伝統工芸ギフトショップ 什物堂
62,700円
奈良時代 五島美術館蔵 仕上がり寸法:119.5x61.4cm 作品寸法:26.7x49.8cm 聖武天皇の宸翰と伝えられる写経で、北魏時代に漢訳された『賢愚因縁教』を書写したもの。もと東大寺戒壇院に伝来したが、江戸時代に散失し、その後、多くの手鑑に断簡として収められた。写経としては大粒の字であることから「大聖武」と俗称される。 本幅は字数が多く文意にもすぐれ、賢愚経の断簡の中でも最も著名なものである。本紙には茶色の粉末が撒かれており、古来、釈迦の骨粉を入れて抄造した荼毘紙とされてきたが、実際は防虫のために香木にお粉末を漉き込んだもの。
仏像仏画チベット美術卸の天竺堂
61,600円
仏教信仰のシンボル。 仏塔(ストゥーパ) 銅造彫金仕上げ サイズ:奥行き11.5cm 幅11.5cm 高さ15cm 本作品は、銅製彫金仕上げの仏塔です。 その神秘的なデザインは、まさしく仏教の宇宙観を凝縮し、立体化したもの。 安定感のある美しいフォルム 。 真上からの構図は、まさしく曼荼羅の中央部そのもの。 円形の木台に安置すれば、立体曼荼羅の完成です。 オブジェとして、信仰のシンボルとしてもおすすめです。 「ストゥーパ(仏塔)」 釈迦の入滅後、遺骨(仏舎利)を納骨するために建立されたのが起源とされます。 当時、釈尊の遺骨を八つに分配し、それぞれ建立されたとされ、釈尊亡きあと礼拝の対象として 仏教信仰の象徴的なものへと発展します。 その後、高僧の遺骨を納めてさかんに建てられるようになり、日本をはじめ、仏教国には様々な様式の仏塔が生まれました。 立体の曼荼羅ともいわれております。
79,200円
立体曼荼羅 銅造鍍金彫金仕上げ サイズ:幅・奥行き11.5cm 高さ10.5cm 本作品は、銅造鍍金彫金仕上げの立体曼荼羅です。 小スケールで上質肉厚な銅製による重厚感と 曼荼羅を基盤とした優れた像容。 智慧と英知の結晶ともいえる類稀なるデザイン性と 抜群の安定感を誇る逸品です。 八角形を土台に各方面に菩薩を配しております。 豪華な装飾鍍金による、 銅色と眩い金の煌びやか光彩。 モダンな優雅さと古えの雰囲気を併せ持つ優れたセンスは、 もはや時代を超越した究極のかたちといえましょう。 眺めるほどに宇宙のエナジーを感じさせる不思議な魅力と存在感。 オブジェとして、信仰のシンボルとしてもおすすめです。 「ストゥーパ(仏塔)」 釈迦の入滅後、 遺骨(仏舎利)を納骨するために建立されたのが起源とされます。 当時、釈尊の遺骨を八つに分配し、それぞれ建立されたとされ、釈尊亡きあと礼拝の対象として 仏教信仰の象徴的なものへと発展します。 その後、高僧の遺骨を納めてさかんに建てられるようになり、 日本をはじめ、仏教国には様々な様式の仏塔が生まれました。 立体の曼荼羅ともいわれております。
古都-京都 掛け軸専門店 文永堂
77,000円
松竹梅七福神図 k234 寸 法 丈:118cm×幅:66cm(尺八横) 作 家橋本雅邦(はしもと・がほう) 橋本雅邦 天保6年(1835)江戸木挽町の狩野家の邸内に生まれる。幼名千太郎。 弘化3年(1846)木挽町画所の当主狩野勝川院雅信の門に入る。 安政4年(1857)この頃、勝川院門の弟子頭(塾頭)となる。塾内では、芳崖らとともに勝川院門下の四天王と称される。 明治18年(1885)第一回鑑画会大会に「山駅秋色」「毘沙門天」を出品、「山駅秋色」が三等受賞。 明治23年(1890) 第三回内国勧業博覧会の審査官となる。「秋景山水(白雲紅樹)」を出品し、妙技一等賞を受賞。 帝室技芸員、東京美術学校絵画科教授となる。 明治28年(1895) 第四回内国勧業博覧会に「釈迦十六羅漢図」を出品、妙技一等賞を受賞。「晩林帰漁」を制作。 12月、勲六等瑞宝章を受章。 明治31年(1898)日本美術院創立にあたり、その主幹となる。 明治33年(1900)パリ万国博覧会に「龍虎図」を出品、銀賞受賞。 明治37年(1904)セントルイス万国博覧会に、「山風蕩樹」「蓬莱朝陽」などを出品し、最高名誉賞を受賞。 明治41年(1908)本郷龍岡町の自邸にて逝去。享年74歳。 体 裁 表装:三段表装 天地:宝冠紋万象裂 中廻:宝尽紋北山緞子 一文字・風帯:福寿紋金襴 軸先:黒檀 箱:柾目桐箱、タトウ入り 技法 彩美版 写真は出来るだけ実物と近づけていますが どうしても差異が発生する事がありますのでご了承下さい。
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