女 ー青いターバンの少女ー 技 法 彩美版・シルクスクリーン手刷り 天然ラピスラズリ使用 画 面 キャンバス 画寸法...
内田画廊
198,000円
朝 涼 大正14年(1925年)第6回帝国美術院展出品作 鎌倉市鏑木清方記念美術館蔵 作品からは、少女の髪形やしぐさからあどけなさが伝わり、 緑と紫を基調とした色合いと相まって清楚な感じが表現されて います。 残月を背景に、朝露が滴るみずみずしさが漂います。 清方は、作品を描くにあたって美しさを求めただけでなく、 当時の風俗を後世に伝えようという意図も持っていました。 風俗や女性の髪形、帯や着物の模様など、細部にまで こだわって描いています。 (鎌倉市鏑木清方記念美術館 主任学芸員 宮崎徹氏による解説より抜粋) 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 鏑木清方 明治11 東京神田に生まれる 明治24 永野年方に入門 大正8 第1回帝展審査員をつとめる 大正14 「朝涼」を制作 昭和2 帝国美術院賞を受賞 昭和12 帝国芸術院会員となる 昭和19 帝室技芸員に任命される 昭和21 第1回日展の審査員をつとめる 昭和29 文化勲章受章 昭和47 逝去 享年93歳 平成10 鎌倉市に鏑木記念美術館開館 原画所蔵 鎌倉市鏑木清方記念美術館 版 式 彩美版・シルクスクリーン併用 限定:100部 画面寸法 天地:100.0cm×左右:38.5cm 掛軸寸法 天地:169.0cm×左右:57.0cm 用 紙 特製絹本 表 装 三段表装 天 地:白茶無地 中 廻:薄茶綿ムラ経 風帯・一文字:牙地唐花唐草文金襴 軸 先:朱塗頭切 ...
内田画廊
140,800円
華やかに新しい門出を祝う傑作 ■スラヴィア 「スラヴィア」という呼び名で知られるこの肖像画は、 1908年、アメリカで制作された。 モデルは当時22歳になったばかりのジョセフィン・ クレイン嬢(1886-1952)。 ミュシャがこの三年後に着手する《スラヴ叙事詩》への 出資者となるシカゴの富豪実業家、チャールズ・リチャード・ クレイン(1858-1939)の長女である。 ミュシャとクレインの出会いは、1904年、ミュシャの最初の 渡米の年まで遡る。 1905年のミュシャの二度目の渡米以降、二人は親交を 深めていた。 娘ジョセフィンの肖像画の制作にあたり、クレインは、 彼女を20世紀アメリカンのクレイン財閥の令嬢として 描くのではなく、スラヴ民族の連帯を体現する 「スラヴィア」として描くことを画家に依頼した。 これに応じてミュシャは、1907年にプラハのスラヴィア 保険相互銀行のために制作したポスターの構図を基に 白のガウンをまとうジョセフィンを、民族連帯を象徴する リングを持って玉座に座る女神「スラヴィア」として 表現した。 (付属解説書より一部引用) 本作品は、日本で初めてミュシャ財団より複製画制作の 許諾を得て制作されました。 その証として、奥付けにはミュシャ財団代表ジョン・ ミュシャ氏のサイン入り証明書が添付されます。 【彩美版®とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版®』は共同印刷の登録商標です。 ■アルフォンス・ミュシャ...
内田画廊
176,000円
大阪新歌舞伎座緞帳原画 ■四季花鳥図 【 作者のことば 】 平城山のアトリエの庭に四季折々訪ねてくる小鳥たちを テーマにそこに繰り広げられる花鳥の世界です。 過去風景画として四季を描いたものは絵巻物として多く 残されていますが、花鳥をテーマとしたものは、ごく稀で あろうかと思います。 具体空間ではなく象徴化された世界は日本画独自のもの。 私の夢想した世界にお誘いできればとの思いであります。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル加工処理技術と高精度プリントにより、 原画の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されています。 ■上村淳之 1933 上村松篁の長男として京都に生まれる 1953 京都市立美術大学日本画科に入学 1956 第20回新制作協会展に初入選 1957 京都市立美術大学日本画科を卒業 1968 第32回新制作協会展新作家賞受賞 新制作協会会友となる 1984 京都市立芸術大学教授となる 1992 第10回京都府文化功労賞を受賞 1995 第21回創画展出品作で日本芸術院賞を受賞 1999 京都市立芸術大学副学長に就任 京都市文化功労賞顕彰を受ける 2002 日本芸術院会員となる 2006 西日本本願寺から依頼を受け「親鸞聖人」を制作 2010 平成遷都1300年記念事業として復元された大極正殿の壁画を 完成させる 大阪新歌舞伎座緞帳原画「四季花鳥図」を制作する 2011 東京歌舞伎座緞帳原画「水辺の四季」を制作する 2013 文化功労者として顕彰される 2022 文化勲章受賞 作家名 上村淳之 題 名 四季花鳥図 版...
内田画廊
110,000円
■春 映 日本各地の民家を描き続けた画家、向井潤吉。 本作は、画家が特に愛したという岩手県遠野市の風景を 描いた作品です。 茅葺の民家と草木が田園に映え、山桜や林檎に彩られた 静かな春。 著作権者の正式なご許可のもと、限定100部のみのご提供 です。 【彩美版とは】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された新時代の画期的な 技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原本の持つ微妙な ニュアンスや作家の筆遣いといった絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■向井潤吉 1901 京都市に生まれる 1914 京都市立美術工芸学校予科に入学 1916 関西美術学院に通い始める 1919 二科展に初入選 1927 フランスへ留学 ルーブル美術館で模写に没頭する 1930 滞欧作を二科展に出品し樗牛賞を受賞 1936 二科展会員となる 1945 同士と共に行動美術協会を結成 生涯の主題となる民家を描き始める 1974 『画業60年 向井潤吉環流展』が開催される 1976 『春映』を制作 1993 所有作品とアトリエを世田谷区に寄贈 向井潤吉アトリエ館開館 1995 逝去 享年93 作家名 向井潤吉 題 名 春 映 技 法 彩美版・シルクスクリーン併用 画 面 版画用紙 限 定 100部 画面寸法 天地:36.5×左右:52.5cm 額縁の外寸法 天地:47.0×左右:63.0cm 額縁の仕様 特製木製額ゴールド仕上げ 裏面に壁吊り用金具・ひも付き 付属品:箱 額縁の窓 アクリル 重 量 約3.1kg 証 明 著作権者承認印入り証紙を額縁裏面に貼付け 著作権者:向井美榮子 原画所蔵・監修...
内田画廊
77,000円
■四季の花がたり:冬『雪椿』特装版 花鳥画を描く者にとって椿という花は欠かせない モチーフである…私は古来からのものが大好きだが、 新品種を見つけスケッチするのもおもしろい 中島画伯自作解説文より抜粋 本作は全て中島千波先生監修のもとに、作品の華やかさを より強く印象づけ、魅力を引き立たせるよう、新たな額の 仕様で制作した豪華特装版です。 【 どこにでも飾りやすい、小ぶりなサイズスペック 】 多くの皆様に作品を楽しんでいただきたく、様々なスペースに 飾りやすいよう小ぶりの軽量サイズで制作いたしました。 季節に合わせて作品を掛け替えてみるのもいかがでしょうか。 ●中島千波 四季の花がたりシリーズ 画像をクリックするとご紹介ページをご覧いただけます 春『さくら』 夏『向日葵』 秋『秋櫻花』 【 貴重な承認印を押印 】 画家自らによる作品の監修・解説。 更に正式認可の証として、作品一点ずつに承認の押された特装版 限定番号入り検印証書を額裏に貼付してお届けします。 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■中島千波 なかじまちなみ 1945 長野県に生まれる 1969 東京芸術大学日本画科卒業 再興第54回院展に初出品・初入選 1979 山種美術館賞展・優秀賞受賞 1984 横の会結成に参加 1987 NHK『今日の料理』の表紙絵を担当する(3年間) 1992...
内田画廊
165,000円
観音之図 (聖蓮華) ー村上華岳生誕120年記念ー 近代日本画界において独自の存在感を示した画家、村上華岳。 「製作は密室の祈り」と語る画家の、一つの到達点ともいう べき観世音像の傑作が『観音之図(聖蓮華)』です。 品位ある柔和な表情の観音には、画家の、女性への永遠性への 憧れが託されているといいます。 『聖蓮華』の名の通り、その手は優しく蓮華の花を包み込み ます。 添えられた白色の花弁が華やかです。 村上華岳は、その短い生涯の中で仏画や山水、椿や牡丹など 美しく精神性の高い作品を数多く描きました。 特に観音菩薩などの仏画は、近代以降最高峰と称されます。 画技の鍛錬と自己の内面の追及、創作による『神手冥合』を 目指した華岳の絵画は、観る者に感動を与えます。 【 原画所蔵 】 京都国立近代美術館 【 彩美版について 】 『彩美版』とは、画材の質感と豊かな色調を現するために 生み出された新時代の画期的な技法です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原画の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されています。 村上華岳 明治21 大阪市に生まれる 明治44 京都市立絵画専門学校卒業 第5回文部省美術展覧会に出品 褒状をうける 大正7 国画創作協会設立に参加 昭和 3 国画創作協会解散 『製作は密室の祈り』を信条に、仏画、草花、山水画 などを描き、静謐で精神性の高い作品を数多く残した。 昭和14 死去 享年51 版式・用紙 【 版 式 】彩美版・シルクスクリーン手刷り 【 用 紙 】和紙 【 限 定 】120部 画面寸法 天地:99.5cm×左右:23.5cm 表装寸法 天地...
内田画廊
77,000円
■花菖蒲 大きく描かれた白い花菖蒲がとても艶やかな 版画作品です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で 『没後十年小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 花菖蒲 技 法 リトグラフ 限 定 EP 15/15 画面の寸法 22.5×44.5cm 額縁の外寸法 50.5×71.1cm 額縁の仕様 木製版画額縁 裏面に壁吊り用金具・ひも付き 窓:アクリル 付 属 差し箱 (黄袋付き) 状 態 【中 古】良 好 額縁に細かなキズがいくつかありますが、 全体的に状態は良好です
内田画廊
55,000円
■マンゴウ 日本画壇を牽引し、女流作家の第一人者である 小倉遊亀先生の作品をお楽しみいただける木版画作品です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で 『没後十年小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 マンゴウ 技 法 木版画(アダチ版画研究所) 限 定 H.C 画面の寸法 縦40.7×横48.5cm 額縁の外寸法 縦63.5×横71.0×厚み5.8cm 額縁の仕様 木製版画額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 付 属 布タトウ (黄袋付き) 額縁の窓 アクリル 重 量 約5.2kg 状 態 【中古】 額縁に細かなキズがいくつかありますが 画面に劣化はなく鑑賞に問題ありません
内田画廊
55,000円
■白磁と紅梅 日本画壇を牽引した女流作家の第一人者である小倉遊亀。 今なお人気の作品を版画でお楽しみいただける作品です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で 『没後十年小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 白磁と紅梅 技 法 リトグラフ 制作年 1997年 版 数 37版37摺(本金箔貼) 限 定 212/350 画面の寸法 縦41.0×横50.0cm 額縁の外寸法 縦61.2×横70.1×厚み4.5cm 額縁の仕様 金泥色木製版画額縁 付 属 布タトウ (黄袋付き) 額縁の窓 アクリル 重 量 約3.9kg 監 修 鉄樹 状 態 【中古】 額縁は多少キズ有り 作品本体の状態は良好です
内田画廊
7,920円
■吉祥黄金富士 黄金に輝く霊峰富士と「雲気」と呼ばれる金色の雲は 金運の運気を高めるといわれています。 松の木は冬の寒さの中でも美しい緑を保つ生命の象徴 として延命長寿を表しています。 ■吉岡浩太郎 1928年 山口県に生まれる 香月泰男に師事 1967年 スクリーン版画の研究を始める 1973年 絵画研究のため渡欧 1974年 セントラル画廊でシルクスクリーン版画個展 1996年 日蓮宗円頓寺壁面画制作 1997年 以降 毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー、雑誌(表紙)掲載 2004年 東京絵画フェスティバル出品 2006年 ユニセフ絵葉書に決定 2007年 技術評論社「和の趣」に掲載 2008年 西京銀行2008年カレンダー採用 風水版画展開催 2009年 額縁絵画展出品制作 作家名 吉岡浩太郎 題 名 吉祥黄金富士 技 法 ジグレ・シルクスクリーン 落 款 作者鉛筆サイン・朱落款 限定部数 800部 画面の寸法 縦16.0×横22.6cm 額縁の外寸法 縦34.2×横43.3cm 額縁の仕様 パールホワイト色版画額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 UVカットアクリル マット 紙マット 箱 紙 箱 重 量 約1.3kg
内田画廊
39,600円
■つかの間の夏 明るくカラフルな色づかいが華やかで 素敵な版画作品です。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■キャシー・ホワイティング 1957年イースト・サセックス州に生まれる。 1975年〜1979年までウインチェスタ芸術大学に学ぶ 美術と版画の優等学位を取得 1980年〜81年 ロンドンに移り住み、ピーターモリソン スタジオで仕事に従事する 自身のシルクスクリーンの限定版や、ロンドン・コンテン ポラリー・アート、フェリックス・ローゼンスティールズ・ ウィドウ&サンメリーヴェール・エディションンズ等との 提携で制作活動 ウインチェスター・ロンドン等でのグループ展に参加 1985年〜1989年 フェリックス・ローゼンスティールズ ウィドゥ&サンとの契約で商業デザインを制作 1990年 北ケスティヴァン行政区議会の依頼により 木製彩色の立体感を与える移動用ヴァンを制作 1990年 リンカーン・南ハンバーサイト自然保護トラスト と北ケステヴァン行政区議会の依頼により壁画制作 作家名 キャシー・ホワイティング 題 名 つかの間の夏 落 款 作者鉛筆サイン 技 法 シルクスクリーン版画 限定数 57/250 作品の寸法 縦48.0×横36.0cm 額縁の外寸法 縦79.6×横65.0×厚み2.6cm 額縁の仕様 ゴールド系柄額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 アクリル 箱 合わせ箱 重 量 約3.5kg 状 態 【中古】 額縁に少しだけ経年感がありますが 作品本体に気になる色褪せ、シミなど無く 状態は良好です。 >
内田画廊
55,000円
■アンティークベース カラフルな色使いが美しい、セイヤーの版画作品です。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■レスリー・セイヤ— 1947 アリゾナ州フェニックス生まれ アメリカ第7代大統領アンドリュー・ジャクソンを 祖先に持つ 1968 オーステス・パーセント・インスティチュート卒業 1969 アートセンター・カレッジ・オブ・デザインパサデナ 校卒業 1974 ボンウエル・ジェラー・デパート、ブロークスデパート ・ビバリーヒルズにて個展 1984〜88 カルフォルニヤのギャラリーにて毎年グループ展 1989 ホテル赤坂東急にて日本初個展、プランタン銀座にて 個展、ロサンゼルスのアートエキスポに出展 1990 ホテル・パシフィック東京初個展 ロサンゼルスのアート・エキスポに出展 銀座日産ギャラリーにて来日油彩展 1991 ニューヨーク、ロサンゼルスのアートエキスポに出展 1992 ホテル・オークラ来日展、日本橋三越、広島三越来日展 1993 ロサンゼルスのアートエキスポに出展 1994 日本橋三越、銀座三越来日展 1996 池袋三越、倉敷三越、松山三越来日展 1997 札幌三越来日展 1998 ホテル・オークラ来日展 1999 日本橋三越来日展、都ホテル東京来日展 2000 日本橋三越、大阪来日展巡回 2004 プランタン銀座、広島、神戸、博多来日展巡回 2005 アートスペース・サンカイビ、横浜、神戸、広島、静岡 にて来日展巡回 2007 アートスペース・サンカイビ、日本橋三越、大宮、神戸、 広島来日展巡回帝国ホテルにて「レスリー・セイヤーフアン の集い」開催 2008 日本橋三越、名古屋三越栄にて来日展 作家名 レスリー・セイヤ— 題 名...
内田画廊
4,950円
■湖 水 一瞬の静寂を切り取ったかのような美しい風景です。 ■吉岡浩太郎 1928年 山口県に生まれる 香月泰男に師事 1967年 スクリーン版画の研究を始める 1973年 絵画研究のため渡欧 1974年 セントラル画廊でシルクスクリーン 版画個展 1996年 日蓮宗円頓寺壁面画制作 1997年 以降 毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー、雑誌(表紙)掲載 2004年 東京絵画フェスティバル出品 2006年 ユニセフ絵葉書に決定 2007年 技術評論社「和の趣」に掲載 2008年 西京銀行2008年カレンダー採用 風水版画展開催 2009年 額縁絵画展出品制作 作家名 吉岡浩太郎 題 名 湖 水 技 法 ジグレ・シルクスクリーン 落 款 作者サイン 限定部数 800部 画面の寸法 縦15.4×横10.4cm 額縁の外寸法 縦31.0×横25.7cm 額縁の仕様 パールホワイト色額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 UVカットアクリル 重 量 約620g 箱 紙 箱
内田画廊
55,000円
■バイオレットフォーニコル カラフルな色使いが美しい、セイヤーの版画作品です。 画像はお届けする現品を撮影したものです。 ■レスリー・セイヤ— 1947 アリゾナ州フェニックス生まれ アメリカ第7代大統領アンドリュー・ジャクソンを 祖先に持つ 1968 オーステス・パーセント・インスティチュート卒業 1969 アートセンター・カレッジ・オブ・デザインパサデナ 校卒業 1974 ボンウエル・ジェラー・デパート、ブロークスデパート ・ビバリーヒルズにて個展 1984〜88 カルフォルニヤのギャラリーにて毎年グループ展 1989 ホテル赤坂東急にて日本初個展、プランタン銀座にて 個展、ロサンゼルスのアートエキスポに出展 1990 ホテル・パシフィック東京初個展 ロサンゼルスのアート・エキスポに出展 銀座日産ギャラリーにて来日油彩展 1991 ニューヨーク、ロサンゼルスのアートエキスポに出展 1992 ホテル・オークラ来日展、日本橋三越、広島三越来日展 1993 ロサンゼルスのアートエキスポに出展 1994 日本橋三越、銀座三越来日展 1996 池袋三越、倉敷三越、松山三越来日展 1997 札幌三越来日展 1998 ホテル・オークラ来日展 1999 日本橋三越来日展、都ホテル東京来日展 2000 日本橋三越、大阪来日展巡回 2004 プランタン銀座、広島、神戸、博多来日展巡回 2005 アートスペース・サンカイビ、横浜、神戸、広島、静岡 にて来日展巡回 2007 アートスペース・サンカイビ、日本橋三越、大宮、神戸、 広島来日展巡回帝国ホテルにて「レスリー・セイヤーフアン の集い」開催 2008 日本橋三越、名古屋三越栄にて来日展 作家名 レスリー・セイヤ— 題...
内田画廊
7,920円
■幸せの散歩道 紫の絨毯を敷きつめたようなラベンダー畑。 心安らぐ香りが漂ってきそうな1枚です。 ■吉岡浩太郎 1928年 山口県に生まれる 香月泰男に師事 1967年 スクリーン版画の研究を始める 1973年 絵画研究のため渡欧 1974年 セントラル画廊でシルクスクリーン版画個展 1996年 日蓮宗円頓寺壁面画制作 1997年 以降 毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー、雑誌(表紙)掲載 2004年 東京絵画フェスティバル出品 2006年 ユニセフ絵葉書に決定 2007年 技術評論社「和の趣」に掲載 2008年 西京銀行2008年カレンダー採用 風水版画展開催 2011年 額絵画展出品 2012年 個展・グループ展開催 2013年 横濱グッズ-001受賞 2014年 日本ユネスコ協会支援カード採用 2016年 没(享年88歳) 以後、30年以上に渡り一緒に作品制作を行ってきました 息子が初代の意思を継ぎ、2代目浩太郎を襲名 初代作品の名入り管理・販売を2代目浩太郎が行う 作家名 吉岡浩太郎 題 名 幸せの散歩道 技 法 ジグレ・シルクスクリーン 落 款 作者鉛筆サイン 限定部数 800部 画面の寸法 縦15.9×横22.7cm 額縁の外寸法 縦34.2×横43.4cm 額縁の仕様 パールホワイト色版画額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 UVカットアクリル マット 紙マット 箱 紙箱
内田画廊
4,950円
■白馬の森 月あかりの下を駆ける九頭の白馬。 「うまくいく」にも繋がり秘めたパワーを感じる 素敵な一枚です。 ■吉岡浩太郎 1928年 山口県に生まれる 香月泰男に師事 1967年 スクリーン版画の研究を始める 1973年 絵画研究のため渡欧 1974年 セントラル画廊でシルクスクリーン 版画個展 1996年 日蓮宗円頓寺壁面画制作 1997年 以降 毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー、雑誌(表紙)掲載 2004年 東京絵画フェスティバル出品 2006年 ユニセフ絵葉書に決定 2007年 技術評論社「和の趣」に掲載 2008年 西京銀行2008年カレンダー採用 風水版画展開催 2009年 額縁絵画展出品制作 作家名 吉岡浩太郎 題 名 白馬の森 技 法 ジグレ・シルクスクリーン 落 款 作者サイン 限定部数 800部 画面の寸法 縦10.4×横15.4cm 額縁の外寸法 縦25.7×横31.0cm 額縁の仕様 パールホワイト色額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 UVカットアクリル 重 量 約620g 箱 紙 箱
内田画廊
99,000円
■紙雛図 日本古来の伝統の美 江戸琳派が描く、仲睦まじく寄り添う夫婦雛 江戸琳派の画家たちは雛祭りに関する多くの作品を残していて その中でも特に多いのが紙雛を描いたものである。 紙雛が切る着物には、松と藤が描かれ、これには招福の意味が 込められている。 抱一のこの作品では松がデフォルメ化されていて、デザイン 性が強められているのが面白い。 男雛の袴や、女雛の細帯は、金で描かれている作品が多い中、 ここでは銀を用いていて、年月を経たる間に酸化して黒ずんで いるのも味わい深い。 上巳の節句を祝う少女たちのために心を尽くして描かれた様が よく伝わる作品である。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■酒井抱一 1761 姫路藩主酒井忠仰の第四子次男として生まれる 1777 元服 その後は俳諧に凝り、歌・能・茶などの文人墨客と 交わる 1790 句集「軽拳館句藻」を刊行 1797 西本願寺文如の弟子として出家 1815 光琳百回忌と遣墨展を催し「光琳百図」前篇と 「緒方流略印譜」を刊行 1823 「乾山遣墨」を刊行 1826 「光琳百図」後篇を刊行 1828 逝去 享年68才 絵画・俳諧・狂歌・能楽などの芸能の才に恵まれ、 大名の子弟としての堅苦しい生活を嫌って多くの 文人墨客らと交わるとともに、自らも当代一流の 文化人として風流三昧の生活を送った。 画技は狩野派や長崎派...
内田画廊
77,000円
鼠婚礼図 ねずみこんれいず 十二支の先頭に数えられるねずみ。 もともとは「子」が「増える」の意味で、新しい生命が 種子の中に萌し始める状態を表しているとされます。 またねずみは、大黒天の使い、台所の護り神とされます。 大黒天はもともと五穀豊穣の神として伝えられ、今では 開運招福や財福の神として広く信仰されています。 北方を護る大黒天に合わせ、十二支の北に相当するねずみが 神使とされた、といいます。 小さい働き者のねずみには招福の思いが込められているのです。 本作の作者、伊藤若冲も、温かいまなざしでねずみたちを 見つめ、思いを込めて描いたのでしょうか。 吉祥の画題に合わせ、軸装の生地にもこだわりました。 中廻しには、縁起ものの花かごと巾着蓑、一文字と風帯には 「福」「寿」の文字が並ぶ福寿の紋様、天地(上下)には宝冠 牡丹を用いています。 めでた尽くしの「鼠婚礼図」。 ぜひ、お手元でお楽しみください。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、原画の 持つ微妙なニュアンスや作家の筆使いといった絵の鼓動までも が表現されています。 伊藤若冲 1716 京都の青物問屋「枡源」主人伊藤源左衛門の長男と して生まれる 1738 父源左衛門、42才で没 若冲四代目源左衛門となる 1755 次弟白歳に家督を譲り画業に専念する 1764 金刀比羅宮奥書院に赴き障壁画制作 1765 釈迦・普賢・文殊像三幅対、および花鳥図「動植 綵絵」二十四幅を相国寺に寄進 1775 この年板行の「平安人物志」に応挙、若冲、大雅、 蕪村の順で載る ...
内田画廊
550,000円
巨匠:東山魁夷の名作によるマスターピースコレクション ■道 ー絶望と希望を織りまぜて はるかに続く一筋の道であったー 東山魁夷が国民的画家と呼ばれるようになったきっかけが 1950年に発表された「道」でした。 魁夷はこの作品について「私にとっての履歴の果てでも あり、また、新しく始まる道でもあります。」と語って います。 1950年という年は敗戦から5年目、ようやく復興の 兆しが見えはじめてきた時期です。 魁夷は、戦争末期の1945年7月に37歳で召集され熊本へ 送られます。 爆弾を抱えて戦車に肉弾戦を挑む迫撃兵二等兵としての 訓練を受け、死を覚悟します。 そのころ教練で登った熊本城天守閣跡から眺めた阿蘇の 山並みの美しさが魁夷の心を強く打ちます。 その直後に配線を迎え、魁夷自身は生き永らえたものの、 母と弟を立てつづけに亡くし、すべての肉親を失います。 翌1946年の日展では落選、47年、絶望の中で山並みに 自分の心を重ねて描いた「残照」が特選を受賞します。 以来、魁夷は風景画家として立つことを決意し、自分の 心象を風景に投影させて絵を描くようになります。 「道」はその象徴的な作品です。 (添付解説書より抜粋) 【 待望の文化勲章受章・東山魁夷初期代表作 】 東山作品屈指の風景画の一つとして広く知られる 本作品は、発表と同時に大きな反響を呼び、 これにより人気作家としての道を上りつめていく ことになりました。 令和2年は作品が制作されてから70周年です。 それを記念して特別に500部限定で制作しました。 【 東山魁夷マスターピースコレクションTMとは 】 作品の繊細な色合いや鮮やかな発色を効果的に表現する ために生み出された技法...
内田画廊
154,000円
■虹を見る 葉茶屋を営んでいた生家の店先で、来客の姿を物陰から そっと写して楽しんでいた幼少時代。 来客にその姿を見られ、そんなに好きならと版画や粉本を プレゼントされて育った少女は、人の勧めによって 鈴木松年の門下生となり、本格的な画の修行を始めた。 人物画と言えば浮世絵、その領域から出て、人格を描いた 松園芸術は深化を続けた。 然し、原点は女性の日常生活にあるのは当然、この『虹を 見る』も、穏やかに優雅に流れる空気の中で女性らしい 感性の中で捉えた世界であろうか。 現実臭を抜き、洗練された美をしかもリアリティある世界を 表出して好作であろう。 日本画家 上村淳之 付属解説書より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■上村松園 明治 8 京都市に生まれる 明治20 京都府画学校に入学 鈴木松年に師事する 明治23 第三回内国勧業博覧会に『四季美人図』を出品 英国コンノート殿下の買上となる 明治26 幸野楳嶺門に移る 明治28 竹内栖鳳に師事 明治33 第9回日本絵画協会・日本美術院連合共進会に 『花ざかり』出品 銀牌を受け受け画壇での地位を固める 明治35 長男信太朗生まれる 後の松篁 大正 5 第10回文展に『月蝕の宵』を出品 文展永久無鑑査となる 昭和 9 第1回帝展に『母子』を出品 帝展参与となる 昭和11 新文展の招待展に...
内田画廊
143,000円
■渓村春麗 けいそんしゅんれい 玉堂の代表作に「彩雨」があり、これは五日市あたりでの 取材であるが、そこから北西へ檜原街道が青梅街道に抜けて いる。 その合流手前に数馬があり、この作はそのあたりの渓流の 農家をとらえている。 手前には「彩雨」を思わせる筧と水車があり、渓流を挟んで 雑木林と巨大な岩石を対峙させている。 大いに線描を生かして、狩野派風と四条派の没骨を対比させ 山間の閑寂な空間を表している。 (付属解説書より抜粋) ■川合玉堂 明治 6年 愛知県葉栗郡に生まれる 明治20年 京都望月玉泉に入門 明治29年 上京、橋本雅邦の門に入る 明治31年 日本美術院に参加 大正 4年 東京美術学校(現東京芸術大学)の教授になる 昭和15年 文化勲章受章 昭和19年 西多摩郡御嶽に疎開永住 昭和32年 永眠 正三位勲一等旭日大綬章追贈 作家名 川合玉堂 題 名 渓村春麗 技 法 特殊美術印刷多色刷 用 紙 代用絹本 画面の寸法 天地:47.5×左右:60.0cm 掛軸の外寸法 天地:145.5×左右:80.0cm 体 裁 表 装:本表装 天 地:薄茶無地 中廻し:茶地細唐草文緞子 風 帯・一文字:白茶地唐花文金襴 軸 先:牙代用 箱 :柾目桐箱(タトウ入り) 監修 川合三男(前・玉堂美術館館長) 発 行 共同印刷株式会社
内田画廊
7,920円
■昇龍赤富士 日本の代名詞として名高い霊峰富士山。 赤く染まって見えるのは、一年に一度あるかないかの 絶景とされています。 その富士山の頂上をめざし昇りゆく龍を描いた とても縁起の良い図柄です。 ■吉岡浩太郎 1928年 山口県に生まれる 香月泰男に師事 1967年 スクリーン版画の研究を始める 1973年 絵画研究のため渡欧 1974年 セントラル画廊でシルクスクリーン版画個展 1996年 日蓮宗円頓寺壁面画制作 1997年 以降 毎年ピクチャーショーで新作発表 各種カレンダー、雑誌(表紙)掲載 2004年 東京絵画フェスティバル出品 2006年 ユニセフ絵葉書に決定 2007年 技術評論社「和の趣」に掲載 2008年 西京銀行2008年カレンダー採用 風水版画展開催 2009年 額縁絵画展出品制作 作家名 吉岡浩太郎 題 名 昇龍赤富士 技 法 ジグレ・シルクスクリーン 落 款 作者鉛筆サイン・朱落款 限定部数 800部 画面の寸法 縦22.7×横16.0cm 額縁の外寸法 縦43.4×横34.2cm 額縁の仕様 パールホワイト色版画額縁 裏面に吊り金具・ひも付き 額縁の窓 UVカットアクリル マット 紙マット 箱 紙 箱 重 量 約1.3kg
内田画廊
140,800円
■石割櫻 巨大な岩を真っ二つに割って、エドヒガンザクラの巨木が 堂々たる枝ぶりを見せて立っている。 幹の直径は1メートル35センチ、樹齢は360年を超える 名木である。 盛岡市の地方裁判所構内にあり、その名も『石割櫻』と言う。 日本中に桜の名木は数々あるが、両脇に巨石を従えた桜は 他に例を見ない。 石をも割るその力強い姿は、見る者に深い感銘を与え、 今や多くの人々を集める観光名所となっている。 石を割り、年ごとに石を押し広げて聳え立つ雄姿に触発され、 画家の筆にも力が入っている。 この『石割櫻』は、中島さんの数ある名物桜の中でも 屈指の力作と言ってよいだろう。 美術評論家 谷岡 清氏による本作解説書より抜粋 【 彩美版とは? 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 最新のデジタル画像処理技術と高精度プリントにより、 原本の持つ微妙なニュアンスや作家の筆遣いといった 絵の鼓動までもが表現されております。 『彩美版』は共同印刷の登録商標です。 ■中島千波 なかじまちなみ 1945 長野県に生まれる 1969 東京芸術大学日本画科卒業 再興第54回院展に初出品・初入選 1979 山種美術館賞展・優秀賞受賞 1984 横の会結成に参加 1987 NHK『今日の料理』の表紙絵を担当する(3年間) 1992 長野県に『おぶせミュージアム・中島千波館』がオープン 1999 『春日和』制作 2000 東京芸術大学教授に就任 2013 東京芸術大学を退任 個展をはじめ精力的に活躍中 作家名 中島千波 題 名 石割櫻 技 法 彩美版方式複製画 限 定 1000部 ※商品画像の限定部数番号は見本です ...
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