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手芸道具の商品検索結果全220件中1~60件目

【茶器/茶道具 灰道具】 灰匙セット 灰押さえ/灰ならし 黒味 三本組 吉羽興兵衛作(釜師)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

61,050

【茶器/茶道具 灰道具】 灰匙セット 灰押さえ/灰ならし 黒味 三本組 吉羽興兵衛作(釜師)

作者吉羽興兵衛作(釜師) 箱木箱 (限定酒・59940) 【コンビニ受取対応商品】【初代 吉羽興兵衛(幼名 健之助)】 1895年 京都四条室町に生 1906年 12歳にして京都三条釜座の千家十職大西家13代目浄長の門下に入る 1925年 大西家より別家を許される 師匠浄長より興兵衛の号を受け京釜師として独立する 表千家様即中斎宗匠、裏千家淡々斎宗匠より御箱書及び御好の釜の御用を賜る 以来、京釜の伝統を守り各種展覧会に出品受賞し、技術保存優秀作家に指定も受ける 1972年 喜寿を期に長男宗敏に興兵衛を譲り、隠居名を惣興とする 1977年 著書「釜」光琳社 晩年の作品制作に意欲をもやし、又、後継者の指導、小作釜の鑑定研究する 1983年「京釜の真髄」と題して、京都高島屋にて、米寿記念展を催す 1986年 91歳にて没 【2代 吉羽興兵衛(本名 宗敏 )】 1930年 初代 興兵衛の長男として生 1947年 家業釜師の修行に入る 1972年 2代 興兵衛を襲名 爾来京釜の伝統を厳しく守り新しい創造を求めて研究製作に打ち込む 1974年 東京にて興兵衛襲名記念展 1975年 京都にて興兵衛襲名記念展 1981年 東京日本橋三越本店にて第一回個展 爾来三年ごとに個展催す。以後福岡・京都等で個展多数 1984年 広島にて個展および文化講演会「京釜から見た茶の文化」岡山で「京釜の製作とその見方」以後各地で講演多数行う 2005年 京都高島屋、東京日本橋三越本店にて喜寿記念展 2008年 長男柾人に三代興兵衛を譲り、二代惣興となる 【3代 吉羽興兵衛(本名 柾人)】 1968年 2代興兵衛の長男として生 1985年 先代、先々代のもと仕事場に入る 1991年 京都芸術短期大学(芸術学部立体専攻)卒業 ...

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 雨後青山青転青 長谷川大真筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,320

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 雨後青山青転青 長谷川大真筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者長谷川大真筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (R3/棒丸岡・り・15800) 【コンビニ受取対応商品】雨後青山青転青うごのせいざんあおうたたあおし 雨が降った後の青山の青は益々青くなっている、ということです。 青山は、青峰のことで、遠くの山が、青く見える様で、木々は青々と茂っていて遠くからは青く見えている。 雨が降った後の青い山は、緑が一層青い、この一行だけで清々しくさせてくれます。 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ------------------------------ 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚・千宗旦の修道場として著名です。 春屋和尚の弟子には、徳川幕府の悪令に対抗して大徳寺の面目を天下に示した玉室・江月宗玩和尚がおられます。近衛信尹・久我敦通・古田織部・藪内剣仲・小堀遠州・黒田長政・桑山重晴・瀬田掃部・山岡宗無等が参禅した事もつとに知られます。また、石田三成・古田織部の墓があり、茶室は古田織部の設計による篁庵があります。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 紅炉一点雪 有馬頼底筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

17,325

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 紅炉一点雪 有馬頼底筆

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 箱たとう紙 作者有馬頼底筆 注意送料無料 (R5/ス吉り・19120) 【コンビニ受取対応商品】紅露一点雪こうろいってんのゆき 煩悩妄念を断滅した坐禅三昧の正念のある処、ここにはどんな邪念も寄せつけない。迷妄、邪悪は、恰も紅蓮の炎をあげて赤々と燃え盛る炉の上に、一片の雪花が舞い落ち、一瞬のうちに溶けて跡形もなく消えてしまうかのようだ。 【有馬頼底(号 大龍窟)】萬年山相国承天禅寺 相國寺派 臨済宗 7代管長 京都仏教会 理事長、日本文化芸術財団 理事 久留米藩主 有馬家(赤松氏流)の子孫 (東京にて華族の家系に生まれ、天皇陛下のご学友となる) 1933年昭和08年 有馬本家当主有馬頼寧の従兄弟にあたる分家有馬正頼男爵の次男として東京で生を受ける 1941年昭和16年 8歳の時、大分県日田市の岳林寺で得度 1955年昭和30年 22歳 京都臨済宗相国寺僧堂に入門。大津櫪堂老師に師事 1968年昭和43年 相国寺塔頭大光明寺住職 1971年昭和46年 相国寺派教学部長 1984年昭和59年 相国寺承天閣美術館設立により事務局長 1988年昭和63年 京都仏教会理事長に就任 1995年平成07年 臨済宗相国寺派七代管長(相国寺132世)に就任・・・・・・・・

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 白雲自去来 秋吉則州筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

9,680

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 白雲自去来 秋吉則州筆

直筆 作者秋吉則州筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (礼丸り・11880) 【コンビニ受取対応商品】白雲自去来はくうんおのずからきょらいす 白雲は時々に生起する妄想や煩悩などの例え、白雲はその周囲を無心に去来している意味。 【秋吉則州 (あきよしそくしゅう)】芳春院 臨済宗 大徳寺塔頭 1948年昭和23年 大分県大徳寺派光厳寺の三男一女の長兄として生 1967年昭和42年 東京都上野の広徳寺、福富雪底師のもとで小僧生活を送りつつ、駒澤大学に通う 1971年昭和46年 駒澤大学卒業 1972年昭和47年 京都大徳寺専門道場に掛搭(雲水修行)、中村祖順老師に参ずる 1984年昭和59年6月 芳春院副住職に就く。12月には専門道場を出て芳春院に入り、住職三重野荊山老師の看病につき看取る 1986年昭和61年 芳春院住職となり、現在に至る ------------------------------ 【芳春院】 臨済宗 大徳寺塔頭 慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、芳春院)が建立。 法号をとって芳春院と名付け、前田家の菩提寺とした。 寛政8年(1796年)の火災により創建当時の建物が焼失するが、2年後に前田家11代の前田治脩によって再興された。 明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、明治8年(1875年)になってようやく復興される。

【茶器/茶道具 香合 節分】 お福 西尾瑞豊作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

2,640

【茶器/茶道具 香合 節分】 お福 西尾瑞豊作

サイズ約幅5×長さ6.5×高3.5cm 作者西尾瑞豊作 箱紙箱 (節分N058ス申西)(・3300) 【コンビニ受取対応商品】福は内(ふくはうち) 【節分の日の、豆の撒き方】 2月3日・立春の前日の節分 春が来る季節の変わり目の行事。 鬼門の方角では窓を開けて外に向かって鬼は外で2回撒く、撒いたら直ちに窓は閉める事。 鬼門とは東北と西南の方角です。 そして、門の外では、福は内と2回撒く。 家の内では、福は内と1回です。 でも、自由に撒かれたら良いと思います。 食べる豆の数は年齢の数(数え年の年齢) 【3代 西尾瑞豊 (本名 信重)】 1902年明治35年 初代、瑞豊(豊)、岐阜県に生まれる 1917年大正06年 瀬戸市にて陶磁器の製造販売に従事 1923年大正12年 前身の西尾商店を創業 1929年昭和04年 四日市に移り、花器・茶陶器を専門に扱う 1931年昭和06年 二代瑞豊(雄致)生まれる 1952年昭和27年 初代に師事 1955年昭和30年 第一回日芸展開催、以降、文部大臣賞、通産大臣賞等、複数回受賞 1960年昭和35年 3代 瑞豊(信重)生まれる 1983年昭和58年 雄致氏が、2代目を襲名 重信氏が大阪にて修業後、2代目に師事する 1990年平成02年 重信氏は日芸展終了後も、若手作家の育成を計る 2001年平成13年 重信氏3代目を襲名(以後、現在も研鑽中)

【茶器/茶道具 お棚】 竹台子 利休好写し 小林幸斎作 組立式

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

46,090

【茶器/茶道具 お棚】 竹台子 利休好写し 小林幸斎作 組立式

サイズ約幅75.1×奥行39.0×高60.0cm 素材桐木製 柱:竹 作者小林幸斎作 箱紙箱 (有輪丸山大)(・57650)組立の際、竹に記載の番号と穴の番号は同じに場所に差し込んでください。 間違って差し込むと折れたりなどの原因となります。 竹台子(たけだいす)とは 長方形の天板、地板ともに桐木地で、竹の四本柱の、「草」の格の台子です。 大小あり、大は珠光好み、小は利休好みです。 「真台子」を基本として、村田珠光が上下の板を桐木地とし白竹の柱を立てることを創案し、武野紹鴎に伝わり、紹鴎・利休の時代に現在見られる大きさになったとされます。 珠光好竹台子は、幅三尺五分、奥行一尺四寸、高さ二尺二寸と真台子と同様の寸法となっており、柱には傘の柄竹を用いたといいます。 利休好竹台子は、台子地板から「風炉の部分」を除いて「炉用」に好んだもで、寸法は、天板長さ二尺四寸八分、幅一尺二寸七分七厘、厚さ五分五厘、地板の長さ・幅は天板と同じで厚さが一寸二分、竹柱の高さは一尺八寸一分となっています。 竹柱は、三節を客柱(右手前)と角柱(左向う)に、二節を向柱(右向う)と勝手柱(左手前)にします。ただし、三節一本の時はこれを客柱に用います。元来、地板は根のほうを勝手付に、天板は根のほうを客付にします。 炉用とされていますが、風炉に使用するときは小風炉を用います。 【小林幸斎】指物師 1449年昭和24年京都の山科に生る 師 先代に師事して、4代を継承 茶道具を製作・研鑽し現在に至る

〇【茶器/茶道具 色紙画賛】 直筆 歳月不待人 小堀良實筆 茶筅売りの画

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

5,478

〇【茶器/茶道具 色紙画賛】 直筆 歳月不待人 小堀良實筆 茶筅売りの画

配送宅配便(メール便不可) 直筆 作者小堀良實筆 箱たとう紙 注意メール便不可 R5/輪の中・6095)〇6095 【コンビニ受取対応商品】歳月不待人さいげつひとをまたず 時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれるこFとなどない。 転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。 陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づく。 ----------------- 【小堀良實(りょうじつ)】寶林寺 山号を曹渓山 大徳寺派 (臨済宗) 昭和47年 京都市:大徳寺:弧蓬庵の次男に生 平成08年 花園大学卒業 博多 崇福寺専門道場にて修行 平成16年 寶林寺住職 ---------- 【寶林寺】 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 寶林寺 山号を曹渓山は 禅宗の祖と言われる達磨大師より、6代目慧能禅師が、この地に来りて、仏法を解きて以来、禅の宗風喩々隆盛となる。 開山、春嶺紹温禅師(大灯国師より204世)は寛文年間亀岡の地に来りて創建し、曹渓山寶林寺と名付けられた。 山内には、重要文化財(旧国宝)の薬師・阿弥陀・釈迦の三如来の仏像と九重石塔婆等があります。 ----------

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 松樹千年翠又は夢 戸上明道筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

4,950

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 松樹千年翠又は夢 戸上明道筆

直筆 作者戸上明道筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (山輪中5500) 【コンビニ受取対応商品】松樹千年翠しょうじゅせんねんのみどり(松樹(寿)千年翠(緑)) 変化の激しい世の中で年月や季節に左右されずに常に変わらず美しい緑を保ち続ける松こそ万古不易の真実の象徴である 夢ゆめ 外界から実際には存在しないことを夢にたとえる。 すべての執著から脱却し、悟りも学識も名誉も忘れ去った境地。 さらに人生をはじめとするすべてがむなしく、はかないことを象徴するとも解される。 (金剛経)には. 仏教では「いろいは歌」の「色は匂 えど散りぬるを」(美しく色香漂う花も、やがて散って、しまう)に表されるように、世の中全ての現象は実体のない仮の姿で、夢幻のように何ひとつとして同じ状態で続くものはないと、諭す。 【戸上明道】玉瀧寺 1935年昭和10年03月 三重県玉瀧(伊賀市)に生る 1958年昭和33年03月 龍谷大学卒業 1960年昭和35年04月 大徳寺専門道場掛塔 (小田雪窓老師に師事) 1964年昭和39年07月 立命館大学院修了 1977年昭和52年03月 玉瀧寺住職 1990年平成02年02月 前住位稟承 2006年平成18年06月 閑栖 ------------------------------ 【玉瀧寺】 玉瀧寺 吉祥山 三重県北伊賀(現伊賀市)

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 青松多寿色 久田宗也筆(尋牛斎)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

35,200

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 青松多寿色 久田宗也筆(尋牛斎)

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 箱たとう紙 作者久田宗也筆(尋牛斎) 注意メール便不可 (・43200) 【コンビニ受取対応商品】青松多寿色せいしょうじゅしょくおおし 松は常緑樹の代表として、さまざまな象徴に用いる。 何時までも青々とした松は、それだけで御目出度い色をしている。若さの象徴「緑」、 不老長寿を連想させる。 当然、祝いの席には松が飾られることが多い 「寿」の語が入った句は「長寿」の象徴である。 禅語で「うつろうことのない不動の松の青さこそ、寿の色」という意味を持っています 。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年~1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年~1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年~1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年~1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり...

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 灼々曙光来 久田宗也筆(尋牛斎)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

30,800

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 灼々曙光来 久田宗也筆(尋牛斎)

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者久田宗也筆(尋牛斎) 箱たとう紙 (・40150) 【コンビニ受取対応商品】灼々曙光来しゃくしゃくしょこうきたる 灼々…光り輝くさまのこと。 曙光…夜明けに、東の空にさしてくる太陽の光。 物事の前途に見えはじめた明るいきざし。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年〜1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年〜1768年4月26日 不及斎の次男 【6代 磻翁宗渓 挹泉斎】 1742年〜1785年7月24日 【7代 維妙宗也...

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 自画賛 無心 蜻蛉の画 有馬頼底筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

17,325

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 自画賛 無心 蜻蛉の画 有馬頼底筆

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者有馬頼底筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (ス目り・21600) 【コンビニ受取対応商品】無心むしん あるがままを受け止め、色々な妄想を断ち切った、真心を無心といいます。「心」とは心の働きのことで、その働きのないことを無心といいます。 【「秋津」というのはトンボの古名】 【秋津島、秋津洲(あきつしま、あきづしま) 日本の本州の古名。後に日本全体を指すように】「国産み神話にある・・」 【万葉集:舒明天皇】 大和には、群山あれどとりよろふ天の香具山 登り立ち国見をすれば国原は、煙立ち立つ海原は、かまめ立ち立つ うまし国そ あきづしま 大和の国は ・・・・・・ 【有馬頼底(号 大龍窟)】相國寺派 臨済宗 7代管長 1995年 金閣寺(鹿苑寺)住職、銀閣寺(慈照寺)住職 京都仏教会 理事長、日本文化芸術財団 理事 久留米藩主 有馬家(赤松氏流)の子孫 (東京にて華族の家系に生まれ、天皇陛下のご学友となる) 1933年 有馬本家当主有馬頼寧の従兄弟にあたる分家有馬正頼男爵の次男として東京で生を受ける 1941年 8歳の時、大分県日田市の岳林寺で得度 1955年 22歳 京都臨済宗相国寺僧堂に入門。大津櫪堂老師に師事 1968年 相国寺塔頭大光明寺住職 1971年 相国寺派教学部長 1984年 相国寺承天閣美術館設立により事務局長 1995年 同館長 1988年 京都仏教会理事長に就任 1995年 臨済宗相国寺派七代管長(相国寺132世)に就任

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 山水有清音又は清流無間断 長谷川大真筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,705

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 山水有清音又は清流無間断 長谷川大真筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者長谷川大真筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (棒丸岡・15890) 【コンビニ受取対応商品】山水有清音さんすいにせいおんあり 左思(さし)西晋 の詩人 山や川、自然には、澄んだ清らかな音がある の意。 人為のない、ありのままの世界が奏でる清浄な響き。下手な造作を加えないありのままの世界。 清流無間断せいりゅうかんだんなし 清らかな流れが、絶え間なく続く様。 常に活動する ものは、尊い清流のように、新鮮さを持ち続ける。 不断の努力修行が大切であるの意 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ------------------------------ 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚・千宗旦の修道場として著名です。 春屋和尚の弟子には、徳川幕府の悪令に対抗して大徳寺の面目を天下に示した玉室・江月宗玩和尚がおられます。近衛信尹・久我敦通・古田織部・藪内剣仲・小堀遠州・黒田長政・桑山重晴・瀬田掃部・山岡宗無等が参禅した事もつとに知られます。また、石田三成・古田織部の墓があり、茶室は古田織部の設計による篁庵があります。

【茶器/茶道具 蓋置】 織部焼き 蕎麦手(麦藁手) 松本鉄山作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

7,040

【茶器/茶道具 蓋置】 織部焼き 蕎麦手(麦藁手) 松本鉄山作

サイズ約直径5.3×高5.6cm 作者松本鉄山作 箱木箱 ・・(野吉山大・8800) 【コンビニ受取対応商品】【松本鉄山(安右ェ門窯)】 大正11年 生まれ 2代 山口錠鉄の次男 母方実家の窯元へ養子となり安右ェ門窯の後を継ぐ。 愛知県瀬戸市上水野町在 (長男 松本伸安 昭和26年生まれ) --------------------------------------------------- 【初代 山口錠鉄】 1895年明治28年3月 1948年昭和23年 技術保存登録を受ける 瀬戸市の赤津町代々の窯元 1953年昭和28年12月 没 【2代 山口錠鉄】 1920年大正09年2月 「赤津の窯屋山口」として300有余年続く窯元 1948年昭和23年 先代の父錠鉄が技術保存登録をうける、現代茶陶中心に活動する 伝統工芸師に認定される 1999年平成11年02月没 【山口 節 (尼錠鉄)】正悟の母 愛知県立瀬戸窯業高校卒:同校専攻科修了 【3代 山口錠鉄(本名 正悟)】 瀬戸市赤津町在住 1955年昭和30年01月生まれ 1974年昭和49年 瀬戸窯業高校専攻科修了 1999年平成11年 3代を襲名 日本の六古窯の一つである瀬戸赤津焼きは、平安の昔から千何百年もの間、継承され織部・志野・黄瀬戸・瀬戸黒等が制作され今日に至っております 師 先代 山口錠鉄師(伝統工芸師)に師事 2代の弟 山口茂(大正14年生まれ)の子供に山口重信がいます 山口重信(昭和29年生) 県立瀬戸窯業高等学校専攻科終了 県陶磁器資料館陶芸指導員 2代の二男に松本鉄山(大正11年生まれ)がいます

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 天晴日頭出 久田宗也筆(尋牛斎)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

34,100

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 天晴日頭出 久田宗也筆(尋牛斎)

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 箱たとう紙 作者久田宗也筆(尋牛斎) 注意メール便不可 (・42880) 【コンビニ受取対応商品】天晴日頭出てんはれてにっとういづる 天晴日頭出 雨下地上湿(てんはれてにっとういづ あめふりてちじょううるおう) 天気が良いと太陽が姿を表し、雨が降れば地上が濡れる。自然現象の何のはからいもない様であり、無用な分別妄想が微塵も無い無執着の有様の例えです。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年〜1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】 1715年...

【茶器/茶道具 香合】 青釉 玉取龍 和田桐山作(琴浦窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

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【茶器/茶道具 香合】 青釉 玉取龍 和田桐山作(琴浦窯)

サイズ約縦4.8×横5.3×高5.4cm 作者和田桐山作(琴浦窯) 箱木箱 (ス丸酒・28100) 【コンビニ受取対応商品】玉取龍たまとりりゅう 【龍に宝珠】龍が持つ宝珠は、人の持つ如何なる望みも叶える不思議な力があると言われています。(龍の爪で丸い玉をつかんでいる)如意宝珠(にょいほうじゅ)といってサンスクリット語で「意のままに様々な願いをかなえる宝の珠」という意味 【琴浦焼】 【和田桐山】琴浦窯 窯名「大泉窯(琴浦窯の登録商標)」は裏千家15代 鵬雲斎大宗匠より賜る 1901年明治34年 和田九十郎が西宮大社村に開窯 次男正兄(初代 桐山)が尼崎市東桜木町にうつって地名にちなみ琴浦窯と称したのが創始です 【初代 和田桐山(本名 正兄)】和田九十郎正隆の次男 1887年明治20年〜1967年昭和42年 1901年明治34年 和田九十郎正隆が数寄者窯として西宮大社村に創窯 1910年明治43年 尼崎に移窯して琴浦窯といい、陶号を「桐山」を名乗る 1923年大正12年 五室の連房式登り窯を築窯し、翁草園の煎茶器、白磁、青磁、染付、金襴手など作陶 【2代 桐山(本名 正治)】和田九十郎正隆の三男 1897年明治30年〜1977年昭和52年 兄 正兄と共に作陶に従事、神戸御影の名和家に養子入籍していたが、初代没後2代 桐山を継承 【3代 桐山(本名 春雄)】初代の長女弘子と養子縁組 1917年大正6年〜1994年平成6年 日本画を牛尾桃里に学び、初代の下で作陶に従事、2代没後3代 桐山を名乗る 【4代 和田桐山(本名 正明)】 1947年昭和22年 尼崎に3代の長男に生まれる 1972年昭和47年 琴浦窯にて作陶を開始 1982年昭和57年〜日本陶芸展、日本伝統工芸展に入選 1900年平成02年 日本伝統工芸展正会員認定...

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