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志野茶碗の商品検索結果全7件中1~7件目

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酒器 酒盃・ぐい呑み志野(706-ク)、樋口雅之作

佐藤大観堂

16,500

酒器 酒盃・ぐい呑み志野(706-ク)、樋口雅之作

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 作品は、それぞれ手作り逸品物のため、 仕上がりは、写真と多少異なります。 出来るだけ写真に近いものを手配させて頂きます。 なお、当商品は予約品につき、 作家から当方への納品が約2〜3週間要します。 しばらくお待ち頂きますが、 予めご了承下さいませ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■父の日プレゼントとしても最適の逸品!! ■酒盃・ぐい呑み 志野(706-ク) 分類 和の器 (作品番号 0706-ク) 作者 樋口雅之 (ひぐち まさゆき) 作者略歴 昭和42年 岐阜県に生まれる。名古屋芸術大学彫刻科卒。備前焼人間国宝・山本陶秀氏の内弟子として5年間学ぶ。平成 6年 第25回東海伝統工芸展入選。平成11年 第46回日本伝統工芸展入選。平成12年 現代茶陶展入選。各地で個展を開催している。 寸法 径8.3cm、 高さ6.0cm。 備考 桐共箱、共布、作家栞・略歴付。木箱が後日になる為、納品まで2週間程お待ち頂くことがあります。 取扱品:茶道具 茶碗 美術工芸品 陶磁器 和の器 酒盃 抹茶 他 創業1946年 / 茶道具販売 卸売・小売部門 知事賞 受賞:佐藤大観堂 ■トップページに戻り、他の作品を見る

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【 酒器:酒盃・ぐい呑み 】ぐい呑み 志野125樋口雅之作

佐藤大観堂

16,500

【 酒器:酒盃・ぐい呑み 】ぐい呑み 志野125樋口雅之作

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 作品は、それぞれ手作り逸品物のため、 仕上がりは、写真と多少異なります。 出来るだけ写真に近いものを手配させて頂きます。 なお、当商品は予約品につき、 作家から当方への納品が約2〜3週間要します。 しばらくお待ち頂きますが、 予めご了承下さいませ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■酒器■酒盃・ぐい呑み 志野 分類 茶道具 H-N-GS-HM-125 作者 樋口雅之 (ひぐち まさゆき) 作者略歴 昭和42年 岐阜県に生まれる。名古屋芸術大学彫刻科卒。備前焼人間国宝・山本陶秀氏の内弟子として5年間学ぶ。平成 6年 第25回東海伝統工芸展入選。平成11年 第46回日本伝統工芸展入選。平成12年 現代茶陶展入選。各地で個展を開催している。 寸法 径7.0cm、 高さ6.0cm。 備考 桐共箱、共布、作家栞・略歴付。新品。木箱が後日になる為、納品まで2週間程お待ち頂くことがあります。 取扱品:茶道具 茶碗 美術工芸品 陶磁器 和の器 酒盃 抹茶 他 創業1946年 / 茶道具販売 卸売・小売部門 知事賞 受賞:佐藤大観堂 ■トップページに戻り、他の作品を見る

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いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

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【茶器/茶道具 水指(水差し)】 高取焼き 高取静山作 八山窯

サイズ約直径15.6×本体高15.3cm 塗蓋含む高17.8cm 作者高取静山作 箱木箱 (中・100130) 【コンビニ受取対応商品】【11代】 【高取焼】 小堀遠州七窯の一つ 7か所(赤膚・上野・高取・古曽部・志戸呂・膳所・朝日) 【11代 静山(尼静山)本名:静】高取焼宗家12代 高取焼中興の祖 【高取八山】高取焼き宗家 【初代 高取八山(和名=八蔵重貞】 黒田長政公に従って朝鮮の地より渡来せし名工、 八山(和名=八蔵重貞)が開祖であります 【2代 八蔵 貞明(八山の次男) 1665〜1871年 小石原鼓窯系統 八山の次男が高取家の2代目を継ぎ、寛文5年(1665年)、小石原鼓窯に移り、この地で現在まで伝承されています 以後、廃窯そして復興窯を繰り返し、白旗山窯の時代になると、高取の作風は小堀遠州の指導により、茶入にみられる薄作りと、瀟洒な洗練されたものになり、茶人に愛された 【3代 八郎 重房 】 【4代 源兵衛 勝利】 【5代 唯作 常俊 】 【6代 清右衛門 純方】 【7代 八郎 常保 】 【8代 八郎 久敬 】 【9代 清次郎】※廃藩置県により廃窯 【10代 富基】※再興(現 小石原鼓の地) 【11代 静山(尼静山)本名:静】 高取焼宗家12代 高取焼中興の祖 1907年明治40年 高取焼宗家の長女に生 1925年大正14年 勉強のため上京 日本大学夜間部国文学を学び、東京で結婚し3人の子供を育てる。 祖父の閉じた高取焼窯を再興の為、父10代高取富基に呼ばれ東京と九州を往復しながら手助けをする、しかし父富基は初個展を前にして心労のため急死いつしか戦争の波が窯の火を消す。 戦後静山はただ一人の直系子孫として高取焼宗家の再興に尽力 1958年昭和33年 静山50歳の時高取焼宗家再興の初窯開き行う。...

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 万里一條鉄又は清流無間断又は昨夜一声雁又は清風万里秋又は紅炉一点雪 小林太玄筆 (別注承ります)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

16,940

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 万里一條鉄又は清流無間断又は昨夜一声雁又は清風万里秋又は紅炉一点雪 小林太玄筆 (別注承ります)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者小林太玄筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (目吉丸大・20800) 【コンビニ受取対応商品】萬里一條鉄ばんりいちじょうのてつ万里一條鉄 現象は変化しても実相は永遠に不変で連続していること。転じて、物事が絶えること なく続くこと。 仏道に入る時の堅固な菩提心 清流無間断せいりゅうかんだんなし 清らかな流れが、絶え間なく続く様。 常に活動する ものは、尊い清流のように、新鮮さを持ち続ける。 不断の努力修行が大切であるの意 昨夜一聲雁さくやいっせいのかり(昨夜一声雁) 昨夜雁が一声鳴いて空を渡っていった。 雁の一声がまるで秋を呼び起こしたようにすっかり秋色が深まっている様子。 清風万里秋せいふうばんりのあき清風萬里秋 清風が吹き渡りあたり一面が秋景色のこと。 紅露一点雪こうろいってんのゆき(紅炉一点雪・紅爐一点雪) 煩悩妄念を断滅した坐禅三昧の正念のある処、ここにはどんな邪念も寄せつけない。迷妄、邪悪は、恰も紅蓮の炎をあげて赤々と燃え盛る炉の上に、一片の雪花が舞い落ち、一瞬のうちに溶けて跡形もなく消えてしまうかのようだ。 別注承ります。 ご注文確定後コメント欄へ字句をお書きください。出来上がりまでに日数がかかります。 【小林太玄】黄梅院 大徳寺塔頭 1938年昭和13年 奉天生まれ 1961年昭和36年 花園大学卒業. 相国僧堂に掛塔 大津暦堂に参禅. 1975年昭和50年 大徳寺塔頭 20世 黄梅院に就任

【茶器/茶道具 茶杓】 上 白竹又は古竹(染付風)又は煤竹 奈良高山製 紙箱入

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

2,816

【茶器/茶道具 茶杓】 上 白竹又は古竹(染付風)又は煤竹 奈良高山製 紙箱入

生産地国産(奈良高山製) 箱紙箱 注意色・景色(模様)などは写真と異なる場合があります。お任せください (野輪白野丸古浸みス輪煤谷)(上・3520) 【コンビニ受取対応商品】谷村弥三郎作(翠華園)通産大臣指定伝統工芸師(奈良高山製) 【茶杓削り】 【京都工芸研究会 高野宗陵作(高野忠男) 】 茶杓(利休型)の主な制作手順を示します。(「茶杓教室テキスト」(高野竹工株式会社)より) (材料の準備1)竹を油抜きし乾燥させる。 ↓ (材料の準備2)茶杓の寸法にあわせて,材料を切り出す。 ↓ (材料の準備3)水につけ繊維を柔らかくしてから,ローソクの火で櫂先となる部分をまげる。 ↓ 1:茶杓の全長:鉛筆で182ミリの箇所に印をつけ,印のところで切断する。 2:櫂先を幅11ミリ程度になるまで削る。 3:茶杓を逆手に持ち,ヨウ(裏側部分)から表皮に向けて削り,節で止める。 これを繰り返し,節の位置で幅8ミリに仕上げる。 4:おっとりを持ち,反対側を3と同様に節まで削る。節に残った屑は削り取る。 5:おっとり部分をナイフで削り,幅7ミリに仕上げる。 6:3〜5を数度繰り返して形を作る。 7:櫂先を削り丸くする。ヨウを削り,切っ先を薄く仕上げる。 8:裏側の角をナイフで削り取る。 9:サンドペーパー等で角を丸くして形を整える。 10:切止。ナイフで一気に行う。完成。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 春草池塘緑又は春山如笑又は処々聴啼鳥 久田宗也筆(尋牛斎)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

29,700

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 春草池塘緑又は春山如笑又は処々聴啼鳥 久田宗也筆(尋牛斎)

直筆 箱たとう紙 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者久田宗也筆(尋牛斎) 注意メール便不可 (中・37880) 【コンビニ受取対応商品】春草池塘緑しゅんそうちとうのみどり 池の堤(ため池)には、もう春の草や緑の芽が萌えだしてきた(のどかな春の風景) 春山高花如笑しょんざんたかくはなしょうしょう 「笑」、「咲」は、ともに「わらう、さく」の両義をもつ。 「花笑鴬歌詠」では「花さいて鴬歌(おうか)の詠(えい)」と読む。 「花咲笑」は「花咲き笑う」ではなく「花笑笑」であり、春の山に花が咲き誇っている様子を表している。 処々聴啼鳥しゅしょていちょうをきく 孟浩然(もうこうねん)の五言絶句「春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知るいくばくぞ」前半二句 「春は夜明けがわからないほど眠い、ところどころ鳥が鳴いていたのを聞いた、夜は風雨が聞こえてた、花もいくつか落ちただろう」 穏やかな心境で眺める。長閑(のどか)な春の日の情景が描かれる。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年~1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年~1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける...

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 春光生嘉祥又は和気生嘉祥又は和顔生幸慶 久田宗也筆(尋牛斎)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

29,700

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 春光生嘉祥又は和気生嘉祥又は和顔生幸慶 久田宗也筆(尋牛斎)

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者久田宗也筆(尋牛斎) 箱たとう紙 注意メール便不可 (中・37880) 【コンビニ受取対応商品】春光生嘉祥しゅんこうかしょうをしょうず 冬の眠りに就ついていた万物を覚醒させて生命力を与える、春の陽光のめでたい兆しが生まれる。 和気生嘉祥わきかしょうをしょうず 和(やわ)らいだ気はめでたさを生じる。 和気には大別して天候が順当であることの意と、人の心が和睦であるの意とがある。 天候が和順であることによて、五穀豊穣となり人々の幸福を招くこと。また、人々の心が睦まじく和らいで吉祥を生じるということ。 和顔生幸慶わがんこうけいをしょうず 和やかな顔で接すれば、おのずと祝福する気持ちが生まれる 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で...

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は和敬清寂又は松無古今色又は本来無一物 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,303

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は和敬清寂又は松無古今色又は本来無一物 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野山丸岡り野山リ井・3670) 【コンビニ受取対応商品】一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 和敬清寂わけいせいじゃく 茶道の心得を示す言葉 意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。 茶道における「利休の四規七則」と言われ、 一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ というものです。 弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、千利休はこの四規七則を答えたとされています。 松無古今色まつにここんのいろなし 松の翠は四季を通じ、今昔なくいつもみずみずしく茂っている意味。 本来無一物ほんらいむいちぶつ 本来、執すべきものは何もなく空であるという意味。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖...

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 清風 秋草の画又は萬里秋 栗の画又は満山川 紅葉の画又は自然成 柚子の画(ゆず) 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,267

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 清風 秋草の画又は萬里秋 栗の画又は満山川 紅葉の画又は自然成 柚子の画(ゆず) 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 注意メール便不可 (R5/野吉中・3645) 【コンビニ受取対応商品】清風せいふう さわやかな風。すがすがしい風。また、清新な空気・気分。 清風万里秋せいふうばんりのあき(清風萬里秋) 清風が吹き渡りあたり一面が秋景色のこと。 紅葉満山川こうようさんせんにみつ 紅葉が山にも川にも満ち満ちている情景。 目の前の錦秋の風景は、そのままが悟境であり、妙景であり、仏性そのものと言える。 結果自然成けっかじねんになる 禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝えられており「一華開五葉」と対句を成している。 「吾れ本と茲の土に来たり、法を伝えて迷情を救う。一華五葉を開き、結果自然に成る」 深遠な佛法の真髄が込められた妙句であるが、一般には「開く」「成る」という言葉の連想から開運吉祥の語として古来愛唱されてきた。 やれるだけのことを精一杯やったら、あとは自然に果実が実るのを待てばいい 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 清秋竹露深又は秋山風月清又は昨夜一聲雁(昨夜一声雁)又は清風万里秋 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,302

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 清秋竹露深又は秋山風月清又は昨夜一聲雁(昨夜一声雁)又は清風万里秋 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野丸中・3565) 【コンビニ受取対応商品】清秋竹露深せいしゅうちくろふかし 竹の葉の上で玉のように輝く一滴の露は清々しい天下の秋を 含んでいる。水晶の玉の様な 竹露は互いに互いを映し出す清らかさを持つ。 すなわち心が澄み渡る状態。 秋山風月清しゅうざんふうげつのきよき 秋の山は風も月も清らかに澄み渡っている。 どこまもでも透明な独脱の世界。 昨夜一聲雁さくやいっせいのかり(昨夜一声雁) 昨夜雁が一声鳴いて空を渡っていった。 雁の一声がまるで秋を呼び起こしたようにすっかり秋色が深まっている様子。 清風万里秋せいふうばんりのあき(清風萬里秋) 清風が吹き渡りあたり一面が秋景色のこと。 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 日々是好日又は喫茶去又は和敬清寂又は一期一会 小原游堂筆(ゆうどう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,916

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 日々是好日又は喫茶去又は和敬清寂又は一期一会 小原游堂筆(ゆうどう)

直筆 作者小原游堂筆(ゆうどう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (R5/野目中・4895) 【コンビニ受取対応商品】日々是好日にちにちこれこうじつ(日日是好日) 毎日毎日が素晴らしい」という意味である そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている 喫茶去きっさこ お茶でもおあがりなさいという意味。 お茶と向き合い、茶を飲む、その一事に専念すること。 和敬清寂わけいせいじゃく 茶道の心得を示す言葉 意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。 茶道における「利休の四規七則」と言われ、 一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ というものです。 弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、千利休はこの四規七則を答えたとされています。 一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 【小原游堂(こはらゆうどう)】 1978年昭和53年 熊本県熊本市生まれ 1991年平成03年 大徳寺聚光院小野澤虎洞和尚に就いて得度 2000年平成12年 三月花園大学卒業 2000年平成12年 四月大徳寺僧堂に掛場、高田明嶺雲室に就く 2008年平成20年 但馬出石宗鏡寺住職となる ------------------------------ 【宗鏡寺】...

【茶器/茶道具 色紙画賛】 直筆 吹又生 土筆の画又は清風 茄子の画又は自成然 葡萄の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

4,900

【茶器/茶道具 色紙画賛】 直筆 吹又生 土筆の画又は清風 茄子の画又は自成然 葡萄の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚)

直筆 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 箱たとう紙 注意メール便不可 (・5430) 【コンビニ受取対応商品】野火焼不尽 春風吹又生やびやけどもつきず しゅんぷうふきてまたしょうず 野火とは、山焼きなどの火を指します。 山一面が激しい野火に包まれたあとは、すべてが焼き尽くされたように見えます。 しかし、春風が吹けば、そこには再び新しい生命が芽吹く 煩悩を消しつくしたつもりでも心にまだその残りがあるため再び現れてくる、煩悩に打ち勝つことの困難さを示した句である 本来は悲しみの心が尽きないことを嘆いた白居易の詩の1節。 清風せいふう さわやかな風。すがすがしい風。また、清新な空気・気分。 結果自然成けっかじねんになる 禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝えられており「一華開五葉」と対句を成している。 「吾れ本と茲の土に来たり、法を伝えて迷情を救う。一華五葉を開き、結果自然に成る」 深遠な佛法の真髄が込められた妙句であるが、一般には「開く」「成る」という言葉の連想から開運吉祥の語として古来愛唱されてきた。 やれるだけのことを精一杯やったら、あとは自然に果実が実るのを待てばいい 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。...

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 柳緑花紅又は青山緑水又は行雲流水 長谷川大真筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,705

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 柳緑花紅又は青山緑水又は行雲流水 長谷川大真筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者長谷川大真筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (R4/棒丸岡・15890) 一行軸102000 【コンビニ受取対応商品】柳緑花紅やまぎはみどりはなくれない 柳は緑の枝を垂れ花はあかく咲きほこっている。はじめは諸現象の違いしか見えない。 修行が完成すると後にありのままの姿が見えるが、最初とは違う全く違った世界が見える。 青山緑水せいざんりょくすい 新緑の季節万物の調和のとれた様 山は青く、水はみどりありのまま、「悟て見れば青山緑水で元の儘、明月清風も昔の通りじや」普燈録:一条の緑水青山を巡る、とある。 行雲流水こううんりゅうすい 空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。 「行雲」は空行く雲。「流水」は流れる水。諸国を修行してまわる禅僧のたとえにも用いられることがある。 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ------------------------------ 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚・千宗旦の修道場として著名です。 春屋和尚の弟子には、徳川幕府の悪令に対抗して大徳寺の面目を天下に示した玉室・江月宗玩和尚がおられます。近衛信尹・久我敦通・古田織部・藪内剣仲・小堀遠州・黒田長政・桑山重晴・瀬田掃部・山岡宗無等が参禅した事もつとに知られます。また、石田三成・古田織部の墓があり、茶室は古田織部の設計による篁庵があります。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 清流無間断又は行雲流水又は雲悠々水潺々又は白雲抱幽石 福本積應筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,718

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 清流無間断又は行雲流水又は雲悠々水潺々又は白雲抱幽石 福本積應筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者福本積應筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (野丸り・3980) 【コンビニ受取対応商品】清流無間断せいりゅうかんだんなし 清らかな流れが、絶え間なく続く様。 常に活動する ものは、尊い清流のように、新鮮さを持ち続ける。 不断の努力修行が大切であるの意 行雲流水こううんりゅすい 空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。 また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。 「行雲」は空行く雲。「流水」は流れる水。諸国を修行してまわる禅僧のたとえにも用いられることがある。 雲悠々水潺々くもゆうゆうみずせんせん 青空に雲が悠然と浮かび、動いているのか止まっているのかわからないが、水はさらさらとひと時も休まず流れつづけている様子。 白雲抱幽石はくうんゆうせきをいだく 幽玄な巨石の山、それを白雲がふわりと優しく抱くように包み込む、天上の様子。 壮大でありながらも、慈悲も感じさせるやわらかく温かい 関係。 周りに束縛するものがなく、心が素直になった時、あなたは何を抱くでしょう。(寒山詩) 。 【福本積應】 1930年昭和05年 京都に生まれる 1959年昭和34年 大徳寺派招春寺(京都府船井郡)住職を拝命 1983年昭和58年 大徳寺派宝林寺(亀岡市)兼務住職を拝命 1989年平成01年 宝林寺本堂・庫裏・山門を建立 2002年平成14年 招春寺本堂・山門を建立 2004年平成16年 宝林寺を後任住職に譲 再度招春寺住職を拝命

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 喫茶去又は一期一会又は和敬清寂又は日々是好日 長谷川大真筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

15,840

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 喫茶去又は一期一会又は和敬清寂又は日々是好日 長谷川大真筆

直筆 作者長谷川大真筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (ス吉岡・19800) 【コンビニ受取対応商品】喫茶去きっさこ お茶でもおあがりなさいという意味。 お茶と向き合い、茶を飲む、その一事に専念すること。 一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 和敬清寂わけいせいじゃく 茶道の心得を示す言葉 意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。 茶道における「利休の四規七則」と言われ、 一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ というものです。 弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、千利休はこの四規七則を答えたとされています。 日々是好日(にちにちこれこうじつ)[日日是好日] 毎日毎日が素晴らしい」という意味である そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ------------------------------ 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚...

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 雪月花又は和敬清寂又は本来無一物又は竹有上下節 長谷川大真筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

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【茶器/茶道具 短冊】 直筆 雪月花又は和敬清寂又は本来無一物又は竹有上下節 長谷川大真筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者長谷川大真筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (棒目岡・15890) 【コンビニ受取対応商品】雪月花せつげつか・ゆきつきはな 雪と月と花。四季における美しい風物。 和敬清寂わけいせいじゃく 茶道の心得を示す言葉 意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。 茶道における「利休の四規七則」と言われ、 一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ というものです。 弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、千利休はこの四規七則を答えたとされています。 本来無一物ほんらいむいちぶつ 本来、執すべきものは何もなく空であるという意味。 竹有上下節たけにじょうげのふしあり 竹には上から下まではっきりと節がついていて、差別具体の世界を対比させた言葉。 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ------------------------------ 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚・千宗旦の修道場として著名です。 春屋和尚の弟子には、徳川幕府の悪令に対抗して大徳寺の面目を天下に示した玉室・江月宗玩和尚がおられます。近衛信尹・久我敦通・古田織部・藪内剣仲・小堀遠州・黒田長政・桑山重晴・瀬田掃部・山岡宗無等が参禅した事もつとに知られます。また、石田三成・古田織部の墓があり...

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 瀧直下三千丈又は行雲流水又は山水有清音又は一雨潤千山 福本積應筆

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【茶器/茶道具 色紙】 直筆 瀧直下三千丈又は行雲流水又は山水有清音又は一雨潤千山 福本積應筆

直筆 作者字:福本積應筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (輪山り・5350) 【コンビニ受取対応商品】瀧直下三千丈たき ちょっかさんぜんじょう 瀧がまっすぐに落ちる事三千丈。涼しさを強調し語呂を合わせたもので夏の涼しさを呼ぶ一句 行雲流水こううんりゅすい 空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。 また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。 「行雲」は空行く雲。「流水」は流れる水。諸国を修行してまわる禅僧のたとえにも用いられることがある。 山水有清音さんすいにせいおんあり 左思(さし)西晋 の詩人 山や川、自然には、澄んだ清らかな音がある の意。 人為のない、ありのままの世界が奏でる清浄な響き。下手な造作を加えないありのままの世界。 一雨潤千山いちうせんざんをうるおす ひわずかに身を濡らすだけの雨も見渡せばあらゆるものをゆったりと潤している様子。 【福本積應】 1930年昭和05年 京都に生まれる 1959年昭和34年 大徳寺派招春寺(京都府船井郡)住職を拝命 1983年昭和58年 大徳寺派宝林寺(亀岡市)兼務住職を拝命 1989年平成01年 宝林寺本堂・庫裏・山門を建立 2002年平成14年 招春寺本堂・山門を建立 2004年平成16年 宝林寺を後任住職に譲 再度招春寺住職を拝命

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は日々是好日又は無事又は無尽蔵 長谷川大真筆

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

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【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は日々是好日又は無事又は無尽蔵 長谷川大真筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者長谷川大真筆 箱たとう紙 注意メール便不可 円相は限定(R4/棒丸岡・15890) 【コンビニ受取対応商品】一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 日々是好日日にちにち、これこうじつ ●日々是好日(にちにち、これこうじつ)…「毎日毎日が素晴らしい」という意味である そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている 無事ぶじ 無造作、平常の意味、何も起こらぬことの意味。 無盡蔵むじんぞう(無尽蔵) この宇宙に生きるにあたって、全てを投げ捨てて無一物に徹すれば、逆に全てが無尽蔵に湧き出てくるとの意味です。 【長谷川大真】三玄院 臨済宗 大徳寺塔頭 1957年昭和32年2月 出生 1979年昭和54年 駒沢大学卒業 大本山相国寺 (梶谷宗忍管長)僧堂にて修行 1997年平成09年08月 三玄院住職 ------------------------------ 【三玄院】大徳寺 一五七九年に、春屋和尚を開祖に、石田三成・浅野幸長・森忠政の三人が建てた寺で、沢庵和尚・千宗旦の修道場として著名です。 春屋和尚の弟子には、徳川幕府の悪令に対抗して大徳寺の面目を天下に示した玉室・江月宗玩和尚がおられます。近衛信尹・久我敦通・古田織部・藪内剣仲・小堀遠州・黒田長政・桑山重晴・瀬田

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 清風在竹林又は夏雲多奇峰又は雲悠々水潺々又は雲収山岳青 前田昌道筆

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【茶器/茶道具 色紙】 直筆 清風在竹林又は夏雲多奇峰又は雲悠々水潺々又は雲収山岳青 前田昌道筆

直筆 作者前田昌道筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (棒丸江・16095) 【コンビニ受取対応商品】清風在竹林せいふうちくりんにあり 清浄な風は、万人万物の上にあまねく公平に行きわたっている。 つまり、清らかな風が竹林に吹いている。 竹林には人の俗気を掃き清めるような、奥深く清浄な風情がある。 旅立つ弟子を見送る際に、虚堂 智愚(きどうちぐ)禅師が詠った一節を縮めた句 夏雲多奇峰かうんきほうおおし 夏雲は高くそびえたち、まるで奇峰が立ち並んでいる様子。夏の風景の代表的なもの。 雲悠々水潺々くもゆうゆうみずせんせん 青空に雲が悠然と浮かび、動いているのか止まっているのかわからないが、水はさらさらとひと時も休まず流れつづけている様子。 雲収山嶽青くもおさまりてさんがくあおし(雲収山岳青) 雲が切れて、青々とした山が見えてきたという大自然の風景。 (山を仏性に、雲を煩悩にたとえ、迷いを取り払った悟りの境地をあらわした禅の教え) 【前田昌道】(昌道紹諠([しょうどうじょうせん]) 昭和14年 和歌山県に生まれる 昭和32年 花園大学入学 昭和34年 古川大航を本師として得度 昭和36年 鎌倉 円覚僧堂に掛塔し、朝比奈宗源に参禅 昭和49年 大徳寺塔頭瑞峯院 住職に就任 ---------- 【瑞峯院】 天文四年(1535)豊後の大友宗麟が大徳寺91世微岫を開祖として菩提寺とした。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は日々是好日又は千年翠又は和敬清寂 戸上明道筆

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【茶器/茶道具 短冊】 直筆 一期一会又は日々是好日又は千年翠又は和敬清寂 戸上明道筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者戸上明道筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (野申中・4650) 【コンビニ受取対応商品】一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 日々是好日にちにちこれこうじつ(日日是好日) 毎日毎日が素晴らしい」という意味である そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている 松樹千年翠しょうじゅせんねんのみどり(松樹(寿)千年翠(緑)) 変化の激しい世の中で年月や季節に左右されずに常に変わらず美しい緑を保ち続ける松こそ万古不易の真実の象徴である 和敬清寂わけいせいじゃく 茶道の心得を示す言葉 意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。 茶道における「利休の四規七則」と言われ、 一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ というものです。 弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、千利休はこの四規七則を答えたとされています。 【戸上明道】玉瀧寺 1935年昭和10年03月 三重県玉瀧(伊賀市)に生る 1958年昭和33年03月 龍谷大学卒業 1960年昭和35年04月 大徳寺専門道場掛塔 (小田雪窓老師に師事) 1964年昭和39年07月 立命館大学院修了 1977年昭和52年03月...

〇【茶器/茶道具 短冊 秋】 直筆 萬里無片雲又は紅葉舞秋風又は採菊東籬下又は悠然見南山 西垣大道筆

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2,909

〇【茶器/茶道具 短冊 秋】 直筆 萬里無片雲又は紅葉舞秋風又は採菊東籬下又は悠然見南山 西垣大道筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者西垣大道筆 注意メール便不可 (R5/野の大・2910) 【コンビニ受取対応商品】 No24万里・No45紅葉・No採菊・No40悠然萬里無片雲ばんりへんうんなし(万里無片雲) 萬里は、万里の天。片雲は、一片の浮き雲。雲は妄想や煩悩などの例えで、心の隅々まで妄想や煩悩がない状態をいう。 紅葉舞秋風こうようしゅうふうにまう 散りそめた紅葉が秋風に舞っている様子で、晩秋の寒々とした光景のかぎり。まさに、裏をみせ表を見せて散りゆく様子を表す 人はすべて の汚れ、邪念を捨て世に身を任せ「無心」になることから大切です。 採菊東籬下きくをとるとうりのもと 東の垣根のところで菊を取ったり、街中にいたとしても、気持ちはゆったりとしている様。 悠然見南山ゆうぜんとなんざんをみる ゆったりとした気分で南山を見上げる。煩悩妄想の跡形もない、悠悠自適な様子。 【西垣大道】極楽寺 兵庫県城崎 1942年昭和17年 庫県に生まれる。 1949年昭和24年 分山宗興について得度。日本社会福祉大学卒業後、大徳僧堂、のち相国僧堂に掛塔。 1976年昭和51年 仏教大学大学院修士課程修了。 1978年昭和53年 兵庫県城崎郡の大徳寺派極楽禅寺住職に就任し、現在に至る。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 竹外茶煙静又は掃雪開松径又は心静自清涼 久田宗也筆(尋牛斎)

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29,700

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 竹外茶煙静又は掃雪開松径又は心静自清涼 久田宗也筆(尋牛斎)

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 箱たとう紙 作者久田宗也筆(尋牛斎) 注意メール便不可 (中・37880) 【コンビニ受取対応商品】竹外茶烟静ちくがいちゃえんしずかなり 林のむこうに、茶を焙(ほう)ずる煙が静かに立ちのぼっている。 山村の平和な風景。自然の営み。 掃雪開松径ゆきをはいてまつのみちをひらく 降り積もった雪を掃くと、そこには松の小径が開けた。 悩みや迷いが一掃されて、生地の仏性(ぶっしょう)が現前したようす。 門閑心静自清涼ころしずかなればおのれはせいりょう 平穏な世の中で屋外が静寂であれば、涼風と共に精神が落ち着く。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年...

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 喫茶去 抹茶碗と茶筅の画又は抹茶碗の画又は一期一会 抹茶碗の画又は和敬清寂 抹茶碗の画又は無盡蔵(無尽蔵)砂金袋の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 5種類より選択

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

4,900

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 喫茶去 抹茶碗と茶筅の画又は抹茶碗の画又は一期一会 抹茶碗の画又は和敬清寂 抹茶碗の画又は無盡蔵(無尽蔵)砂金袋の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 5種類より選択

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 注意メール便不可 (R5/ス輪中・4900)〇5445 【コンビニ受取対応商品】喫茶去きっさこ お茶でもおあがりなさいという意味。 お茶と向き合い、茶を飲む、その一事に専念すること。 和敬清寂わけいせいじゃく 茶道の心得を示す言葉 意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。 茶道における「利休の四規七則」と言われ、 一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ というものです。 弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、千利休はこの四規七則を答えたとされています。 一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 無盡蔵むじんぞう(無尽蔵) この宇宙に生きるにあたって、全てを投げ捨てて無一物に徹すれば、逆に全てが無尽蔵に湧き出てくるとの意味です。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事是貴人又は白珪尚可磨又は主人公 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

3,303

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事是貴人又は白珪尚可磨又は主人公 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野山丸岡の礼り・3670) 【コンビニ受取対応商品】無事是貴人ぶじこれきにん 禅でも茶道でも、何の計らいもなく自然法爾に徹する人を最高の人とするという意味。 白珪尚可磨はっけいなおみがくべし(白圭尚可磨) 完全無欠の貴重な玉でも、さらに磨き続けるべきであるという意味。 主人公しゅじんこう 瑞巌(ずいがん)和尚は 「おーい、主人公(自分)よ。ちゃんと目を覚ましているか」と、自分自身に声をかけては自分で答えていたことから主人公という禅語は生まれた。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 一枝中 椿の画又は春光 福寿草の画又は吉祥 萬両の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

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3,612

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 一枝中 椿の画又は春光 福寿草の画又は吉祥 萬両の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野目中・4515) 【コンビニ受取対応商品】春在一枝中はるはひとえだのうちにあり すべての生命が眠りを保ち続けた冬も終わりに近ずく頃、庭先の梅の一枝に咲き初めた花、もうその中に春が満ち満ちている。 ことの感動を表現している。 春光しゅんこう 春のけしき。春の風光。はるもよう。春景。また、暖い春の日ざし。 吉祥きっしょう めでたい兆し。吉兆。きっしょう。 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 涼風 朝顔の画又は夏祭り 水風船の画又は兆豊年 稲穂の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

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3,520

【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 涼風 朝顔の画又は夏祭り 水風船の画又は兆豊年 稲穂の画 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 注意メール便不可 (輪山丸大・4400) 【コンビニ受取対応商品】涼風りょうふう 爽やかな風、涼を誘う風。 和気兆豊年わきほうねんをきざす 「和気」とは、冬寒く春は暖かく、夏は暑く秋は涼しく、五風十雨で自然の諸条件の調和的意味。 「兆」はきざしの意味でその事に先立って予め示す事。 茶道はことに和を尊ぶ。その和の貴ぶべきことを豊作に託して説いたのがこの「和気豊年を兆す」 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

【茶器/茶道具 色紙画賛】 直筆 山水有清音 筧(かけひ)の画又は蛍の画又は渓泉清流 笹舟の画 福本積應筆 今尾孝子画 4種類より選択

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6,006

【茶器/茶道具 色紙画賛】 直筆 山水有清音 筧(かけひ)の画又は蛍の画又は渓泉清流 笹舟の画 福本積應筆 今尾孝子画 4種類より選択

直筆 作者字:福本積應筆 画:今尾孝子画 箱たとう紙 注意メール便不可 (R5/輪棒り・6820) 【コンビニ受取対応商品】山水有清音さんすいにせいおんあり 左思(さし)西晋 の詩人 山や川、自然には、澄んだ清らかな音がある の意。 人為のない、ありのままの世界が奏でる清浄な響き。下手な造作を加えないありのままの世界。 渓泉清流けいせんせいりゅう 渓泉(けいせん)とは谷間に湧く泉。そこから流れ出した細い清流がかすかな音をたてている。深山の閑(しず)かなたたずまい。 【福本積應】 1930年昭和05年 京都に生まれる 1959年昭和34年 大徳寺派招春寺(京都府船井郡)住職を拝命 1983年昭和58年 大徳寺派宝林寺(亀岡市)兼務住職を拝命 1989年平成01年 宝林寺本堂・庫裏・山門を建立 2002年平成14年 招春寺本堂・山門を建立 2004年平成16年 宝林寺を後任住職に譲 再度招春寺住職を拝命 ------------------------------ 【今尾孝子】 1963年昭和38年 愛知県生まれ 1987年昭和62年 京都市立芸術大学美術学部・日本画卒業 1989年昭和64年 京都市立芸術大学美大学院・絵画専攻日本画終了 現在京都在住

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 萬国春又は為誰開又は微笑春 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 桜の画 円香画

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

4,900

〇【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 萬国春又は為誰開又は微笑春 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 桜の画 円香画

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚筆) 箱たとう紙 注意メール便不可 (ス輪中・4900)〇5445 【コンビニ受取対応商品】花開萬国春はなひらくばんこくのはな(花開万国春) 一輪の花が天下に春の訪れを知らせる。一と多との相即する妙用の世界の表現。 百花為誰開ひゃくかだがためにひらく(百花春至為誰開) 春が来てたくさんの花が開くのはいったい誰に見せるためか。せっかく満地の花をなぜか見て取れないのかという意味が込められている。 桜花微笑春おうかびしょうのはる 桜花は日本の桜ではなく桜桃の花。それが僅かに咲き始めた早春のめでたい風景。 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 歳月不待人又は看々臘月尽 小原游堂筆(ゆうどう)又は戸上明道筆

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3,916

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 歳月不待人又は看々臘月尽 小原游堂筆(ゆうどう)又は戸上明道筆

直筆 作者小原游堂筆(ゆうどう) 戸上明道筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (野目中/4895/輪輪中・5500) 【コンビニ受取対応商品】歳月不待人さいげつひとをまたず 時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれるこFとなどない。 転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。 陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づく。 看々臘月尽みよみよろうげつ、つく 臘月は12月のこと。 時間はみるみるうちに過ぎ去ってしまい、今年も残りわずかであるという意味。 【小原游堂(こはらゆうどう)】 1978年昭和53年 熊本県熊本市生まれ 1991年平成03年 大徳寺聚光院小野澤虎洞和尚に就いて得度 2000年平成12年 三月花園大学卒業 2000年平成12年 四月大徳寺僧堂に掛場、高田明嶺雲室に就く 2008年平成20年 但馬出石宗鏡寺住職となる ------------------------------ 【宗鏡寺】(すきょうじ) 兵庫県豊岡市出石町東條にある臨済宗大徳寺派の寺院 山号は圓覚山。出石城主の菩提寺。沢庵宗彭所縁の寺として知られる。通称は沢庵寺 ------------------------------ 【戸上明道】玉瀧寺 1935年昭和10年03月 三重県玉瀧(伊賀市)に生る 1958年昭和33年03月 龍谷大学卒業 1960年昭和35年04月 大徳寺専門道場掛塔 (小田雪窓老師に師事) 1964年昭和39年07月 立命館大学院修了 1977年昭和52年03月 玉瀧寺住職...

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 吾惟知足又は山雲海月情 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

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〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 吾惟知足又は山雲海月情 松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう)

直筆 サイズ約縦36.3×横6cm 作者松涛泰宏筆(宗潤)(まつなみたいこう) 箱たとう紙 注意メール便不可 (野山丸岡の礼り・3670) 【コンビニ受取対応商品】吾惟知足われただたるをしる 欲望を無限にふくらましてはならない。これで充分、つまり「ごちそうさま」と言える心のゆとりを持たねばならない。 釈尊が説かれた教えである。 「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は」心はいつも乱れている」と言われる。 語尽山雲海月情かたりつくすかいうんかいげつのじょう 山の心情、雲の心情、海の心情、月の情心、即ち一切のこころと言うのが 山雲海月の情で、この場合、親しきもの同士が胸中の心情を語りつくすさまを表す。 【松濤泰宏(松涛泰宏)[まつなみたいこう]】 前大徳寺 鷲峰山、寿福寺第50世住職(福岡県) 1960年昭和35年 生まれ 1972年昭和47年 得度 1982年昭和57年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂初掛塔 1984年昭和59年 福岡大学卒業 1987年昭和62年 臨済宗大徳寺派、別格地、崇福僧堂再掛塔 1990年平成02年 臨済宗大徳寺派、三等地寿福寺住職 ----------------------------- 【寿福寺】山号 鷲峰山 福岡県福岡市 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 1190年代に臨済宗の開祖 明庵栄西禅師(建仁寺開祖)によって禅宗に改宗され江戸末期から明治の初期に大徳寺派の末寺になる

【茶器/茶道具 蓋置】 織部焼き 蕎麦手(麦藁手) 松本鉄山作

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【茶器/茶道具 蓋置】 織部焼き 蕎麦手(麦藁手) 松本鉄山作

サイズ約直径5.3×高5.6cm 作者松本鉄山作 箱木箱 ・・(野吉山大・8800) 【コンビニ受取対応商品】【松本鉄山(安右ェ門窯)】 大正11年 生まれ 2代 山口錠鉄の次男 母方実家の窯元へ養子となり安右ェ門窯の後を継ぐ。 愛知県瀬戸市上水野町在 (長男 松本伸安 昭和26年生まれ) --------------------------------------------------- 【初代 山口錠鉄】 1895年明治28年3月 1948年昭和23年 技術保存登録を受ける 瀬戸市の赤津町代々の窯元 1953年昭和28年12月 没 【2代 山口錠鉄】 1920年大正09年2月 「赤津の窯屋山口」として300有余年続く窯元 1948年昭和23年 先代の父錠鉄が技術保存登録をうける、現代茶陶中心に活動する 伝統工芸師に認定される 1999年平成11年02月没 【山口 節 (尼錠鉄)】正悟の母 愛知県立瀬戸窯業高校卒:同校専攻科修了 【3代 山口錠鉄(本名 正悟)】 瀬戸市赤津町在住 1955年昭和30年01月生まれ 1974年昭和49年 瀬戸窯業高校専攻科修了 1999年平成11年 3代を襲名 日本の六古窯の一つである瀬戸赤津焼きは、平安の昔から千何百年もの間、継承され織部・志野・黄瀬戸・瀬戸黒等が制作され今日に至っております 師 先代 山口錠鉄師(伝統工芸師)に師事 2代の弟 山口茂(大正14年生まれ)の子供に山口重信がいます 山口重信(昭和29年生) 県立瀬戸窯業高等学校専攻科終了 県陶磁器資料館陶芸指導員 2代の二男に松本鉄山(大正11年生まれ)がいます

◎【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 万国春(花開万国春) 枝垂れ桜の画又は花無心 藤の画 福本積應筆又は枝垂れ桜画 前田宗源筆

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◎【茶器/茶道具 短冊画賛】 直筆 万国春(花開万国春) 枝垂れ桜の画又は花無心 藤の画 福本積應筆又は枝垂れ桜画 前田宗源筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者万国春 福本積應筆 枝垂れ桜 前田宗源筆 注意メール便不可 (R5/輪輪り・5400) 【コンビニ受取対応商品】花開萬国春はなひらくばんこくのはな花開万国春 一輪の花が天下に春の訪れを知らせる。一と多との相即する妙用の世界の表現。 花無心はなむしん 花は人に見られよう、好かれようなどとは少しも思わない。 そこには一分の思慮分別・妄想煩悩もない。 ただひたすらに咲いているのみである。 【福本積應】 1930年昭和05年 京都に生まれる 1959年昭和34年 大徳寺派招春寺(京都府船井郡)住職を拝命 1983年昭和58年 大徳寺派宝林寺(亀岡市)兼務住職を拝命 1989年平成01年 宝林寺本堂・庫裏・山門を建立 2002年平成14年 招春寺本堂・山門を建立 2004年平成16年 宝林寺を後任住職に譲 再度招春寺住職を拝命 ------------------------------ 【前田宗源】瑞光院 山号を紫雲山 大徳寺派 赤穂義士遺跡 1932年昭和07年04月10日京都に生 京都府立第三中学校 京都府立朱雀高校 同志社大学経済学部 京都建仁寺僧堂にて修行 ------------------------------ 【瑞光院】 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 紫雲山 瑞光院は 慶長18年(1613年)創建。 赤穂 浅野家とは縁があり、46士の遺髪が埋葬されている

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 星河秋一雁又は秋声満萬岳 久田宗也筆(尋牛斎)

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29,700

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 星河秋一雁又は秋声満萬岳 久田宗也筆(尋牛斎)

直筆 サイズ並巾:約縦36.3×横6cm 作者久田宗也筆(尋牛斎) 箱たとう紙 (・40150) 【コンビニ受取対応商品】星河秋一雁せいがあきいちがんせいがいちがんのあき 天の川が輝く 澄みきった秋の夜空を、一羽の雁が飛んで行く 秋声満萬岳しゅうせいまんがくにみつ もの寂しげな秋の夕暮れの情景。 秋声とは颯々と吹き渡る秋風の音や、木の葉の散る音など秋を感じさせる音、声。 見渡す一面秋の情景が想像できます。 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年〜1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年〜1744年1月13日 宗全の甥 4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。 【高倉久田家歴代】 【5代 宗悦 凉滴斎】...

◎【茶器/茶道具 短冊】 直筆 歳月不待人又は看々臘月尽 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

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◎【茶器/茶道具 短冊】 直筆 歳月不待人又は看々臘月尽 橋本紹尚筆(柳生紹尚筆)

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者橋本紹尚筆(柳生紹尚) 注意メール便不可 (野輪中)(・2915) 【コンビニ受取対応商品】歳月不待人さいげつひとをまたず 時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれるこFとなどない。 転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。 陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づく。 看々臘月尽みよみよろうげつ、つく 臘月は12月のこと。 時間はみるみるうちに過ぎ去ってしまい、今年も残りわずかであるという意味。 【橋本紹尚】(柳生紹尚)芳徳禅寺 1962年昭和37年 花園大学卒業 1962年昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する 三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命 1965年昭和40年 柳生芳徳寺に帰る 1972年昭和47年 芳徳寺住職となる 1996年平成08年 奈良市文化財に指定される。 ------------------------------ 【芳徳禅寺】 奈良県 神護山 寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事又は歳月不待人又は冬嶺秀孤松 戸上明道筆

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【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事又は歳月不待人又は冬嶺秀孤松 戸上明道筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 作者戸上明道筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (野申中・4650) 【コンビニ受取対応商品】無事ぶじ 無造作、平常の意味、何も起こらぬことの意味。 歳月不待人さいげつひとをまたず 時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれるこFとなどない。 転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。 陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づく。 冬嶺秀孤松とうれいこしょうをひいず 冬の嶺の上で、他の草木が枯れ てしまったのに松が独り緑を誇っている」という意味 煩悩はもちろんのこと悟りすらも 綺麗さっぱり払い落した弧高の禅者を思い起こさせる。(陶淵明の四時の詩)の一節。 【戸上明道】玉瀧寺 1935年昭和10年03月 三重県玉瀧(伊賀市)に生る 1958年昭和33年03月 龍谷大学卒業 1960年昭和35年04月 大徳寺専門道場掛塔 (小田雪窓老師に師事) 1964年昭和39年07月 立命館大学院修了 1977年昭和52年03月 玉瀧寺住職 1990年平成02年02月 前住位稟承 2006年平成18年06月 閑栖 ----------------------------- 【玉瀧寺】 玉瀧寺 吉祥山 三重県北伊賀(現伊賀市)

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 和敬清寂又は日々是好日又は一期一会 小林太玄筆 3種類より選択

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18,480

【茶器/茶道具 色紙】 直筆 和敬清寂又は日々是好日又は一期一会 小林太玄筆 3種類より選択

直筆 作者小林太玄筆 箱たとう紙 注意メール便不可 (申目大・24000) 【コンビニ受取対応商品】和敬清寂わけいせいじゃく 茶道の心得を示す言葉 意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。 茶道における「利休の四規七則」と言われ、 一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ というものです。 弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、千利休はこの四規七則を答えたとされています。 日々是好日にちにちこれこうじつ(日日是好日) 毎日毎日が素晴らしい」という意味である そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている 一期一会いちごいちえ 茶の湯、茶会では毎回一生に一度という思いをこめて真剣に行うことをといた語 一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎり。 【小林太玄】黄梅院 大徳寺塔頭 1938年昭和13年 奉天生まれ 1961年昭和36年 花園大学卒業. 相国僧堂に掛塔 大津暦堂に参禅. 1975年昭和50年 大徳寺塔頭 20世 黄梅院に就任

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 春入千林処々鶯(春入千林處々鶯) 小堀良實筆又は主人公 小堀良實筆又は夢 小堀良實筆又は雪花月 戸上明道筆

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3,306

◎【茶器/茶道具 色紙】 直筆 春入千林処々鶯(春入千林處々鶯) 小堀良實筆又は主人公 小堀良實筆又は夢 小堀良實筆又は雪花月 戸上明道筆

筆者小堀良實筆 箱たとう紙 備考直筆 (R5/の丸中・3675) 【コンビニ受取対応商品】春入千林処々鶯はるはせんりんにいりしょしょうぐいす(春入千林處々鶯) 春がシズシズと山郷にやってきたようだ。いたるところで鶯が初鳴きをしている。 春入千林処々花を宗旦が言い換えた。 表千家は、この軸を初釜にかけますが、立春にも 主人公しゅじんこう 瑞巌(ずいがん)和尚は 「おーい、主人公(自分)よ。ちゃんと目を覚ましているか」と、自分自身に声をかけては自分で答えていたことから主人公という禅語は生まれた。 夢ゆめ 外界から実際には存在しないことを夢にたとえる。 すべての執著から脱却し、悟りも学識も名誉も忘れ去った境地。 さらに人生をはじめとするすべてがむなしく、はかないことを象徴するとも解される。 (金剛経)には. 仏教では「いろいは歌」の「色は匂 えど散りぬるを」(美しく色香漂う花も、やがて散って、しまう)に表されるように、世の中全ての現象は実体のない仮の姿で、夢幻のように何ひとつとして同じ状態で続くものはないと、諭す。 雪花月せつげつか(ゆきはなつき) 雪と月と花。四季における美しい風物。 【小堀良實(りょうじつ)】寶林寺 山号を曹渓山 大徳寺派 (臨済宗) 1972年昭和47年 京都市:大徳寺:弧蓬庵の次男に生 1996年平成08年 花園大学卒業 博多 崇福寺専門道場にて修行 2004年平成16年 寶林寺住職 ---------------------------------------------------- 【寶林寺】 京都 紫野 臨済宗大本山 大徳寺派に属する 寶林寺 山号を曹渓山は 禅宗の祖と言われる達磨大師より、6代目慧能禅師が、この地に来りて、仏法を解きて以来、禅の宗風喩々隆盛となる。開山、春嶺紹温禅師...

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事千秋楽又は本来無一物 西垣大道筆又は松樹千年翠又は松風 澤梁堂筆

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2,909

〇【茶器/茶道具 短冊】 直筆 無事千秋楽又は本来無一物 西垣大道筆又は松樹千年翠又は松風 澤梁堂筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者西垣大道筆 作者澤梁堂筆 注意メール便不可 (野の大・2910) 【コンビニ受取対応商品】無事千秋楽ぶじせんしゅうらく 今年も何事もなく年末を迎えられ、感謝の気持ち 普段と同じ・平常な日々 無事とは、仏や悟り、道の完成を他に求めない心をいいます。悟っているあなたは、何もする事はないですよ。との事。 本来無一物ほんらいむいちぶつ 本来、固執すべきものは何もなく空であるという意味。 松樹千年翠しょうじゅせんねんのみどり(松樹(寿)千年翠(緑)) 変化の激しい世の中で年月や季節に左右されずに常に変わらず美しい緑を保ち続ける松こそ万古不易の真実の象徴である 松風しょうふう・まつかぜ 松に吹く風。松籟(しょうらい)。 茶の湯で、釜の湯の煮え立つ音。 【西垣大道】極楽寺 兵庫県城崎 1942年昭和17年 庫県に生まれる。 1949年昭和24年 分山宗興について得度。日本社会福祉大学卒業後、大徳僧堂、のち相国僧堂に掛塔。 1976年昭和51年 仏教大学大学院修士課程修了。 1978年昭和53年 兵庫県城崎郡の大徳寺派極楽禅寺住職に就任し、現在に至る。

【茶器/茶道具 短冊】 直筆 紅炉一点雪又は雪粧千年翠又は万歳緑毛亀又は瑞気満高堂 戸上明道筆

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【茶器/茶道具 短冊】 直筆 紅炉一点雪又は雪粧千年翠又は万歳緑毛亀又は瑞気満高堂 戸上明道筆

直筆 サイズ広巾:約縦36.3×横7.5cm 箱たとう紙 作者戸上明道筆 注意メール便不可 (野申中・4650) 【コンビニ受取対応商品】紅露一点雪こうろいってんのゆき(紅炉一点雪・紅爐一点雪) 煩悩妄念を断滅した坐禅三昧の正念のある処、ここにはどんな邪念も寄せつけない。迷妄、邪悪は、恰も紅蓮の炎をあげて赤々と燃え盛る炉の上に、一片の雪花が舞い落ち、一瞬のうちに溶けて跡形もなく消えてしまうかのようだ。 雪粧千年翠ゆきはせんねんのみどりをよそおう 昨夜来の雪は、千年の果てしない愁いをも覆い隠してしまう。何もない様。 冬の雪の降る寒い朝でも、この院の松は緑の色を変えないで、君子の貞操をあらわしています。 万歳緑毛亀ばんざいりょくもうのかめ(萬歳縁毛亀) 緑毛の亀は年老いて甲羅に糸のような緑苔を生じ、蓑を着たようになったもの。 めでたいしるし。長寿を祝う言葉。 瑞気満高堂ずいきこうどうにみつ めでたくおごそかな 雰囲気の新鮮な歳に気力に満ちた高揚した気持ちは、すがすがしいさまになる。 【戸上明道】玉瀧寺 1935年昭和10年03月 三重県玉瀧(伊賀市)に生る 1958年昭和33年03月 龍谷大学卒業 1960年昭和35年04月 大徳寺専門道場掛塔 (小田雪窓老師に師事) 1964年昭和39年07月 立命館大学院修了 1977年昭和52年03月 玉瀧寺住職 1990年平成02年02月 前住位稟承 2006年平成18年06月 閑栖 ----------------------------- 【玉瀧寺】 玉瀧寺 吉祥山 三重県北伊賀(現伊賀市)

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