メチャ買いたい.comがお届けする、おすすめの「昭和 37 年 50 円」検索結果。
お客様が入力された検索条件に該当する商品が見つかりませんでした。

こちらの関連商品はいかがですか?

【茶器/茶道具 掛軸(掛け軸)】 小幅 一行画賛 秋声天地間 福本積應筆 雁に月の画 上村米重画

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

51,480

【茶器/茶道具 掛軸(掛け軸)】 小幅 一行画賛 秋声天地間 福本積應筆 雁に月の画 上村米重画

サイズ約幅29.6×高170cm 約本紙25cm 作者字:福本積應筆 画:上村米重画 箱木箱 (輪吉大・64800) 【コンビニ受取対応商品】秋声天地間しゅうせいてんちのかん/しゅうせいてんちのあいだ(秋聲天地間) 空には雁の鳴く声が響き、地上には冷たい秋風がそよぐ。どこかしこも秋一色。寂寞(せきばく)とした秋の景色と、それを見やる静かな心境を詠っている。 【福本積應】大徳寺派 招春寺 1930年昭和05年 京都生まれ 大徳寺塔頭養徳院、宗應和尚に就き得度 大徳寺派元管長・清涼軒歓渓老師の弟子となり、美濃 虎渓僧堂にて修業 1954年昭和34年 招春寺住職拝命 1975年昭和50年 宝林寺兼務住職、宗会議員拝命 宝林寺を後任住職に譲り、現招春寺住職 宝林寺を後任住職に譲り、現招春寺住職 ------------------------------ 【上村米重】 1950年昭和25年11月新潟県生まれ 1972年昭和47年 金原明石氏に染織図案及び染色の基礎を習 1982年昭和57年 工房:上村を設立し、水墨画を南画院展に毎年出品す 1985年昭和60年 日本南画院正会員 1998年平成10年 日本染織作家協会正会員 日本染織作家協会理事・京都彩芸美術組合理事 京都彩芸美術展にて市長賞・日本南画院展にて奨励少会、他、多数受賞

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 歳月不待人 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,302

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 歳月不待人 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野丸中・3670) 【コンビニ受取対応商品】歳月不待人さいげつひとをまたず 時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれるこFとなどない。 転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。 陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づく。 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 清秋竹露深又は秋山風月清又は昨夜一聲雁(昨夜一声雁)又は清風万里秋 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,302

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 清秋竹露深又は秋山風月清又は昨夜一聲雁(昨夜一声雁)又は清風万里秋 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野丸中・3565) 【コンビニ受取対応商品】清秋竹露深せいしゅうちくろふかし 竹の葉の上で玉のように輝く一滴の露は清々しい天下の秋を 含んでいる。水晶の玉の様な 竹露は互いに互いを映し出す清らかさを持つ。 すなわち心が澄み渡る状態。 秋山風月清しゅうざんふうげつのきよき 秋の山は風も月も清らかに澄み渡っている。 どこまもでも透明な独脱の世界。 昨夜一聲雁さくやいっせいのかり(昨夜一声雁) 昨夜雁が一声鳴いて空を渡っていった。 雁の一声がまるで秋を呼び起こしたようにすっかり秋色が深まっている様子。 清風万里秋せいふうばんりのあき(清風萬里秋) 清風が吹き渡りあたり一面が秋景色のこと。 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 萬国春又は為誰開又は微笑春 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 桜の画 円香画

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

4,900

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 萬国春又は為誰開又は微笑春 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 桜の画 円香画

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 箱たとう紙 注意メール便不可 (ス輪中・4900)〇5445 【コンビニ受取対応商品】花開萬国春はなひらくばんこくのはな(花開万国春) 一輪の花が天下に春の訪れを知らせる。一と多との相即する妙用の世界の表現。 百花為誰開ひゃくかだがためにひらく(百花春至為誰開) 春が来てたくさんの花が開くのはいったい誰に見せるためか。せっかく満地の花をなぜか見て取れないのかという意味が込められている。 桜花微笑春おうかびしょうのはる 桜花は日本の桜ではなく桜桃の花。それが僅かに咲き始めた早春のめでたい風景。 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

〇【茶器/茶道具 短冊画賛 節分】 直筆 福は内 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 豆まきの画 円香画

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

4,647

〇【茶器/茶道具 短冊画賛 節分】 直筆 福は内 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 豆まきの画 円香画

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者柳生紹尚作画:円香 箱たとう紙 注意メール便不可 (野目中・4620)〇5115 【コンビニ受取対応商品】福は内ふくはうち 節分(豆を撒き)、福を呼び込む言葉。 お福熊手…「運をかっ込む」「福を掃きこむ」縁起物の熊手 お福熊手の画は節分だけでなくお正月などにもおすすめ 福は内ふくはうち 節分(豆を撒き)、福を呼び込む言葉。 笑門来福わらうかどにはふくきたる 【上方版「いろはがるた」出典より】笑う門には福きたる。 節分の節句の行事の頃 いつもにこにこと笑って暮らす人の家には、自然に幸運がめぐってくる、という意味です。 禅語には「阿々大笑」がある。悟りの真っ直中から迷妄を吹き飛ばす笑である。 ・・・・・ 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 渓泉清流又は春水満四澤 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,303

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 渓泉清流又は春水満四澤 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (R5/野山丸岡・3670) 【コンビニ受取対応商品】渓泉清流けいせんせいりゅう 渓泉(けいせん)とは谷間に湧く泉。そこから流れ出した細い清流がかすかな音をたてている。深山の閑(しず)かなたたずまい。 春水満四澤しゅんすい、したくにみつ 春になって雪解け水が何処の沢にも満ち溢れ、萬物を潤している。やがて、大河となり滔々と流れていく。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事是貴人又は白珪尚可磨又は主人公 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,303

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事是貴人又は白珪尚可磨又は主人公 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野山丸岡の礼り・3670) 【コンビニ受取対応商品】無事是貴人ぶじこれきにん 禅でも茶道でも、何の計らいもなく自然法爾に徹する人を最高の人とするという意味。 白珪尚可磨はっけいなおみがくべし(白圭尚可磨) 完全無欠の貴重な玉でも、さらに磨き続けるべきであるという意味。 主人公しゅじんこう 瑞巌(ずいがん)和尚は 「おーい、主人公(自分)よ。ちゃんと目を覚ましているか」と、自分自身に声をかけては自分で答えていたことから主人公という禅語は生まれた。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

〇【茶器/茶道具 色紙】 直筆 歳月不待人又は壺中日月長 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

5,148

〇【茶器/茶道具 色紙】 直筆 歳月不待人又は壺中日月長 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 作者松涛泰宏筆(宗潤) 箱たとう紙 注意メール便不可 (R5/輪輪~輪山丸岡・5750) 【コンビニ受取対応商品】歳月不待人さいげつひとをまたず 時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれることなどない。 転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。 陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づく。 壺中日月長こちゅうにちげつながし壷中日月長 茶道で狭い室内を時空を越えた仙境とし、思う存分異次元を体験する場所に見立てる。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 竹葉々起清風又は山水有清音 松濤泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,303

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 竹葉々起清風又は山水有清音 松濤泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松濤泰宏(宗潤)筆(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野丸岡・3960) 【コンビニ受取対応商品】竹(為君)葉々起清風たけ(きみがために)、ようようせいふうをおこす(竹葉葉起清風) 竹の葉っぱが重なり合い揺れ、さわやかな風を起こしている 現象としては、風が葉を揺らしているのですが、ここでは、葉が風を起こしている かつての弟子が旅の前に訪ねてきてくれたので門まで見送る。すると(あなたの為に)竹の葉までもが風を起こして新たな旅立ちを送っていた。 山水有清音さんすいにせいおんあり 左思(さし)西晋 の詩人 山や川、自然には、澄んだ清らかな音がある の意。 人為のない、ありのままの世界が奏でる清浄な響き。下手な造作を加えないありのままの世界。 【松濤泰宏(松涛泰宏)(宗潤)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一雨潤千山又は千山添翠色 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,303

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一雨潤千山又は千山添翠色 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野山丸岡の礼り・3670) 【コンビニ受取対応商品】一雨潤千山いちうせんざんをうるおす ひとしきりの雨があらゆる山を潤す。炎早(えんかん)の地に恵みの雨が降りそそぎ、潤いを取り戻して植物が生き生きと蘇る爽やかな夏の情景。一雨は、みなに平等に行き渡る。一雨は、一粒の信念であり、一粒の愛である。わずかに身を濡らすだけの雨も見渡せばあらゆるものをゆったりと潤している様子。 千山添翠色せんざんすいしょくにそう 見渡す限りの山々に鮮やかな翠が見える若葉が萌えいずる初夏の風景。 中国唐時代の詩人李賀の「暁は涼しく、暮れは涼しく、 樹は蓋の如し、千山の濃緑雲外に生ず。」による。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

【茶器/茶道具 蓋置】 栄螺 川瀬表完作 木箱

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

40,645

【茶器/茶道具 蓋置】 栄螺 川瀬表完作 木箱

サイズ約横幅7.6×奥6.5×高4.5cm 作者川瀬表完作 箱木箱 (ウ・49900) 【コンビニ受取対応商品】【初代 表完(本名 敏太郎)】 京都の塗師 1904年明治37年〜1969年昭和44年 江戸末期、木村表斎を祖師とする京塗りの「表派」の技法を祖父 千太郎より継承する。 表派の技法を伝承する初代 鈴木表朔(2代 表斎)に師事し、本堅地・溜塗・布摺・木地溜塗など正統な塗技法を受け継ぎ、初代 表完を名乗る。 初代没後、長男 厚(1933〜2007)と次男 功(1937〜)が共に表完を襲名し、表完工房を設ける。 【2代 川瀬表完(本名 功)】 祖父 千太郎、父 敏太郎(初代 表完)より継承し京塗師2代表完そして京漆器の制作に従事。 1937年昭和12年生まれ 京漆器伝統工芸士 京都府優秀技術者(京の名工) 【3代 川瀬表完(本名 川瀬 厚)】雅号 2代 東山表完 1933年昭和08年 初代表完の長男として京都に生まれる 1993年平成05年 伊勢神宮式年御遷宮に際し御神宝復元従事通産省 京都府「京の名工」 厚生労働大臣 「現代の名工」受彰日本伝統工芸士会幹事歴任 京都伝統工芸大学校京塗教授 日展会友 1995年平成07年 他界 伝統の京塗技法を継承しながらも、新素材などを用いた新しい漆芸の制作に着手するなど 現代に合わせた独創的な活動をする 【当代 川瀬表完(本名 川瀬 正)】雅号 3代 東山表完 1964年昭和39年 アメリカ サンフランシスコ生 京都育ち 1980年昭和55年 夜間高校に通学しながら父二代東山表完(厚)に師事 1981年昭和56年 京都市工業試験場 漆塗りか卒(主任講師 京塗師山根正春先生) 1985年昭和60年 京都市工業試験場 マキエか卒(主任講師 漆芸家水内恭平先生)...

【茶器/茶道具 掛軸(掛け軸)】 一行 南無阿弥陀仏 西村古珠筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

29,260

【茶器/茶道具 掛軸(掛け軸)】 一行 南無阿弥陀仏 西村古珠筆

作者字:西村古珠筆 箱木箱 (野吉中・41800)輪山り宗源 【コンビニ受取対応商品】南無阿弥陀仏なむあみだぶつ そのサンスクリット語で意味を見ると理解できます。 南無の意味は「私は帰依(きえ)します」という意味になります。続いて、阿弥陀は「無量の命、果てのない光」を表す言葉の語幹であり、「我々には量り知ることができない」という意味になります。 仏はサンスクリット語のブッダを指し、全文では「我々には量り知ることができないブッダに帰依します」という意味になります。 より解りやすく言いますと、「我々はブッダにすがって全てをお任せします。私はブッダに心から従います。」という誓いの言葉になります。 【西村古珠】大徳寺派 雲門山 寶林寺 1962年昭和37年 愛媛県生まれ 1987年昭和62年 京都大学文学部卒業 大徳寺塔頭龍光院、小堀南嶺師に就き得度 大徳寺専門道場へ掛塔 大徳寺派元管長・高田明浦老師の弟子となり、修業 1995年平成07年 南宗寺専門道場へ掛塔 南宗寺、田島碩應師に師事 2006年平成18年 寶林寺住職 ------------------------------------------------------------ 【寶林寺】 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 寶林寺 山号を曹渓山は 禅宗の祖と言われる達磨大師より、6代目慧能禅師が、この地に来りて、仏法を解きて以来、禅の宗風喩々隆盛となる。 開山、春嶺紹温禅師(大灯国師より204世)は寛文年間亀岡の地に来りて創建し、曹渓山寶林寺と名付けられた。 山内には、重要文化財(旧国宝)の薬師・阿弥陀・釈迦の三如来の仏像と九重石塔婆等があります。

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 青山元不動又は清流無間断 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,303

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 青山元不動又は清流無間断 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (有/野山丸岡、清流・3670) 【コンビニ受取対応商品】青山元不動 白雲自去来せいざんもとふどう はくうんおのずからきょらい 梅雨があけると遠く青山(雄大な山)がくっきりと現れ、いよいよ本格的夏がくる。 泰然として動かざる山と、動いてやまない雲の対比された自然の妙景。 山は堂々と立っていて何事にも動じない、白い雲は自由に行き来する つまり、自在な白い雲が山の周りを行き来しようが、山は動じずに堂々としてる。 周囲がどのように移ろい変わろうとも、山のように動ずることなく自分の進むべき道を進めば良いのです。 清流無間断せいりゅうかんだんなし 清らかな流れが、絶え間なく続く様。 常に活動する ものは、尊い清流のように、新鮮さを持ち続ける。 不断の努力修行が大切であるの意 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

△【茶器/茶道具 短冊】 直筆 木葉動秋声 松涛泰宏筆又は清霜紅碧樹 戸上明道筆又は採菊東籬下 戸上明道筆又は悠然見南山 松涛泰宏筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,927

△【茶器/茶道具 短冊】 直筆 木葉動秋声 松涛泰宏筆又は清霜紅碧樹 戸上明道筆又は採菊東籬下 戸上明道筆又は悠然見南山 松涛泰宏筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 戸上明道筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (野申中・4650) 【コンビニ受取対応商品】木葉動秋声もくようしゅうせいをうごかす 木の葉は風に吹かれてさらさらと、秋の音を響かせている。 夏の間は、さわさわ〜と風にそよいでいた。木の葉の音もいつの間にか、ざわざわ〜に変わり、足元には落ち葉がという風情。 清霜紅碧樹せいそうこうへきのじゅ 清い霜が樹の緑を紅く変え、白い露は黄色の花を紫に変えてしまった。 人生の哀愁を、季節の移ろいに託して詠んだ詩 採菊東籬下きくをとるとうりのもと 東の垣根のところで菊を取ったり、街中にいたとしても、気持ちはゆったりとしている様。 悠然見南山ゆうぜんとなんざんをみる ゆったりとした気分で南山を見上げる。煩悩妄想の跡形もない、悠悠自適な様子。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる ----------------------------- 【戸上明道】玉瀧寺 1935年昭和10年03月 三重県玉瀧(伊賀市)に生る...

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 清風 秋草の画又は萬里秋 栗の画又は満山川 紅葉の画又は自然成 柚子の画(ゆず) 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,267

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 清風 秋草の画又は萬里秋 栗の画又は満山川 紅葉の画又は自然成 柚子の画(ゆず) 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 注意メール便不可 (R5/野吉中・3645) 【コンビニ受取対応商品】清風せいふう さわやかな風。すがすがしい風。また、清新な空気・気分。 清風万里秋せいふうばんりのあき(清風萬里秋) 清風が吹き渡りあたり一面が秋景色のこと。 紅葉満山川こうようさんせんにみつ 紅葉が山にも川にも満ち満ちている情景。 目の前の錦秋の風景は、そのままが悟境であり、妙景であり、仏性そのものと言える。 結果自然成けっかじねんになる 禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝えられており「一華開五葉」と対句を成している。 「吾れ本と茲の土に来たり、法を伝えて迷情を救う。一華五葉を開き、結果自然に成る」 深遠な佛法の真髄が込められた妙句であるが、一般には「開く」「成る」という言葉の連想から開運吉祥の語として古来愛唱されてきた。 やれるだけのことを精一杯やったら、あとは自然に果実が実るのを待てばいい 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 南山寿 秋桜の画又は秋澄む 彼岸花(曼珠沙華) 西垣大道筆 曽根幸風画(肉筆画)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,652

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 南山寿 秋桜の画又は秋澄む 彼岸花(曼珠沙華) 西垣大道筆 曽根幸風画(肉筆画)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者字:西垣大道筆 画:曽根幸風画 箱たとう紙 注意メール便不可 (野申丸R6/N・/1-・・大・4565)〇5025 【コンビニ受取対応商品】南山寿なんざんじゅ 終南山が崩れないように生命や事業がいつまでも続くこと。 人の長寿を祝う言葉。 秋澄むあきすむ 秋になり、大気の見透しが非常によくなること。 【西垣大道】極楽寺 兵庫県城崎 1942年昭和17年 庫県に生まれる。 1949年昭和24年 分山宗興について得度。日本社会福祉大学卒業後、大徳僧堂、のち相国僧堂に掛塔。 1976年昭和51年 仏教大学大学院修士課程修了。 1978年昭和53年 兵庫県城崎郡の大徳寺派極楽禅寺住職に就任し、現在に至る。 ------------------------------ 【曽根幸風】 1936年昭和11年 京都粟田口生れ 1956年昭和31年 京都府立陶工専修校(陶画科)終了 (故陶師高嶋光楽のもとで作陶師事) 1957年昭和32年 故陶師人間国宝富本憲吉先生に陶画師事 1973年昭和48年 京都洛東 東山に開窯(幸風窯) 1978年昭和53年まで京都東山の窯元で作陶に修行 1989年平成01年 京都 伏見に移窯 (茶道の陶画を通じ絵画に励む)

〇【茶器/茶道具 短冊画賛 ひな祭り】 直筆 千歳春 佐藤朴堂筆又は千歳春 小堀良實筆又は笑春風 小堀良實筆 立雛の画 3種類より選択

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,872

〇【茶器/茶道具 短冊画賛 ひな祭り】 直筆 千歳春 佐藤朴堂筆又は千歳春 小堀良實筆又は笑春風 小堀良實筆 立雛の画 3種類より選択

直筆 サイズ約縦36.3×横巾7.5cm 箱たとう紙 作者千歳春:佐藤朴堂筆 千歳春/笑春風:小堀良實筆 注意メール便不可 (ス輪中(・4840)〇5250 【コンビニ受取対応商品】桃花千歳春とうかちとせのはる 桃の花は千年かわらずに春を告げて無心に咲いている。 桃花笑春風とうかしゅんぷうにえむ(挑花笑春風) 桃の花が春風に誘われて咲きほころんだ様子。春の喜びをうたったもの。 【佐藤朴堂(本名 宗秀)】 1935年昭和10年07月京都市に生 1947年昭和22年09月兵庫県(但馬:大徳寺派蔵雲寺熙道和尚に就て得度 1956年昭和31年 京都花園妙心寺専門道場禅修業に参禅 1956年昭和46年06月大徳寺派福聚院に住職す 1977年昭和52年04月大徳寺前往位に昇進 ------------------------------ 【福聚院】大徳寺派 滋賀県 ------------------------------ 【小堀良實(りょうじつ)】寶林寺 山号を曹渓山 大徳寺派 (臨済宗) 1972年昭和47年 京都市:大徳寺:弧蓬庵の次男に生 1996年平成08年 花園大学卒業 博多 崇福寺専門道場にて修行 2004年平成16年 寶林寺住職 ------------------------------ 【寶林寺】 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 寶林寺 山号を曹渓山は 禅宗の祖と言われる達磨大師より、6代目慧能禅師が、この地に来りて、仏法を解きて以来、禅の宗風喩々隆盛となる。開山、春嶺紹温禅師(大灯国師より204世)は寛文年間亀岡の地に来りて創建し、曹渓山寶林寺と名付けられた。 山内には、重要文化財(旧国宝)の薬師・阿弥陀・釈迦の三如来の仏像と九重石塔婆等があります。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は日々是好日又は無事又は無尽蔵 長谷川大真筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,705

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は日々是好日又は無事又は無尽蔵 長谷川大真筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者長谷川大真筆 箱たとう紙 注意メール便不可 円相は限定(R4/棒丸岡・15890) 【コンビニ受取対応商品】一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 日々是好日日にちにち、これこうじつ ●日々是好日(にちにち、これこうじつ)…「毎日毎日が素晴らしい」という意味である そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている 無事ぶじ 無造作、平常の意味、何も起こらぬことの意味。 無盡蔵むじんぞう(無尽蔵) この宇宙に生きるにあたって、全てを投げ捨てて無一物に徹すれば、逆に全てが無尽蔵に湧き出てくるとの意味です。 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ------------------------------ 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚・千宗旦の修道場として著名です。 春屋和尚の弟子には、徳川幕府の悪令に対抗して大徳寺の面目を天下に示した玉室・江月宗玩和尚がおられます。近衛信尹・久我敦通・古田織部・藪内剣仲・小堀遠州・黒田長政・桑山重晴・瀬田

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 山花開似錦 秋吉則州筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

9,680

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 山花開似錦 秋吉則州筆

直筆 作者秋吉則州筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (礼丸り・11880) 【コンビニ受取対応商品】山花開似錦(さんかひらいてにしきににたり) 真理の法身と、肉身とは決して別物でない。 瞬時に散ってしまう花がそのまま堅固な法身なのだ。 【秋吉則州 (あきよしそくしゅう)】芳春院 臨済宗 大徳寺塔頭 1948年昭和23年 大分県大徳寺派光厳寺の三男一女の長兄として生 1967年昭和42年 東京都上野の広徳寺、福富雪底師のもとで小僧生活を送りつつ、駒澤大学に通う 1971年昭和46年 駒澤大学卒業 1972年昭和47年 京都大徳寺専門道場に掛搭(雲水修行)、中村祖順老師に参ずる 1984年昭和59年6月 芳春院副住職に就く。12月には専門道場を出て芳春院に入り、住職三重野荊山老師の看病につき看取る 1986年昭和61年 芳春院住職となり、現在に至る ------------------------------ 【芳春院】 臨済宗 大徳寺塔頭 慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、芳春院)が建立。 法号をとって芳春院と名付け、前田家の菩提寺とした。 寛政8年(1796年)の火災により創建当時の建物が焼失するが、2年後に前田家11代の前田治脩によって再興された。 明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、明治8年(1875年)になってようやく復興される。

ホビーのランキング

スポンサーリンク
スポンサーリンク